前日譚

 慣れない着物を身につけ、雪道をそぞろに歩いた女はゆっくりと開いた門を式神のこんのすけとくぐり出た。音の吸い込まれる雪道を真っ直ぐ進むとようやく姿を現した建物。それが、女の――審神者の新たな家だった。
 引き戸をあけようとする前に、高く降り積もった雪のせいで手は悴みなかなか戸を引くことができない。がたがたと何度がぐっと押すと、ようやく戸が開く。
 玄関に入り、ぼんやりと眺めること数分。薄暗くひんやりとした本丸内に足を踏み入れた。暖房なぞ効いているはずのない中は吐息が真っ白に見える程冷え込んでいた。
 審神者の前をこんのすけがてとてとと歩く。本丸内を案内してくるのかと思いきや、こんのすけはとある部屋の前で立ち止まった。審神者が障子をじっと見つめるとこんのすけが特徴的な甲高い声で話し出す。
「審神者様。こちらの鍛刀部屋にて初期刀をお選びくださいませ」
 こんのすけの言葉に審神者はどきりとしながら鍛刀部屋へ入った。ぱちぱちと炉の中の火の粉が爆ぜる。
部屋の中央には既に五振りの刀が鎮座していた。
 すらりとした刀身が部屋の中できらりと輝く。一見それらは同じようで、異なるものだ。刃の長さも、打ちのけも、刃紋もまったく異なる。審神者は言葉が出なかった。何と表現していいのか、口にする言葉は、果たしてそれで正解なのか。自問自答した結果、審神者は瞬時に言葉を発することを憚れたのだった。
「これが初期刀……」
「審神者様の御自由に選択なさってください」
 審神者として先程着任する前まで、審神者なる者として研修を受けていた。選びとれる初期刀は五振りのうち一振り。
 初期刀は、加州清光・陸奥守吉行・蜂須賀虎徹・山姥切国広・歌仙兼定の五振りと決まっていた。誰が決めた基準かは知らぬが、そうと決まっているのだ。
 審神者は初期刀と呼ばれる各刀剣の概要を思い出す。短期間に詰め込まされた知識はひどく曖昧で頼りない記憶だ。
そもそも、数多ある刀剣の中から何故、五振りだけ指名され一振りのみ選びとれるようにしたのだろうか。
最初の審神者がそう決めたのかもしれないし、もっと違う何かかもしれない。
 今、この瞬間に決めた一振りでいいのか、それさえも確信が持てなかった。本当は自分には何一つ持っている力はなく、ただ流されるままなのではと思うほどだ。
「どうかされましたか」
「いや、何でもないわ」
 心配げに見上げるこんのすけに審神者は濁した答えを返す。それからもう一度、五振りの刀が鎮座した部屋の中央を見据えた。部屋の柔らかな橙の灯りに照らされて刀身は煌めいている。一振りずつゆっくり、じっくりと視線を移していく。順番に見てから、審神者はある刀へ視線を戻す。
 歌仙兼定。審神者の目に留まったのはその銘を持つ刀だった。二代目兼定――通称之定の作だ。元の主は戦国武将、細川忠興。審神者は少し前に叩きこまれた知識を総動員して思い起こす。
 どのくらい逡巡しただろうか。審神者がゆっくりと閉じた瞳を開けて、前を見据えた時、こんのすけは審神者の肩に乗っかり、顔を覗き込んでいた。
「……びっくり、したわ……」
「もう随分と悩んでらっしゃったようですが、お決まりになりましたか?」
「ええ、決めたわ」
 どちらに?と続けたこんのすけに審神者は腕をゆらりと伸ばして、歌仙兼定を指し示した。
「歌仙兼定にするわ」
 審神者の言葉に、目の前に現れていた刀剣は四振りがすっと消えてなくなり、一振りだけ残った。審神者が驚いたのも束の間。次の瞬間に刀が光を発したかと思えば、大量の桜の花びらが乱舞する。視界いっぱいに広がった薄桃の花びらの嵐が静まると審神者より幾分か背の高い青年が現れた。
 青年は優雅な動作で、口を開けた。
「僕は歌仙兼定。風流を愛する文系名刀さ。どうぞよろしく」
 ふわりと笑みをたたえる青年は歌仙兼定と名乗った。審神者はぱちくりと目を瞬きながら歌仙を見上げた。
 柔らかに靡く薄紫の髪、前を見据える清廉潔白な青い瞳。意志のはっきりとしている口元。男性の顔立ちにしては、どちらかと言うと女性的だが、凛々しい眉が男らしさを出していた。服装は和装。漆黒、薄藍、灰の袴。漆黒の外套の裏地は鮮やかな牡丹が描かれた派手な色彩だった。
 歌仙の発した、風流はこの服装にもよく反映されていると審神者は思った。
「君が僕の主かな」
「ええ、そうよ。こちらこそよろしく」
 ようやく選んだ初期刀に審神者はにっこりと挨拶をする。優しそう、そんな第一印象を受けたのが歌仙だ。
 挨拶も早々にこんのすけは、審神者の肩から飛び降り、本丸内を案内致します、と明るい声を弾ませた。
 こんのすけの後に続いて審神者と歌仙は廊下を歩く。暖房の効いていない木造の本丸は突き刺すような寒さだ。おまけに廊下は外と面しており、雪の舞う外気そのままが、審神者の肌を、歌仙の肌を刺すのだった。
 大広間から厨房、浴室、洗面台、厠と矢継ぎ早に説明をされ、一番最後に入った部屋は審神者の執務室となる部屋だった。八畳程の畳の部屋だった。
 真新しい井草の香りが部屋に入った瞬間に感じとれた。本丸自体そのものがまだ真新しい作りだが、畳の部屋がより一層そう感じさせている。
 審神者と歌仙はほぼ同じ動作で部屋に入った。ぐるりと部屋を見渡し、それぞれの視線が互いに向けられ、不思議そうな顔をしたのは歌仙の方だった。
「どうかした?」
「いや、この本丸はいい作りをしているね」
「……そうなの?」
 楽しそうに目を細めた歌仙に審神者は首を傾げた。審神者と歌仙ののんびりとしたやりとりに、こんのすけが退屈そうに眺めてから一言。
「次のお部屋にご案内いたします」
「まだ部屋があるの」
「ええ。審神者様の私室のその先にある書庫へご案内いたします」
 恭しく頭を下げたこんのすけに審神者も歌仙も随分広いのだと認識する。私室をあとにして、審神者と歌仙は再びこんのすけの後についていくこととなった。
 審神者の私室からすぐ出た突き当りにあるのが書庫だ。本丸の中でも奥の奥、最奥に位置するのが書庫だった。中は広いが、所狭しと並んだ棚の中にはめいっぱいに詰め込まれた部屋だ。審神者の背よりも幾分か高い棚は天井に届きそうだ。
 審神者は感心したように、感嘆のため息を吐く。瞳には、好奇心と探求心がない交ぜになった光が宿っていた。
「こんなに大きな書庫なんて素敵ね」
「一応、この部屋は戦に関する様々な書物を置いております。何かの際にはお調べになられるのも一つかと……。私から以上になります。さて、ここからは審神者様達にして頂くことばかりになります。どうぞよろしくお願い申し上げます」
 こんのすけがきゅっと目を細めて、恭しく頭を下げた。審神者はこんのすけの言葉の意図についてほんの一瞬、思考を巡らし横にいた歌仙に振り向く。にっこりと微笑む審神者につられ、歌仙も表情を和らげた。
「腹が減っては戦はできず。まずはお腹を満たしましょう?」
 くるりと向きを変え、審神者は厨房へと方向を変えた。本丸の最奥から比較的本丸の手前に位置する厨房までは多少の距離がある。無言のままでも良かったが、どうせこれから一緒に生活をするのだからと審神者は歌仙へ適当な話題を話す。
「私の自己紹介しようかしら。……名前は、まあ、そこまで重要でないから貴方が好きな呼び方でいいわ。年齢もいいか。どうせ、歌仙よりはうんと若いわけだし」
 案外、伝えることがないのかもしれないと審神者が内心で考えあぐねていると、歌仙が、ふふと笑いだす。
「君の好きな献立は何かな」
「え、えと、ごはんとお味噌汁が揃ってればおかずは結構何でも好きかな」
「じゃあ、お味噌汁の具材は」
「それなら、ねぎとお豆腐のが一番好き。ねぎが少しくたっとしているのがいいの……。歌仙も絶対食べたらやみつきになるわよ」
 歌仙の助け船が功を奏したのか、審神者は生きいきと語り出す。審神者のお味噌汁の具材は何がいいのか、という談義に厨房まではあっという間だった。
 まだ誰にも触れられていない厨房はひんやりとしていて、まっさらな空気をまとっている。外が雪景色なのも相まって、厨房はより一層空気が澄んでいる気がした。
「まずは何があるのか確認しないとね」
 審神者は冷蔵庫の前に向かう。果たして用意があるのか怪しいところではあるが多少の望みをかけて審神者は冷蔵庫の扉を開けた。中には玉子、牛乳、納豆、豆腐、玉ねぎなどの食材が詰め込まれていた。なかなかに親切な計らいである。米櫃を確認すればきちんと精米された白米が入っており、しばらくは食材に困ることはないだろう。
 後ろに控えていた歌仙に審神者が食材を手渡すと歌仙は納得したように作業台に移す。その様子に審神者は頭に思い浮かんだことを素直に口にした。
「歌仙って料理できるの……?」
「もちろんさ。君の口にも合うように作ってみせるよ」
「私も一緒に作るんだから、味が合わないってことはないでしょ。折角ここでの初めてのご飯だし、美味しくしたいわね」
 審神者が慣れない着物の袖をたくしあげようとしたところ、歌仙が少し低い声で、主、と呼んだ。瞬時に横に振り向いた審神者は、歌仙の表情に動きを止めた。何かしてはいけないことをしただろうか。それとも、彼にとって気に食わないことがあったのか。審神者は歌仙の考えていることが分からず、困惑した表情を浮かべた。多少、上擦った響きになったが歌仙の名を呼べば、呆れたように溜息を吐かれた。
「袖は紐で結ぶんだよ。君の時代では見たことがなかったかい?」
 仕方ない主だね、と言いながらもどこから取り出したのか、きれいな赤い紐を審神者の着物にたすき掛けをしていく。手際よく結ばれた紐は後ろでかた結びで止め、余った長さがぶら下がるのを蝶結びにして、見栄えもよくなっていた。
 思ったよりも素直に受け入れた審神者に歌仙は目を細めて、審神者と同じ高さにしゃがみこみ、顔を覗き込んだ。突然の近さに審神者は面食らったがそれもほんの僅かで、歌仙は満足げに頷いてから、まな板と包丁を取り出す為に水道の下にある収納へと向きを変えた。
 審神者も歌仙の数秒遅れて、ようやく動き出しお米を炊くために炊飯器からお釜を取り出すべく作業台から離れた。心の中で審神者は一瞬の出来事が理解できずにもやもやしていたが、歌仙が楽しげに食材の下ごしらえの姿を見て、神様の気まぐれだと思い込んだのだった。
 審神者の手際に歌仙が驚くのはすぐのことだった。不思議そうに見上げた審神者は、歌仙の顔を見てぷっと吹き出した。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないか……」
「だって、あんまり驚いた顔しているからつい、ね」
「君が料理できるなんて聞いてないからさ」
「まだ言ってなかったからいいの。ほら、お湯が沸騰しているわ」
 穏やかな口調で続けた審神者に歌仙は頷く。審神者は次のおかずの下ごしらえに入っていて、楽しげに冷蔵庫の中身を確認していた。ぴんと伸びた背筋に思わずどきりとしたが、きっと何かの間違い。己の主である審神者のことなどたった数刻前に会ったばかりなのに、思うところなんて、ありようがないのだ。
 お味噌を箸で溶きながら歌仙はでも、と考える。
 まだ年若い女がたった一人、管狐を従えて自分を待っていた。見開いた視界の目の前で、気の抜けたような表情でよろしくと言う。つい先程のことなのに、それが至極当たり前のように感じた。審神者の姿を見ただけで自分は彼女のことを『己の主』として認識し、こうしてご飯の準備をしている。不思議な始まりで、面白いほど事が進んでいく。
 審神者の発する言葉に嘘偽りが一つもないだろう。この歌仙兼定を選んだ人間だ。歌仙自身の目で、第一印象で感じた。これからどれほどの事が起きようとも、この主には敵わないかもしれない。
 この身体の仕組みがよく分からなくとも、それだけが確かな認識として歌仙の心の奥底に静かに沈む澱のように着地した。
「主、こっちはもうできそうだよ」
「そしたら、ご飯をよそわないとね。お茶碗なんて備わってるのかしら?」
 楽しそうに声を揺らす審神者はちょこまかと扉を開けたり閉めたりしている。お茶碗を探しているのだと気がつくのに時間はかからない。下の戸棚ばかりを探している審神者に、歌仙は肩をつつく。歌仙のいたすぐそばの戸棚に二つのお茶碗を発見したからだ。
 振り向いた審神者が歌仙の指をさす方向を見やると、すぐに同じ薄藍の茶碗が目に入る。
「ありがとう」
「どういたしまして。さて、作ったものが冷めてしまわぬうちに用意しようか」
「そうね」
 それぞれがご飯をよそい、お味噌汁をお椀に流し込み、審神者が準備をしたおかずはお皿に盛られた。全てをお盆にのせて、だだっ広い広間に向かう。ぽつんと置かれた丸い机に用意をしていく。全てを机に並べたら、審神者と歌仙のそれぞれの目が合い自然と流れ出た言葉は同じだった。
「いただきます」
 審神者が大好きだと言うねぎとお豆腐の味噌汁をすする。
「やっぱりこの具材が好きだなあ」
「口にあったようで嬉しいよ」
「そうね。歌仙の作るご飯はとっても美味しいのね」
 嬉しそうに顔を綻ばせた審神者に歌仙はとても満たされた心地になったのだ。