郁弥は黒板に書かれた文字を追いながら、何でもいいやと思った。
高校最後の文化祭。
クラスは、模擬店をどんなものにするかで賑やかな討論が行われていた。学級委員が声を張りながらクラスメイトの意見を聞いていく。郁弥はあまり関心を持つことができずにいた。元来、賑やかなイベントごとはあまり得意ではない。
おまけに、クラス以外に郁弥は水泳部での模擬店に駆り出される。無所属の生徒に比べて、部活に所属している生徒は少し忙しくなるのだ。そういうこともあり、どうにも校内のイベントごとには前向きにはなれなかった。
郁弥は三年ということもあり、水泳部方面で駆り出される時間も少ないだろう。部活の模擬店は積極的にやりたい奴がやることが多い。郁弥は専ら、足りない部分に少しの時間当てこまれるパターンが多いのだ。部長に言っておけばそのようにしてくれるのは容易に想像ができた。
身の入らない時間は、暇つぶしにスマホを弄っているか、外を眺めるばかり。時折、黒板に候補の内容が白チョークで書き込まれていく。
不意に思い出したのは、利桜のことだった。連絡先を交換してからというものの、特別伝えるような用件がないままでそれが役立った試しはない。週一回の授業で会うので、それだけで用事も済んでしまう。他愛ない会話をわざわざメッセージでやり取りするほど、郁弥も利桜も時間が有り余っているほうではない。放課後の時間は嫌でも部活の時間で追われている。寮に戻ったところで、課題をしているとなれば、必然的に連絡をする機会は少なくなるのだ。
取り止めないことをつらつらと考えていると、手に握っていたスマートフォンの画面がパッと明るくなった。通知を見た郁弥は、周りには分からない程度に固まってしまう。
連絡をしてきたのは利桜だった。
授業中に操作をするタイプには見えなかったが、利桜のクラスもLHRなのだろう。
『桐嶋君のクラスは文化祭何するの?』
ありふれた質問ではあったが、なかなか連絡できずにいた郁弥にとっては都合が良かった。
『今決めてるところ。そっちは?』
メッセージを送ってすぐ、既読になり新しいメッセージが送られてきた。
『クレープとか、デザート系の模擬店になりそう。イートインスペース作るから手間かかりそう』
『へえ。白崎はクラスには興味ないの?』
郁弥は自分のことは棚に上げて利桜へ質問する。
『興味はあるけど、弓道部も手伝わないとだから、クラスにはあまりいられないんだよね。手間がかかってもあんまり手伝えないの。桐嶋君だって、水泳部も出すでしょ?』
利桜から部活の話が出ると必然的に水泳部の話が出てくるのは当然だった。
『出すけど、そんなには手伝わないよ。弓道部は文化祭で何するの?』
『和カフェだよ。毎年一部だけ割引券出してるから桐嶋君にもあげるね!』
楽しそうなスタンプがメッセージのあとに送られてくる。
今まであまり興味の持てなかった文化祭だったが、利桜の楽しそうなメッセージに多少は興味が沸いてきた。ちらりと顔を上げると黒板にはクラスでの模擬店の候補が決まっていて、決定した内容の上部には大きく花丸マークが描かれていた。お化け屋敷風喫茶店と黒板に書かれており、なんてベタなと思いつつも、それなりに手伝わされるのだろうなと肩を落としたのだった。
木曜日の二限目。選択の授業の日。郁弥がいつも通りに少し早めに教室に入ると珍しく先に席に着いた利桜がひらひらと手を振っていた。
「珍しいね」
「いつも一緒の子が風邪ひいててお休みだったから、たまには早めに来てみたんだ」
郁弥より早くに来たということは、おそらく前の授業のあとすぐに来たのだろう。
「そうなんだ。……この間言ってた割引券ってなに?」
「文化祭のだよね。部員一人あたり三枚割引券があって、だいたい友達にあげるのが定番なの。だから、桐嶋君が興味あるかはわかんないけど、もし良かったらどうかなって」
「それなら、もらっておく。白崎は店番するの?」
「多分するよ。クラスの当番にもよるけど……もしかして桐嶋君来るの?」
「せっかく貰うなら、普通知り合いがいる時に行くのが定番でしょ」
普段のお返しと言わんばかりに郁弥が言うと、利桜も観念したのか、わかったと短く承諾したのだった。
「……そんなに、嫌なの?」
利桜の様子を不審がった郁弥が聞く。割引券をくれると言い出したのは利桜なのに、利桜がいる時間に行くのはダメらしい。
「そうじゃなくて、えっと……私がいる時に来てもいいけど……当日になれば分かるよ」
はぐらかす利桜に首を傾げた郁弥だったが、チャイムが鳴ったのでそれ以上は深く詮索をするのを止めた。
利桜の授業を受ける態度はいつもと一緒だったので、郁弥は余計に先程の態度が気になってしまう。当日になればわかると言うが、まだ少し先の話だ。
しかし、利桜の性格上、中々口を割らなそうである。絶対に嫌ならば、最初から誘ったりはしないだろうといきつき、郁弥は当日を待つことに決めた。
文化祭が近づくと、準備のために授業をしなくて済む。郁弥は上手いことやりたくない作業を避けていたが、ついにクラスの女子から買い出しを頼まれてしまった。仕方なく、クラスメイトとともに近くのホームセンターへと向かった。
学校から徒歩で十五分程度に位置する店で、通学路とは逆方向なので、ほとんど立ち寄ったこともない店だった。クラスの女子から渡されたメモを手にクラスメイトと手分けをして追加分を手にしていく。
カートを押していると、見慣れた姿が背伸びをして、上の棚にある商品をとろうとしていた。手が届くぎりぎりのようだが、やや奥まった置き方をされたものには今一歩届かないようだ。
見かねた郁弥は彼女の元へと近づく。
「店員呼ぶくらいしなよ……」
「なんで桐嶋君ここにいるの」
「クラスの買い出し押しつけられたの。それよりも、これでいいの?」
すっと利桜の顔の横に手を伸ばし、利桜が取りあぐねていた商品を取り出す。利桜の身長も決して低いわけではないが、郁弥よりは低い。目を丸くして郁弥を見ていた利桜は、商品を受け取るとほっとしたようだ。
「ありがとう」
「白崎、他の人と来てないの?」
「来てるよ。ここ広いから手分けしてて、たまたま一人になっちゃったんだよね。そろそろ戻らないとかな。じゃあ、また学校でね」
売り場を離れた利桜に郁弥もならい、クラスメイトと合流をすることにした。
郁弥はクラスメイトと学校へ戻る道中、他愛ない会話が繰り広げられ、当たり障りのない答えを返していた。
「そういえば、桐嶋って白崎さんと仲良いのか」
「なんで」
「最近、一緒にいたところ見かけたから。桐嶋が女子とおるところ珍しいしな」
「そんなに一緒にはいないでしょ。クラスも違うしさ」
傾き始めた日差しが目に入って痛いほどに眩しい。伸びる影が視界に映りこみ、住宅街は橙色に染まっている。
「この間、食堂いたやろ」
そんなところを見られていたのか、と思いつつ郁弥は適当に受け流す。
「そんなの、たまたま」
「だって、お前あの日白崎さんと廊下で一緒にいたのも見たしな」
「なに勘違いしてるか知らないけどさ、あんまり言われても僕も白崎も困る」
利桜も郁弥も、他人にやたらに構われたり、騒がれたりするのは好きなほうではない。それはクラスメイトだったとしてもあまり好ましいものではなかった。
郁弥はそれきり学校に戻るまでの道中、利桜の名前を出すことはなかった。
利桜が買い出しから教室に戻り、女子の輪に交じりながら看板に色塗りをしていると、別のクラスから弓道部の部員がやってきた。
「利桜、部活のほうの準備で確認なんやけど」
「どうしたの? 部長から何か言われた?」
「衣装きたから、運ぶのとそのまま衣装合わせだって」
「そっか。ちょっと話してから、いくね」
看板を塗っていた手を止めざる得なくなってしまう。
利桜は立ち上がると、クラスの仕切っているメンバーに部活で抜けることを告げると、いってらっしゃいと見送られた。
衣装は、振袖と袴を借りているのだが、顧問が懇意にしている貸衣装屋からなので、出向いてくれる手はずになっている。利桜は、神社での新年行事で御弓神事に駆り出されることがあったので、顧問の勧めで今回の貸衣装屋とは顔見知りだった。
そんなこともあって、正面玄関へ向かうとすでに顧問と部長、貸衣装屋はすでに来ていた。
「部長、来るなら言っておいてよ」
「ごめん。わざわざ抜けてきてくれたんでしょ?」
部長と話していると、顧問に言われて借りた着物を預かる。一部は一緒に持って行ってくれるとのことで、人数が少なくてもどうにかなりそうだった。
文化祭の準備で賑やかな廊下を通り過ぎ、弓道部に割り当てられた当日使用する特別教室に入る。顧問が部員たちに「丁寧に扱えよ」と話しており、利桜の手にあった荷物は別の後輩部員にあっという間に取られてしまった。
その場にいた部員で貸衣装屋にお礼を言うと、すぐに文化祭準備の浮き足立つ喧騒に戻っていく。利桜も、教室に入り預かったばかりの衣装の中身を確認して、後輩を呼ぶ。
「柄、どっちがいい?」
「選んでいいんですか?」
いくつかあるうちの振り袖を差しながら利桜が後輩に尋ねると、嬉しそうに選び始めた。部員一人一人に別の衣装を着せるほどは借りていないが、シフトに合わせて組むことはできるのだ。利桜は部長から借りたシフト表を確認しながら、衣装のローテーションを書き込んでいく。
一時間かけて組んだローテーションを部長に渡すと、不満そうな顔をされたので利桜は首を傾げた。
「これじゃ、ダメだった?」
「利桜が好きなの選んでないの知ってるよ」
「私はあとでいいって一番最初に言ったからいいの」
「そう言うと思って、三年で取り囲んだから観念しなさい」
部長の鋭い視線に後ずさりしたくなる。
時々いたずらっぽいところがある利桜だが、人の矢面に立つことをするのはあまり好きではない。弓道部の部長でさえ、先輩から指名されていたのにも関わらず、あっさりと向いてないと断ったほどである。
しかし、目立ちたくなくても周りからすれば、表舞台に引っ張り出させたくなるのだ。彼女が望もうが、望まないが関係ない。
「……いつも勝手なんだから。限定アイスで手をうつ」
「オッケー。じゃあ、利桜も早く選ばないと」
結局、上手いこと駆け引きをするこの部長に利桜は勝てた試しがない。なされるがまま、振り袖の柄を選ぶことになった。
そもそも、店番自体も短時間かつあまり来客対応をする場所ではない位置だったのだが、何の策略だか先日、来客対応を一番しなければいけない位置に変更されていたのだ。
柄を選びながら、郁弥に割引券を渡した手前、あまり無碍にもできないことを思いだしたが、潮音崎高校弓道部では、例年している案内方法があるのだ。
まさか、三年生になってやるはめになるとも思わず、利桜の憂鬱はそれただ一つだけだった。
「やっぱり配置だけでも変更できない?」
「三年でやってないの利桜だけやし、思い出つくりしないさいよ」
選んだ振り袖を畳み直しながら交渉するも、簡単にあしらわれしまったので、今度こそ本当に諦めるしかなかった。
「部長、やっぱりアイス追加で」
「もちろん。三年で割り勘するからいくつでも」
部長の悪魔のようなささやきに、利桜は顔を悔しそうにゆがめたが、周りもにこにこ笑っているだけだったので、大人しく当日を迎えることに決めたのだった。