花の箱庭

 本丸の庭には色とりどりの草花が咲き誇っている。季節問わず咲く花が、審神者の歩く道の横にずらりと咲き並んでいた。山茶花の生け垣の間を縫って進む審神者は、まだ蕾をつけていない青々とした葉の道に埋もれてしまいそうだ。
 というのも、審神者の背よりも七〇センチ程高い生け垣は、どうしても遠くから見ると誰が歩いているのか気が付けない。結果、審神者は本丸にいる刀剣男士の誰にも気づかれずに庭の中心部へ進んでいた。審神者の手には竹製の籠を持っており、中には園芸鋏をいれ、少しばかりの花が摘み取られている。
 審神者は日課として庭に咲いた花を摘み取り、本丸に飾っている。あるものは玄関先に、あるものは食事をとる大広間に。どれもこれも、刀剣と審神者が育てた花が生けてあった。
 山茶花の生け垣を抜けると、蓮が植わっている池に突き当る。風がさあと吹き、視界いっぱいに翻った派手な色彩に、審神者は歌仙か、と気がつく。
「おや、またずいぶんと奥まできたね」
「やっぱりここにいたの……」
 くすりと笑って、肩をすくめたのは歌仙兼定だった。歌仙は審神者の初期刀だ。審神者の近侍を務める機会も多く、今日もその番に割り当てられていた。時々ふらりと放浪してしまうところがあるのだが、たいていはこの池で歌を詠んでいる。審神者は半ば呆れながら、彼の隣に腰を降ろした。この池の近くにいつも放浪していることを知っているのは審神者だけだ。それを込みでわざわざ山茶花の生け垣を進んだというのは彼女だけの秘密だ。
 池の枠に設えられた岩の上に座り、池の中をじっと見つめる。池の中では立派な鯉が悠々と泳いでいた。奇麗だと思いながら眺めていると不意に腕を掴まれ、振り向くと歌仙が少し困ったような表情をして、君は困った人だと言う。
 審神者には意図が分からず、首を傾げたが歌仙の指がぱちんと審神者の額にヒットしたので、審神者は面食らった。
「な、何するの」
「あのまま池に落ちて良かったのかい?」
「子供じゃないんだから落ちるわけ……」
「ふうん、君はこの間のことをすっかり忘れてしまったようだ」
 歌仙の、この間、という言葉に審神者は尻すぼみに、忘れてないもんと言う。それもそのはずで、歌仙の言うそれはつい三日前のことだったからだ。審神者とてそんなすぐの出来事を忘れるほど阿呆でもない。よくよく反省しているつもりだが、歌仙にとっては全然納得できていなかったようだ。だんだんと険しくなる歌仙の表情に審神者も観念し、気をつけるわと納得しきれない表情で申し訳程度の謝罪をした。
「歌仙、そろそろ戻りましょうよ」
「あと一句考えたら……」
「そう言って昨日は二刻も決まらなかったのは貴方でしょう」
 この言葉に、今度は歌仙の方がバツが悪そうに、戻ろうかと短冊を袂にしまい、立ち上がる。審神者もそれに倣い、籠を腕に通し立ち上がった。岩から地面を下りる時、歌仙は外套をふわりとはためかせ、慣れたように下りたが、審神者にとっては何度繰り返しても慣れない動作だ。なんてことはない、岩の段差から降りるだけなのだが、どうにもこの動作が苦手だった。審神者は心のうちでどうしようかと悩んでいると、歌仙がすっと手を差し伸べ、審神者の手の平に自分の手の平を重ね合わせた。
「これなら君でも降りられるだろう?」
「ありがとう」
 審神者がうつむきながら、お礼を言うと歌仙は嬉しそうに目を細めた。そんな表情をしているのに審神者は下を向いてしまったから気がつかない。
その様子に歌仙はさらにゆるりと口角をあげるのだった。
 この本丸には多種多様な植物が生育している。池の横をすり抜け、玄関までの近道を行くと今度は、花壇が出迎えた。審神者の趣味なのか、政府の趣味なのかどちらかは分からないが、風流を愛する文系名刀である歌仙は、この本丸の庭が好きだった。今までに審神者の付き添いで別の本丸へ行ったこともあったが、ここほどすごい庭は見たことがないのだ。
 審神者もこの庭が自慢らしく、それゆえに日課として咲いた花を平皿に生けたり、花瓶に挿したり、時には身なりを気遣う刀剣へあげたりもしていた。つい先日、加州が嬉しそうに自慢していたのが記憶に新しい。
 審神者の持つ籠の中身を見ながら歌仙は目にとまった花があった。それは淡い桃色の一輪の花。
「それ僕にくれないか」
「それってどれ?」
 訝しげに審神者が聞くと、指さしたのは籠の中に入れた一輪の花だった。確か芍薬だったか。審神者は花の名を思い出しながら、歌仙へ手渡す。満足そうに受けとる歌仙は今日一番嬉しいという感情をこめてありがとうと言った。その様子は彼を隊長に任命した時に発するそれに良く似ていた。
審神者の横を当然のように歩き、見下ろす青い瞳は、時々審神者のことを見透かしてくる。審神者は歌仙のそれが少し苦手だった。自分にはない、その知性の光は、審神者が努力したところで手に入るかどうかさえ怪しい。悔しいと思うと同時に、近侍としての彼の能力の高さに感嘆するのだった。
 歌仙は知ってか知らずか、話し出す。
「今日は、そんなに仕事は詰まっていないみたいだね」
「この間が忙しかった分、今日はゆっくりでいいの」
 この近侍はすごく察しが良い。本当に計算ごとは苦手なのだろうかと審神者は考えたが、あてもなく茶器を購入するところを思い出して、やはり計算ごとはお願いできないなと考え直す。
 そもそもこの間は、政府への提出書類の締め日だった。忙しくて当然であり、締め日にならないと提出を受け付けてくれない書類もいくつかある。たまたま歌仙にお願いした書類もあれば、自分自身で作成しなければいけない書類も多く、審神者は締切間際の書類作成と修正を行っていた。無事に提出できたのは言うまでもなく、おかげで今日の午前中はのんびりと過ごすことができる。
 時間の有効活用というように、審神者は日課にいそしんだり、普段は手入れのできなかった花壇に目を向けたりと、思うように過ごすことができている。
玄関に入る手前にある花壇に向かうと腰を降ろす。隣を歩いていた歌仙も同じようにしゃがみこみ、一緒になって花壇を覗き込んだ。
花壇には山吹色の水仙が咲いている。審神者は籠に入れた園芸鋏を取り出し、一輪だけぱちんと切り離した。それを丁寧に籠へ入れる。
この花壇へ行くまでの間にもいくつか採取したので、歌仙と池で会った時よりもこんもりと籠には増えていて、今にも溢れてしまいそうなくらいだ。
審神者が立ちあがった瞬間、揺れ動いた籠からぽとりと一輪地面へと落ちていく。
ぽす、と落ちた花を歌仙が拾いあげた。その様子を審神者がぼんやりと見つめていると、歌仙はきょとんとした表情をしてから、土をはらったから大丈夫だと言って、籠へと戻した。
「歌仙はきちんとものを大切にするのね」
「君が思っている以上には丁寧に扱っているつもりだよ。さっきの花だって、きれいに飾れば、誰も土に汚れていたことなんて気付かないだろう。そういうもんさ」
 そうかしら、と審神者が考えているうちに歌仙は本丸の中へと入っていく。先に行ってしまう背中を審神者は、籠に入った花が零れ落ちないよう気を使いながら小走りに追いかけた。
 洗面所で花瓶に水を入れて、いくつかの花を挿す。
「主」
「どうしたの?」
 隣で平皿に花を生けていた歌仙に声をかけられ、振り向くと彼の手は審神者の頭へと伸びる。びっくりした審神者が思わずに目を瞑ると、その様子がおかしかったのか、歌仙はくつくつと喉を鳴らしながら、眉尻を下げて笑いだした。ゆっくりと目をあけるといまだに笑っている歌仙は相変わらず肩を震わせている。
「そ、そんなに笑わなくたっていいじゃない……」
「ああ、ごめんよ。でも、良く似合っているよ」
鏡をまじまじと見ると、飾り気なく一つに結った髪の毛の頂点に先程採ってきて、歌仙が欲しいと言って手渡した花が挿しこまれていた。少し斜めに身体を傾けるとより見えやすくなり、なるほどと感心したのだった。
 審神者は十分に満足をしてから花瓶を手にすると、歌仙はすでにいくつかの花を置いてきたあとのようで、洗面台からはいくつか花瓶が消えていた。
そんなに長時間、鏡と向き合っていたのかと思うと審神者は恥ずかしくなってきて、歌仙の顔をまともに見ることができない。
今にも顔を覆ってしまいたい気分だ。
「これはどこに置くんだい?」
 歌仙に声をかけられてようやくはっとして指示を出す。彼は全く何も気にしていないようで、花瓶を置いたらいつもの部屋に行くからと告げて洗面所を出ていく。審神者としてはほっとすることができ、洗面台に散らかした花弁や、籠を片づけた。
 廊下に出て、執務室へ向かおうと移動していると前から来た燭台切に声をかけられ、足止めを食らうことになった。燭台切にとっては足止め、なんてことを考えているわけではないのだが、審神者としては先に移動してしまっている歌仙のことを思うとそうなってしまうのは必然だ。
「やあ主」
「これから畑?」
「ああ。今日はたっぷりと野菜を使ったスープにしようかと思っているんだ。主も好きだったよね」
「ええ、もちろん。作業に集中するのはいいけど、水分補給は忘れずにね」
「みんなにも言っておくよ」
 燭台切と別れる間際、彼は審神者の髪の毛に添えられた花に目ざとく気づく。慣れたように誉めるところは流石というべきか。
「よく似合っているね。それは歌仙君からかな」
「……そうだけど、何で分かるの」
「その花、歌仙君が好きそうだなって思っただけだよ。まさか、合っているとは思わなかったけど」
 困ったようにはにかんだ燭台切は、みんなと約束しているからと言って去っていく。歌仙の好きな花ね……。頭にある花に手を伸ばす。生花であるから、すぐに枯れてしまうだろう。     
 なぜ、これを渡してくれたのかは考えてもわからなかった。ただ、嬉しそうに歌仙は微笑んでいて、審神者は拒否することもできない状況だった。
 今まで、歌仙が花の名前を教えてくれることはあったけれど、どれが似合うとか選んでくれるようなことはなかったのだ。審神者が首を傾げるのも無理はない話で、執務室へと急ぎ足で向かう最中に考えてみたけれど、理由は思いつかなかった。
 部屋にようやく到着した時、歌仙はすでに書類整理を始めていた。花瓶をいつもの定位置である出窓のところへ置いて、審神者もそそくさと自分の文机へ向かう。昨日の戦績が記載された用紙が届いており、それは傍に用意している箱へしまった。再度確認したところで変わることはないのだ。
 審神者は今日の部隊を確認し、次の出陣の確認を始める。すでに今日の刀剣は決まっていたが、午後から遠征をお願いする予定で、その後歌仙や燭台切など複数の刀剣男士を交えて翌日の出陣する編成を確定させる。
 この本丸では、夕餉時に翌日の編成や当番を審神者から発表しているので、午後は意外と忙しいのだ。おそらく、先程廊下で会った燭台切も時間になればここへやってくるだろう。
「ねえ、歌仙」
「なんだい」
「さっきこの花、燭台切が誉めてくれたわ。貴方、今まで私にこんなことしたこと無かったのに、今日はどうしたの? すごく不思議だった」
「気分さ。それとも主は何か期待していたのかな」
 書類から顔をあげて答えた歌仙は何でもないように言う。
 少しだけ、何か期待していたのかもしれない。がっかりした気持ちがそう言っていた。
 舞い上がって鏡の前で眺めていた自分が馬鹿らしくなってくる。それでも外せない花が少しくらい歌仙の脳裏に焼き付けばいいと思った。
 歌仙は歌仙で贈った花を気に入っているので、これっぽっちも効き目がないことに審神者は気がつかない。
 気がつくのはいつになるのかは、誰にも分からないことだった。