明日のために優美であれ
「君は百合の花が好きなのかい?」「そうね、好きと言われれば嫌いではないと言ったほうが正しいかしら。この本丸に咲いている花はどれも好きよ」
長義にとって執務室でお互いに仕事をしながら、他愛ない質問のつもりだった。ふと室内の一輪挿しが目に入ったから聞いてみただけ。
苦笑した審神者の答えに、長義は首をひねる。
好きでも嫌いでもない花を飾るものだろうか。長義には、嫌いでもないものをわざわざ飾る美的感覚はわからなかった。
「では逆に山姥切長義。あなたは百合の花が好き?」
じっとりとした視線は、彼女元来の真っ直ぐで頑固な気質を覗かせていた。
「どうだろう。嫌いではないかな」
視界に入れたくないほど嫌いなわけでも、ましてや一番に思い浮かぶほど好きな訳でもない。草花はそこに咲いているから美しいと感じる。人為的な手が加えられたものよりも、自然そのままのほうが好きだった。
「あなたの答えは、私の言いたいことと一致していると思うわよ。ゼロか百で答える間にはたくさんのグラデーションが存在するんだから」
審神者の答えも一理あり、長義も納得できた。
「では、君はどの花が一番好きなんだ?」
「……ふふ、どうしても知りたいのかしら。それに元監査官である長義が聞くの? 野暮で、あまり面白くない質問ね」
長義が監査官としてこの本丸にやってきた時には、すでに審神者は自身の初期刀である歌仙兼定と恋仲だった。監査をしている間には、仲間以上の意識があることしか伺えなかったが、この本丸の仲間になるとよく分かった。
審神者と刀剣男士が恋仲になる、なんてことは特別珍しいことではない。むしろ、閉鎖された本丸ではよく起こり得る事象の一つとして時の政府も認知していた。
最初の頃こそ、恋仲に見えるようで見えないようにも感じられたが、本丸で過ごす時間が長くなるにつれて、この審神者と初期刀である歌仙兼定の関係は、お互いの深い愛情と信頼で成り立っていることを知ることができた。本丸の刀剣男士達は彼女らのゆったりと愛を育む様子にやきもきしていることもあるようだが。
「牡丹と答えたら、あなたは満足するのかもしれないのだけど残念ね」
「違うのか」
「ええ、ぜひ当ててみてちょうだい。もしも正解したら……長義の要望を一つ叶えようかしら。私が出来る範囲でね」
でも、山姥切国広関連は受付ないわと審神者はにっこりと付け加えた。刀剣男士達と絶妙なバランスを長く保ってきた審神者らしい答えだった。
「それはいつまでに答えればいいのかな」
「三日後までにしましょうか」
「わかった。見事に答えてみせるよ」
挑戦的な笑みを浮かべた長義に審神者は頑張ってねとエールを送った。
* * *
「君、山姥切長義に何か焚き付けたのかい?」
翌朝、審神者が厨房の手伝いに入ると真向かいで忙しなく包丁を動かしている歌仙に聞かれた。すでに知っているとは、山姥切長義がどんな風に答えを探しているのか想像ができた。
「焚き付けたって、人聞きが悪いわ」
「僕もその話聞いたんだけど、主にしては珍しいよね」
歌仙の後ろで火加減を見ている燭台切も会話に加わる。横でけらけらと、俺も詳しく知りたいと鯰尾まで会話に入ってくる始末だ。
「だいたい、ここまで聞いてくる時点でみんな知ってるんじゃないの?」
「いや、それが詳しくは知らないんだよね」
「俺も聞いても主との秘密だそうで教えてくれませんでした」
「そうなのね。それじゃあ、私からも教えられないわ」
審神者の余裕そうな微笑みに、一同はそれ以上詮索しようとはしなかった。
どうやらそれなりの事情があるらしいと思ったものもいるほどで、別に困ることではなかったので審神者もその後の様子を放置していたが、気になるものはそれなりに気になるようだ。
「君にしては珍しいね」
「そうかもしれないわね。でも、長義にとってはいい糧になると思って、つい乗っかってしまったのよね」
盛り付けをしながら審神者が楽しそうに話すので、歌仙も審神者と長義の問答の末を見守ることにした。
審神者が朝食を配膳していると、今度は起きてきた刀剣男士達に囲まれる。
「あるじさんおはよーごさいます!」
「主殿、おはようございます」
「おはよーさん」
「今日もいい花を選んだね」
口々に挨拶をしながら、審神者の持っていこうとしていた膳を持っていかれてしまう。審神者も礼を言いながら新しいものを渡したりしていると、配膳はあっという間に終わった。
今朝も賑やかな朝食の時間が始まろうとしていた。大広間に思い思いの場所に座った姿がずらりと並ぶ。
部屋の端っこにいようと思っていた審神者に、声を掛けたものが一振。
「今日はこっちなんてどうだい?」
銀髪を緩くまとめ、くすりと流し目が似合う大般若長光が珍しく審神者を横にと勧めてきた。
「大般若からのお誘いなんて珍しいわね」
審神者もお誘いを不快に思うこともなく、話題の予想をつけていると、そのままの答えが彼から出てきた。
「察しがついてるんだろう?」
「ええ、そうね。せっかくだし、お邪魔しようかしら」
そう言って審神者も彼の横に座る。大般若のいる一角は刀派長船がそろい踏みだった。長船の末席でもある山姥切長義は南泉一文字らのいるやや離れた場所にいたが。
大般若長光のほか、同じ長光である小豆長光、その系譜にあたる小竜景光、謙信景光と揃っていれば祖である燭台切も嬉しそうに目を細めて審神者を彼らの一席に迎えいれた。
「きょうは、あるじはここでたべるんだね」
「いっしょでうれしいぞ!」
「ええ。せっかくお誘い頂いたから、お邪魔させていただくわ」
「俺らには聞かせてくれるのかな?」
興味津々といった様子を隠さない小竜に、どうでしょうと審神者はおどけてみせる。長義が同族である長船派にも何も聞かなかったのならば、審神者もわざわざ喋るようなことはしないつもりだ。そもそも、燭台切は先程の厨でのやり取りを覚えているのだから、制してもよいのだが。
そこは、少しでも聞けるなら聞こうというスタンスも伺いしれたので、審神者は気にとめない。
「今日のお味噌汁は、小松菜が入ってるのね」
「たくさん採れて余ってたんだ」
のんびり審神者が食事を進めるので、他のものも詮索してはいけないと気がついたらしく、聞くのを止めた。代わりに、燭台切が別のことを言い出した。
「主、最近は歌仙君とどうなの?」
「……どうって、どうもないわよ」
今までの様子と明らかに違う反応を見せるので、おや?と皆も聞きたそうに耳を傾ける。中々審神者の口から歌仙とのことは話したがらないが、実際のところ聞いてみたいものは少なくはない。基本的に紳士的な対応を見せる彼らではあるが、聞きたいか聞きたくないかで言われたら後者だろう。
「本当かい?」
大般若がいやに喰い付いてきたので、審神者は曖昧に微笑む。
「そんなに気になるのかしら」
「いや、燭台切が聞くから答えてくれるかと思ったんだよ。最近さらに別嬪さんになったと思ったのに残念だ」
「ありがとう。口説いても、今日の部隊編成は変えないわよ?」
非番になりたそうにも聞こえたので、口説けばいいものではないと跳ね除ける。その様子がおかしかったのか燭台切は笑い出すし、小竜も同じことをするし、謙信に至ってはまだ謙信には早いと小豆が耳を塞いでいた。
「色々聞くのはいいけど、朝一の出陣部隊はもうすぐ出立の時間だから、早くしないと中途半端な朝食になるわよ」
少し離れたところで、食べ終わったものが立ち上がるのを見た審神者は発破をかけた。
長義が一度目の解答をしにきたのは、翌日の昼のことだった。
書類仕事があまり立て込んでいなかったので、審神者が庭の植木の手入れをしていた時のことだ。
「やはりこれしか思いつかない」
ちょうど審神者の手には摘み取った大輪の牡丹があった。彼女が愛情を注いでいる歌仙兼定にも牡丹の花の印象があるので、どうにも拭いきれなかった。
「最初に違うって言ったじゃない。まだ時間はあるし、みんなにも聞いてみればいいわよ」
「他のものは知っているのかな」
「いいえ。長義に初めて質問したのよ。だから、みんなで考えてみても楽しいんじゃないかしら」
長義だけで思いつかないのならば、仲間の手を借りればいい。一振だけで考えるのには限界がある。戦と同じように戦略を立てるのもありだと審神者は説明した。
「これは戦じゃないだろ」
「そうね。でも、もう少し肩の力を抜いてみてもいいんじゃない?」
「……善処してみるよ」
長義の言葉に審神者も頷く。仲間と共闘できないわけではないが、この本丸にきた経緯も他の刀剣男士達と異なっているので、審神者としてはなるべく色々な刀剣男士達と関わって欲しいと思っている。
今回のことが、彼にとって良い経験になるといいし、ひいては本丸内の活性化に繋がれば一石二鳥だろう。新しい刀剣男士達も、馴染んでないわけではないし、お互いにコミュニティを築いているので問題はない。それでも、審神者なりに思うところもあり、今後も長義のような刀剣男士が増えるならば色々と考えていく必要もあるだろう。
「はい、これあげるわ。良かった部屋に飾ってみて」
切り取ったばかりの真っ白な花を咲かせた牡丹を長義に手渡した。戸惑いがちに、ありがとうと長義が言うと審神者は優しく微笑んだ。
「あなたには百合も似合うと思っていたんだけど、真っ白な牡丹もよく似合うわね」
「……褒めてもらえるなんて光栄だよ」
審神者からの素直な賛辞に慣れない長義は足早にその場から帰ってしまう。審神者は長義の背中をしばらく見つめていたが、すぐに作業に戻った。
長義が自室へ行くと、南泉一文字が縁側で日向ぼっこをしながらお茶を飲んでいた。
「んにゃ、お前珍しいもの持ってんだな」
「ああ、主からもらったんだ」
「へえ。……んで、答えは合ってたのか、にゃ」
南泉も気になるらしい。一部では酒の肴にされ、賭けにされていると主が知ったら何と言うのだろうか。彼女のことだから、怒ることはしないだろうが呆れるくらいの反応は示すのが想像できた。
「それがさっぱりわからないんだ」
「お前にわかんないなら、オレもわかんねえな」
「ねえ。主はどの花が好きだと思う?」
わからないなら、誰かに聞くしかない。南泉に聞いたところで答えが見つかるとは思わないし、本当に知りたいのならば、より古株のものに聞いたほうが早いに決まっている。
「は? お前、あの人そんなことしてたのかよ」
「まあ、言葉遊びの延長線だよ。これが意外に難しいんだ」
面倒そうに視線を向けた南泉に別にいいだろうとでも言いたげな視線を送ると、南泉はふーんと興味なさげにお茶を啜った。
「もうしばらく考えてみることにするさ」
「頑張れよ」
投げやりなわりに南泉が世話焼きっぽいところがあるのを知っている長義は、きっと誰かしらに聞いてくれるのだろうと勝手な予想をしていた。
* * *
長義と約束した三日後になった日に、どうやら質問の内容を把握した歌仙が審神者の執務室にやってきたのは、朝食も終えて二刻経った頃のことだった。長義なりに色々と考えているのはここ二日の様子で知っていたが、歌仙に憤慨されるとは思いもせず、目を丸くした。
「主、僕にも教えてくれないことをどうして長義に言ったんだい」
「……歌仙には聞かれたことがなかったからよ。それに、あなたは私の好きなものをたくさん知っているじゃない」
怒らなくてもいいでしょ、と続けようとした審神者は歌仙の表情を見て、口先まででかかった言葉を飲み込んだ。歌仙は明らかに、審神者が教えてくれないことに怒っているし、このまま拗らすと何が起きるかも予想できたからだ。
「君と僕の仲なのに、教えられないことなのかな」
目の前に腰を下ろした歌仙が審神者の手を握る。聞きたくてしょうがないようである。
「長義と当てられたら、要望を一つ叶えるって約束してしまったから難しいわね」
さらりと言う審神者は、歌仙にあれこれ言い含められる前に躱さなければと内心焦っていた。審神者は歌仙のお願いに弱いのだ。それを歌仙が知らないはずがなく、甘く言いくるめてくる可能性も有り得た。
「もしも僕が当てたらどうする?」
「歌仙たら大人気ないこと言うわね」
「君が教えてくれないからだろうに」
「でも、ダメよ。長義との約束したから、答えられるのは長義だけ」
文句ありますか、と審神者が言うと歌仙も今回だけだよと握りしめた手を開放した。
「出陣部隊が帰還するから玄関に行ってくるわね」
「僕も一緒にいこう」
押し問答をしていた時間は僅かな時間で、玄関に向かう間は戦績や、今後の予測など事務的な会話になっていく。
玄関へ着くと帰還したもの達で賑やかだった。
今日の部隊長は厚藤四郎で、誉をとってきたのは山姥切長義だった。
「大将、無事に戻ったぞ」
「お疲れ様。あら、資材もあるのね」
「おう。あと、今日の誉は長義だった。俺も次は誉とれるよう頑張るぜ!」
「楽しみにしてるわ。落ち着いたらでいいから、部屋に来てね」
「すぐいく」
部隊長にはいつも報告を執務室で聞いているので、労うのもそこそこに他の刀剣男士達に声をかけていく。審神者が一振ずつそれぞれの様子を確認して安堵していると、ふわりふわり桜の花弁が彼女の頭の上に舞い降りてくる。
顔を上げると、長義が優美に微笑むばかりで、意外にも何も発さなかった。てっきり、彼は当たり前のように誉のことを言うと思っていた。
「長義もお疲れ様。今日は大活躍だったみたいね」
変わらず降り注ぐ桜の花びらに審神者は目を細めた。目の前を落ちてくるのも気にしないで、彼女の頭には花びらが積もっている。
「たくさん降らしてしまったね」
長義が頭に積もった花弁を払い除ける。審神者は大人しくされるがままになっている姿をまじまじと見ていた長義は、周りに皆がいないのを確認してからぽつりと言った。
「俺の間違いではなければ、君が好きな花は僕らの誉桜なのか……?」
そろりと顔を上げた審神者は、長義が今まで見たことないくらいの優しい笑みをしていた。
「よくできました」
ぱちぱちと小さく拍手をした審神者に、若干の居心地悪さを感じた。それでも、審神者は表情を崩すことなく、床に落ちた桜の花びらを拾い上げた。
「この花弁は、私が戦場に出られない代わりにみんなが白刃を煌めかせてきた勲章。だから、この本丸の庭に咲くどの花よりも大好きよ」
「君にそこまで言われたら、次も頑張らないとだね」
そう言った長義も、審神者と同じように顔を綻ばせたのだった。
* * *
後日、審神者の質問に見事正解したので要望を一つ聞き入れてもらい、審神者と共に現代へとやってきていた。なんでも、見たい展示があるらしく審神者もひとつ返事で了承した。
お互いに目立ちにくく、現代に溶け込めるように服装を合わせたが、審神者の横にいる長義は元の見目の良さも相まって結局目立っている。長義の要望は叶えたので、美術館に併設されたカフェで休憩をすることにした。
「髪も黒にしたら、もう少し目立たなかったかもしれないわね」
「すっかり忘れていたよ。次は気をつけることにするよ」
「ええ。……あと、長義は帰ったら歌仙に手合わせをお願いされないといいわね」
ショートケーキを一口サイズにフォークで切り分ける審神者の不穏な一言は、長義の表情を曇らせるには十分だった。
「別に脅かそうとしているんじゃないけれど、私が歌仙と一緒にくることが少ないから、もしかしたらと思ってね」
「それを脅しというんじゃないのか? 君、意外と曲者だよね」
「お褒めに預かり光栄です、元監査官殿」
くすりとした審神者に、長義も呆れつつ目の前のショートケーキを頬張るのだった。