叶うなら

 二月になると、三年生はすっかり自宅学習時期になっていて、久しぶりの登校日に合わせてバレンタインの準備をしている人が寮内で散見された。
 利桜も例外ではなく、ルームメイトや他の寮生たちと一緒にスーパーの製菓コーナーで必要なものを買った。材料を余らせるわけにもいかないので、大抵必な材料が被るのに合わせて共同購入としていた。特に焼き菓子に使う小麦粉やチョコレートなど、定番の材料は大体お互いの分量に合わせて買った。
 食堂の時間に邪魔にならないよう、利用できる時間は限られていた。
 利桜はパウンドケーキを作るので、手際よく準備を進めていく。年末に見てくれと言ってきた友人もレシピを確認しながら進めてい
た。
 普段はあまりお菓子作りをしないので、寮生たちにとってこの日のためのお菓子作りの労力というのは計り知れないものがある。元々得意なほうであれば苦労も少ないのだが、苦手な人はとにかく苦手なままという、難点も多いのだ悩みの種だ。
 利桜は幸いにも、お菓子作りであれば苦手ではなかったので、毎年苦労というほどではなかった。とはいえ、今まで後輩や先輩の分からクラスメイトの分までとかなりの量を作っていた。なので、今回は後輩へ作る分がないだけ、かなり楽だった。
 そうはいっても、今回渡す相手は片想いをしている人だ。これは今まではしたことがないから、どうすればいいか悩んでいた。郁弥の食の好みはだいぶ把握しているつもりでも、苦手なものが多いのだ。いっそ既製品のほうが良いのではないかと考えが過り、ギリギリのところでルームメイトに相談をした。やはり持つべきものは友人である。ルームメイトは、郁弥なら食べてくれるよと背中を押してくれた。
 ラッピングはあまり凝らずにシンプルにしようと決めていた。郁弥が派手なラッピングをされた箱を持っている姿が想像できなかったからだ。
「利桜、いくつ作る気なの」
 友人に聞かれて、利桜はクラスメイトと弓道部の三年生分だと言えば、驚かれる。
「弓道部ってそこそこ人数いなかった?」
「すごくは多くないよ」
「ふうん」
 友人が先にオーブンを占領していた。そろそろ焼きあがりになるはずで、利桜が次を予約していた。これなら、焼いている間に泣きついてきた友人の面倒も見れる。
「私たちの分は?」
「あるよ。ただしラッピングとかは何もしないけど」
「さすが利桜」
 こういうあたりちゃっかりしている友人も、同じように用意してくれるらしい。三年目となれば、ここで作るメンバーが寮生の分くらい用意するのは暗黙の了解だった。
 この時期に一番量を作っているのは利桜なので、同級生にとっては当たり前すぎてもらう気しかないことに、利桜も気づいていた。普段、お土産をもらうこともあるので、それを還元する日だとも思っている。
 利桜は作った生地を型に流し込んでいく。この女子寮のいいところは、歴代の先輩たちが置き土産のごとく様々な型を置いていってくれることだろう。たまにお菓子作りの好きな生徒が使えるようにと、こうした時期に大活躍してくれる。
 複数の型に味の異なる生地を入れてオーブンが空くのを待つ。材料が多少余るらしいので、クッキーくらい作れそうだなとかんがえていると友人の助けを求める声に、苦笑しながら手伝うことになった。
「利桜ごめんね」
「全然。ちゃんとできてるよ」
 横で作業を見つつ、手出しはあまりしない。こういうのは、自分で作ってこそ価値があるのだ。誰かの手を借りるなら、市販品でよくなってしまう。
 世の中には手作りのお菓子が苦手という人もいるので、郁弥がそうではないと知っていたのは良かったかもしれない。これはルームメイトが教えてくれた。
 利桜は焼き上がるの待ちながら、自分が使用した場所の作業台をきれいにしていく。ラッピングはシンプルに袋に入れるだけなので簡単だ。郁弥の分だけは小さい箱を用意した。
「利桜は、桐嶋に告白するの?」
「まだ決めてないよ」
 聞いてきたのは、準備が終わろうとしている子だった。
「じゃあ、いつ気持ちを伝えるわけ?」
 ストレートに問われたことは、中々踏ん切りがついていないことだった。むしろいつ踏ん切りをつければいいのかも、利桜の中では決まっていなかった。
「もう、利桜困らせないでよ」
 助け舟を出してくれたのはルームメイトだった。周りがやたらに利桜と郁弥の二人の関係性を勘ぐろうとした時期に、彼女は意外と何も言ってこなかった。利桜に自覚のない時期だったから、そっとしておいてくれたのだと気がついたのは、気持ちに自覚してからだった。
「だって、ここまできたら見届けたいじゃん」
「見せ物じゃないし、いつ告白したっていいでしょ」
 そこまで言い切ってくれたルームメイトが心強かった。
 利桜にとって、今の郁弥との関係は心地が良い反面、もしも告白をして振られてしまったらと思うと怖かった。
「利桜?」
「ごめん。本当にどうしようかな」
 もうすぐ焼き上がりの時間だ。
 告白をしたら何が変わるのだろう。利桜にはその先のビジョンがうまく想像できなかった。
 郁弥から時折感じる愛おしそうな感情も、自分と同じ気持ちなのか確信が持てなくて、不安になるのだ。こんなに厄介な気持ちを自分の中に持ち続けるくらいなら、剥がしてしまえたら良かったのに。
 焼きあ上がったパウンドケーキを切り分けて小包装にしていく。どんどんと出来上がるラッピングの山が自分の気持ちをバラバラにしていくみたいだった。
 一番最後に小箱に納めて準備完了だった。
「試合より緊張する」
 思わず出た言葉だった。たかがバレンタイン。されど、これが現実だ。声をかけるのなんて一瞬で、緊張なんてしたことはない。けれども、特別にラッピングした本命チョコ、もとい本命パウンドケーキがあるだけで全然違っていた。
「試合よりって、インハイの決勝よりも?」
 バレンタインのチョコを用意するのに泣きついてきた友人も無事に出来上がったのか、一段落したのか聞いてきた。手には余ったチョコレートと牛乳で作ったホットショコラの入ったマグカップを持っていた。
「……インハイの決勝戦のほうが落ち着いてたと思う」
 珍しく弱腰な利桜だった。インハイの決勝戦のほうがいいというのは、最早彼女が毎日積み重ねた努力の結果でもあるが。
 利桜の言葉に心配しなくても大丈夫だと言うが、いまいち実感が伴わなくて、ため息だけは溢さないように、ラッピングしたものをひとつにまとめて冷蔵庫に保管した。

 翌朝は年一回の大荷物だった。三年生のクラスがある階に上がると甘い香りが朝からしていた。今日の登校も午前中には終わるので、朝から配る生徒が見受けられた。利桜も寮生たちとのんびり登校してきて、教室に入った。
「おはよう利桜」
「おはよう」
 挨拶をしながら、昨日作ったばかりのものを渡した。クラスで誰か一人が配り始めると途端に物々交換が始まった。あっという間に、新しいものと交換され、カラフルなパッケージが持ってきていた紙袋いっぱいになった。
 郁弥には帰りに渡そうと考えていた利桜は、休憩時間に郁弥のクラスに行こうと廊下に出た。出た瞬間に利桜の足は止まってしまった。
「あの、桐嶋先輩いますか」
 郁弥のクラスの前で一人の女子生徒がそんなことを言っていたからだ。他の誰かが、郁弥に渡している、なんてことを今の今まで考えていなかった。三年の中で見かけたことがないから、おそらく下級生。近くには別の女の子が二人いて、付き添いだと思われた。
 利桜は自分が当たり前のように、郁弥が受けとってくれるものとして用意していた。けれども、そうではなのだ。断られるかもしれないことや、他の女の子も同じように準備していておかしくないのだ。
 どうしてそんな簡単なことを思いつかなかったのだろう。下級生の持っていた可愛いラッピングのされた包み紙が、やけにカラフルに目に映った。とっさに受け取る姿が見たくなくて、一歩出た教室に引きかえしてしまった。
「利桜、桐嶋君のところ行ったんじゃないの」
「取り込み中だったみたいで戻ってきちゃった」
 最早言い訳にしかすぎない。
「え、ちょっと、泣きそうな顔しないでよ。何があったの」
 困惑した友人の声に、利桜も何を言っているのだろうと思ったが、さっきの動揺が全部顔に出ていたらしい。
「郁弥にチョコ渡そうとしてる子を見かけちゃって、自信なくなってきたなあって」
「うん、そっか。最後まで見たの?」
 利桜は首を横に振った。怖くなって、郁弥がどんな顔をして受け取るのかも見たくなかった。郁弥は人の気持ちに敏感な人だから、好意を無碍にはできない。人が傷つく時、どんな風になるのかを知っているから、つけ離すこともできないのを利桜は知っている。
「見てないなら、受け取ってないかもしれないし、他人は関係ないよ。とりあえずメールしてみれば?」
 友人は利桜を励まそうとして、アドバイスをくれた。直接約束できなかったのだから、連絡をするしかないのだが、メールの画面を立ち上げてから止まってしまった。見かねた友人が代わりに文面を作ろうかと言ってくれたが断って、自分の言葉でちゃんと送るっことにした。
 珍しく返信が早くて驚いたものの、利桜は中身の文面にさらに驚いた。
「どう? 大丈夫だった?」
「うん、こっち来てくれるって」
 驚いた利桜は、メールの文面を何度か見返したが、何度見ても文面は同じだった。
「良かったね」
 目の前の友人は、安心したように笑ってくれた。
 午前中で終了したので、掃除もそこそこに解散となった。利桜が教室で荷物をまとめていると、郁弥が教室に入ってきた。
「利桜」
 声をかけれたので振り向くと、郁弥の手元にある紙袋に目がいってしまった。つい、なんて言おうとしても、自分がここまで気にする性格だったのかと思うと、意外すぎて対処が後手になっていく。
 郁弥にも気づかれてしまうのではと思ったが、そんなことはなく、一緒に玄関まで向かう。
 一歩外に出ると、二月の寒々しい空は、抜けるように青空できれいな冬晴れだ。郁弥と歩きながら、一体いつ渡そうか悩んでいた。ここまでくるといつ渡しても変わりない気がしたが。
「郁弥は人が作った手作りのもの大丈夫かな」
 すでにリサーチ済みだというのに、確認をしてしまった。食べれないと言われれば、これは渡さなくてもいいかもしれないと、消せない自分の考えがあった。
「平気だよ」
 いつも通りに穏やかに答えてくれた郁弥にほっとした。利桜は、友人たちと交換した包みの中から、郁弥だけに準備した箱を取り出した。モスグリーンの箱に、金のリボンをかけただけのシンプルなラッピングだ。きらきら可愛いラッピングが郁弥のイメージにそぐわなくて、似合いそうなものを選んだ結果だった。
 箱を取り出してから、何を言うか頭から飛んでしまった。今までこんなにパニックに陥ったことがないのに。
「……ハッピーバレンタイン」
 郁弥の顔を見つめてから、ようやく出た声だった。これが本命だとか、郁弥のためにラッピングしたものだとは言えなかった。いっそのこと、郁弥の持っている紙袋に入っているうちの一つになってくれればいい。
「ありがとう」
 郁弥はラッピングされた小箱を受け取ってくれた。これで、やっと、今日の重荷から解放される。
「食べるのもったいないね」
 ふふっと笑った郁弥はとても嬉しそうで、良かったと安心したのと同時に、他の女の子にも、同じような顔をして受け取ったのかなと勝手に想像して胸が痛んだ。利桜が見かけた下級生にも、と思い出したところで、郁弥の声のおかげで堂々巡りをし始めた思考がストップした。
「もしかして利桜、これ気にしてる?」
 紙袋を少し持ち上げて聞かれた。おずおずとゆっくり頷いた利桜に、郁弥は苦笑した。
「利桜から朝一番にもらってたら、全部断ってたかもな」
「えっ、え?」
 驚きすぎて利桜はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「だって、利桜からもらえたら、それだけ良かった」
 じゃあ、なんで受け取ったのだと聞きたかった。そのことを言うか言うまいか、考えているうちに郁弥が先に教えてくれた。
「これは、誰からかわかんないやつで、直接渡されそうになったのは全部断った」
 返すわけにもいかないから持って帰るしかないと郁弥は言っていて、まだ何も気持ちを伝えていないのに、安心している自分がいた。自惚れても罰は当たらないだろうか、なんて今の状況を友人たちが知ったら笑うだろう。
「ねえ利桜、これ期待してもいい?」
 そっと耳打ちをするように聞かれれば、頷くしかなかった。
「期待してくれなかったら、嫌、だな」
 だって、それは郁弥のためだけに渡したのだ。誰にだってこんなことはしない。
「利桜、もう一個だけ聞いてくれる?」
「うん」
 ゆっくりと待って告げられた言葉に、利桜は言葉が出ないまま、郁弥の胸の中に飛び込んだ。利桜の思わぬ行動に驚いたものの、ちゃんと抱きとめた。