処暑の泪
審神者がこんのすけから知らせを聞いたのは盆の終わりの頃だった。「審神者様、そろそろ里帰りなんていかがでしょうか」
「里帰り?」
「ええ、そうです。審神者様もだいぶ長くお勤めをされていますから、是非休暇をお取りくださいと時の政府より打診がきております!」
こんのすけの甲高い声を聞きながら、里帰りか、と審神者の思考は沈んでいく。この間帰ったばかりだと思い始めると、ここを留守にする時間が惜しいとさえ思う。長期間、本丸を離れて実家に帰るのは気が進まなかった。
「この間帰ったばかりだし今回はいいよ」
「よろしいのですか? 審神者様のご実家は――」
「去年はちゃんと帰ったし大丈夫よ。たぶん、誰も気にしないわ」
こんのすけの言葉を遮った審神者は話を適当に切り上げてしまい、情けない顔をしたこんのすけを部屋からつまみ出した。
こんのすけのいなくなった部屋で審神者は文机の引き出しから、いくつもの封筒を取り出した。形も大きさも色も異なる封筒からの差出人は全て同じ文字が書かれていた。宛先はすべて審神者宛てで、審神者が取り出した手紙には毎度のごとく書き連ねてある言葉は同じだ。
差出人は審神者の祖父からだ。審神者の祖父は同じように審神者の職務についていた。審神者なる者の中には、家族が審神者だったものもいるので、不思議なことではないが、祖父は審神者がこの職務につくことを好ましくは思っていなかった。審神者になったのは審神者自身の意思だが、祖父が絡んでくるのは正直なところ苦手だった。
審神者が現世へ帰省する場合、刀剣男士が護衛でついてくることが許可されているが、祖父が護衛を連れてくることを拒否したために、審神者は一人だけで帰省をしたのだ。何が祖父の琴線に触れるのかは審神者も知らず、孫なのに祖父から審神者について教わったことは何一つない。
審神者仲間にこのことを話すと大層、不思議がられるのだ。同じような経緯の審神者達は親や祖父母から聞く機会があるのに、審神者には全くない。日々、情報交換をすることで審神者は自分の職務を全うしていた。
そういった経緯を踏まえ、審神者は帰省にはあまり興味がなかった。わざわざ実家に帰ってまで説教をきくつもりもない。どうせなら友人達と会う予定がある時にまとめて休みをとりたいものだ。
久々に読み返した手紙の内容にやはり納得はいかなかったが、最近届いたものについては返信を済ませてあるので、再び引き出しの中に戻したのだった。
気晴らしに廊下を出て広間を目指しているとにっかり青江に出くわした。
「主どこにいくんだい?」
「広間。廊下は暑くていやになっちゃうわ。青江は?」
「ちょうどこれを君に渡しに行くところだったんだ。さっきこんのすけから預かってね。渡し損ねたと言ってたけど、あの狐と何かあったのかい?」
「世間話をしていただけよ。ありがとう青江」
「うん、ちゃんと渡したからね。差出人不明だなんてちょっとどきどきするね」
「はいはい」
審神者は青江から手紙を預かる。差出人不明の手紙が届くなんておかしな話だが現にきてしまったのだから、審神者はその場でのり付けされた部分をびりびりと破いた。
中から出てきた手紙を読んだ審神者はぼとりと封筒を床に落としてしまった。なんていうことだろう。乾いた笑いしか出なかった。かろうじて落としてしまった封筒を拾い上げたが、手元がまだ震えている。
「……何で貴方が知っているのよ」
差出人は書いてなくとも筆跡で分かった。審神者は自分自身の本丸でのことを祖父に報告したことがなかった。それなのに、祖父は審神者と歌仙の関係を知っていることを仄めかすような文章を送ってきた。手先が震えて上手く手紙を持てなかった。広間に行こうにも、こんな顔じゃあ、震えた手先では皆に何かあったと心配されてしまう。
結局、審神者はもと来た道を戻ることになった。
再び部屋に戻ってきた審神者は、誰かに連絡をとりたくてしょうがなかった。生活はアナログな部分が多いにしても、連絡手段だけはきちんと回線を通しているので、いざという時には役に立つ。
相変わらず震える手をどうにか動かして機械を立ち上げた。どうにもこうにも、こんな話を誰にすればいいのか見当もつかなかった。画面をスクロールしながら、宛先を考えても思いつかなくて電源を落とした。
畳に倒れ込んで深呼吸をしたが、どうにも上手く吸えない。顔を覆って、ゆっくりと外と視界を遮断した。
「ああ、まったくこんなところで寝転んで……」
審神者を探していた歌仙は障子を開けて呆れた。どこにもいないと思ったら私室で寝転んでいる。珍しく机の上に広げられた手紙を拾い上げた。
歌仙は手紙を読んでから顔をしかめた。審神者にこんな不躾な手紙を差し出したのは誰だろうかと思ったが、宛名を探しても分からず歌仙はため息を吐いた。
歌仙と審神者が恋仲なのは本丸内では周知の事実だ。それを手紙で脅迫めいた言い方をしてくるのは、さすがの歌仙も気分が悪い。眠っている審神者を起こそうか迷ったが、眠っている彼女を起こすのは忍びなく、隣に座ることにした。
審神者は自分の顔を手で覆っている。歌仙は静かに審神者の手を下ろした。このままだと重いのではないだろうか。微妙に顔に赤く痕がついていた。
審神者の顔に手を延ばして撫でてみても身じろぐ様子もない。こんな風に寝ているのも珍しいが、いつ起きるつもりなのか。しばらく観察していても起きる様子もない審神者をとんとんとつつく。
「んっ……」
「まだ起きないのかい?」
「え……あ、歌仙……?」
ようやく目を覚ました審神者に歌仙はゆっくり声をかけた。
「こんなとこで寝ていると風邪引くよ」
「ええ、そうね」
「あと、顔に痕がついているよ」
歌仙は自分の頬を示すと審神者は慌てて自分の顔をぺたぺたと触り出す。触ったところで変わりはしないのだが、面白いくらいに触っていた。
「触っても消えはしないよ」
「分かってはいるけど、だって恥ずかしいじゃない?」
「それは、君が手をのせていたからだろう」
「そうだけど……」
審神者が悩ましげにしている横で歌仙は微笑んでいた。けれども、手紙の差出人を聞きたいところではあるが、まだ覚醒しきっていない審神者に聞いたとこで回答を得られないだろう。機会をみて聞くことにしよう。
「主、痕がとれたら明日の話をしたいから執務室でいいかい?」
もともと審神者を探していたのは、この約束を取り付ける為だった。明日の編成の確認をするのは最早日課なので、だいたい夕刻だ。審神者も頷いたので歌仙もそれを見て部屋を出たのだった。
審神者は目が覚めてから文机に目をやると、寝る前に見ていた手紙の置いた位置が変わっていることに気がついた。手紙を広げたままにしていたので、歌仙が読んだのだろうとはすぐに検討がつく。手紙をたたみ直し、封筒に入れて文机の中に入れ直した。他の誰かに見られるなんて耐えがたく、審神者はもう一度確認をして引き出しを閉めた。
部屋を出る前に、振り返って机の上を確認してから部屋を出た。
窓から濃い橙色の光が差し込んでいた。この時期の廊下は蒸し暑くて仕方ない。茹だるような暑さの廊下を進んで厨房に顔を出すと、冷房が効いているおかげ中は涼しい。
「あれ主どこ行ってたの?」
「部屋にいたけど」
「歌仙君が探していたから、どうしたかなって思ったんだけど」
困ったような顔で燭台切が夕餉の準備をしながら尋ねた。
「さっき部屋にいたわよ。私のこと探していたのね……」
「会えたらなら良かった。そうだ、主これ味見していってよ」
燭台切は菜箸で切り干し大根を審神者の口に運ぶ。普段の味見は厨房にいるものだけで行っているが、たまにこういうことがあるのだ。審神者は口をもぐもぐと咀嚼して飲み込んでから燭台切に、おいしいと伝えた。
「良かった。ありがとう」
「どういたしまして」
審神者は冷蔵庫から麦茶を取り出してお気に入りのコップに注ぐ。麦茶で喉を潤しながら、燭台切の流れるような手順に惚れ惚れとしていると、彼が振り向いた。
「見られているとやりづらいな」
「いつも通りに見えたわよ。あとで、執務室で明日の編成の話をするけど大丈夫?」
「うん、わかったよ。これ作ったらいくね」
快く返事をしてくれた燭台切はまた作業へと戻る。審神者も新しく麦茶を注いでから厨房をでることにした。明日の編成を話すには、出陣の部隊長にしている鯰尾に声をかけておく必要がある。今の時間、本丸のどこかにはいるのだが、しょっちゅう部屋を移動していることがあるため、あちこちの部屋に顔を出す必要がある。
硝子をはめ込んだ格子戸に写った顔を審神者は確かめ、寝ていた時の痕が無いことを確認してから部屋に入った。
審神者が入った部屋は本丸の中でも一、二の広さを誇る広間で、本丸の全刀剣男士が集まる夕餉や、酒宴の時に使用する部屋だ。平時であれば、思い思いに部屋で寛いでいるので、比較的集まりのいい部屋だった。
部屋に入って見渡すと、頭の下でくくった長い髪の毛の後ろ姿を見つけた。審神者はまっすぐに鯰尾のもとへいく。
「鯰尾、少しいいかしら」
「なんですか?」
「半刻後に執務室で話いいかしら?」
「はい、わかりました!」
「俺は大丈夫か?」
鯰尾とトランプをしていた御手杵に聞かれた審神者は首を横に振る。明日の出陣は三条大橋の為、御手杵は出陣しない方針だ。
「また別の出陣の時にお願いね」
「出陣しないと鈍るからな」
「考えておくわ」
審神者は用件を伝え終え、後ろを振り返ると鶴丸に驚かされた。びっくりして目を丸くしていると、鶴丸が真面目な顔をした。
「きみにしてはいい反応をしてくれたな」
「後ろに立っているのは卑怯だわ」
「敵に背後を取られた時に困るから、少しでも気にしているといいぞ」
鶴丸の得意げな表情に審神者はまたかと思う。鶴丸のこういった驚きを凝らしてくるのは日常茶飯事なので、審神者としては慣れてしまったわけだが、誰かと話している時に不意打ちは狡い。
「考えは分かったけど、今じゃなくてもいいでしょうに」
「今に決まってる。そういえば、この間歌仙と出かけたらしいがどうだったんだ?」
にやっとして言う鶴丸に審神者は後ずさりしたくなった。だが、あいにく審神者の後ろには鯰尾、御手杵の他にも刀剣たちはいるので、後退できない。
「ここで話さなくてもいいでしょ」
「なんだ。きみらの秘密なのか。機会があれば聞いてみたいものだな」
「そのうちね。じゃあ、鯰尾さっきのことよろしくね」
審神者は鯰尾に念押しをしてから広間を出た。あの場で答えるなんて、耐性がなくて誰かに上手く話すことはできないだろう。
歌仙と出かけること自体には慣れていたものの、先日のように出かける機会は今までなかったのだ。他の刀剣に感想を聞かれるとは思いもしないし、鶴丸に話したらどう本丸内で伝わるのか、考えただけでも恐ろしかった。
つい長話になってしまったせいでコップに入れた麦茶がぬるくなってしまう。執務室へと急いでいき、冷房の電源を入れた。
話をする時に部屋が冷えていないと、本腰を入れた話ができないのであらかじめ冷やしておく必要があるのだ。審神者はいつもの機械の電源を押して起動する。机の後ろに置いた引き出しから午前中に考えていた予定表を取り出し確認していると、障子越しに誰かが来たことに気がついた。執務室の机は障子を向き合う形で設置をしているので、誰かがくるとすぐに分かるのだ。
「主いいですか」
「どうぞ」
入ってきたのは宋三左文字だ。審神者が宋三の部屋へ行くことが多いが、宋三が執務室に訪れるのは珍しい。特に話し合いで声をかけているわけではないが、明日の出陣には宋三も加えているので、ここにいても問題はない。
「宋三がここに来るなんて珍しいわね」
「近くを通りかかったものですから」
「ここ本丸の奥だけど、どこに行ってたのよ」
「読んでいた本を戻しに書庫へ」
書庫は本丸の中でも最奥に位置している部屋である。執務室からは比較的近いが、宋三の部屋から書庫までは遠い方だ。夏の間は外に出るのが苦手なのか、内番には積極的に参加しようとしないので、審神者がなんとかお願いしている。今日は畑当番を任命していて、午前中のうちに終わらせたので暇だったのだろう。審神者は宋三の部屋に積んである本を思い出す。
「山積みになっていた本は減ったのかしら」
「ええ。今日は二冊読み終えましたから少しは部屋もすっきりしました」
「二冊って、部屋にいくつ積んでたのよ」
「さあ、十冊くらいですかね」
首を傾げながら宋三が言う。おそらく部屋の様子を思い浮かべながら話しているが、宋三の様子を察するに実際の本の数は把握していないだろう。現に、この間審神者が宋三の部屋を訪れた時は、軽く見積もっても十五冊はあった。
宋三の部屋は同じ打刀である陸奥守と同じだが、彼も本を読むのが好きなので、部屋が片付いている割に本の数が多いのだ。審神者が見た時はもしかしたら陸奥守が読んでいる分も混ざっていたのかもしれない。
「そういえば、そろそろ僕も出陣がしたいです」
「明日は出陣よ」
御手杵にも出陣したいと聞かれたな、と先ほどのことを考えながら宋三に伝えると、いつもより緩まる表情。
本丸に刀剣の数が増えていくごとに非番になる数は増えてしまう。
一日の間に出陣できる回数も、遠征にいける回数も限られてくるので仕方ないことだとはいえ、彼らの本分は闘うことだ。出陣して、時間遡行軍めがけて刀を振り下ろす。対歴史修正主義者と闘う為に呼びだしたのだ。人が闘う為に、人とは異なるものを呼び起こす。戦場に出れば傷つくことの方が多い。彼らはそれに構うことはなく、だからこそ無理をして欲しくないと審神者は思う。
自分勝手に人の都合で呼び出したにも関わらず、彼らは真摯に審神者と向き合ってくれる。それは審神者にとって初めは不思議なことであった。
けれども、彼らは人型を得て、喜びも苦しみも、悲しみも感じることができるし表現することができた。表現できるからこそ、彼らが刀としての本分である戦闘に身を投じるのは当たり前で、それをお願いされれば主である審神者の命として受け入れてくれるのだ。
「なんだかんだいって、宋三も出陣するの好きよね」
「中にいるだけはつまらないですから」
「そう」
「だいたい、僕らが出陣を拒んだことなんてないのに、貴方はまた、つまらないことでも考えているんですか」
「考えてはいないけれど、やっぱり毎日全員にはお願いできないから」
「数が少ない時より、今の方がいいと思いますよ。もちろん僕も出陣できれば飾りでいる必要はありませんし、退屈しなくていいですし。贅沢を言うなら、兄や小夜と出陣したいですけど」
難しいというのはわかっています、と珍しく聞き分けのいい宋三に、たまには組み合わせてもいいかもしれないと思ったのは審神者の頭の中に閉じ込めておこう。編成を確認していると、今度は燭台切が部屋にやってきた。厨房が他のものにお願いしてきたのだろう。この時間になると手伝ってくれる刀剣男士も多いし、夕餉の準備も大詰めに違いない。
「宋三君がいるなんて珍しいね」
「たまたま通りかかったんです」
「へえ。主、彼はいてもいいの?」
「ええ。さっき宋三には編成も伝えたから大丈夫よ。それよりも歌仙と鯰尾はまだかしらね」
「歌仙君には厨房で会ったからすぐ来ると思うけど、鯰尾君はどうかな。主から伝えたんだよね」
「広間で声をかけたから大丈夫だと思うのだけど…」
審神者が気にかけていると、歌仙と鯰尾がほぼ同時に執務室にやってきた。二振りも宋三の姿を見て珍しいと声をあげた。審神者が理由を説明すると納得して、結局三振りの予定が四振りの話し合いになった。
明日、京都・三条大橋への出陣を目指す主な理由としては、三条大橋で顕現が確認されている明石国行を迎え入れ、本丸の戦力増強をするためだ。この本丸でも、練度の高い刀剣男士たちはいるが、時に新しい刀剣男士を迎える必要もある。
楽しみにしているのは同じ刀派である愛染国俊と蛍丸だ。言葉に出して言うわけではないものの、互いに三条大橋へと出陣したそうな様子を審神者は目撃したことがあった。三条大橋への出陣は夜戦になるので、蛍丸の出陣は難しいが、愛染には何度か出陣をお願いしたことがあった。
今回の編成は脇差を中心に行った。
「主、夜戦に赴くのはいいけれど、昼間はどうする? 出陣するかい?」
歌仙に聞かれた審神者はどうしようか、と悩む。明日の組んでいる予定は、遠征と出陣だ。演練を入れても良かったが、回数出るのは審神者としては気が進まない。昼間の出陣を増やしても良かったが、こちらが長引いた時に本丸内が慌ただしくなるのを避けたいと思うと、過度な予定を組む必要を感じられなかった。
「君がしたいようにすればいいと思うけど、僕らは昼間に出陣しても問題ないよ。手伝ってくれるものも多いし、毎日ではないにしろ、少し出陣回数を増やしてもいい頃合いじゃないかな」
歌仙の言葉に皆が賛同するので、審神者も編成を考え始める。そもそも、どういった目的をもって出陣するのかが重要だ。本丸内での練度の差があるので詰める為の出陣でもいいし、三条大橋と同じく戦力増強を目的とした出陣でも良い。
本丸内が活性化されるのであれば、出陣の回数を増やすのは悪い案ではなかった。
「今後夜戦を増やしたいのなら、短刀や脇差の練度を上げる為の出陣でもいいかもね」
「そうすれば俺らも交代で出陣できるようになりますね」
「全体的に練度の低いものだけで、慣れた地域を回るのもいいと思うね」
「夜戦を増やすと、資材の減りも早いから、遠征も増やす必要があるわ」
様々な案が出ては検討をしていく。なかなか案はまとまらなかったが、今後の一番の目的を明石国行とするのならば、短刀・脇差・打刀の練度を上げる必要がある。今の出陣できる刀剣たちで回しても良かったが、それでは本丸内の練度の底上げにはならないので、当面の目標としても問題はなかった。
出陣できる刀剣が増えれば、本丸内での役割も回しやすくなるので、結果的に一番良い方法であった。
結局、練度をあげる為に急遽編成を組み直すことになった。新たに編成した部隊を第四部隊と位置づけ、今日の話し合いは完了した。練り直した編成を紙に書き出していると、今度は和泉守が部屋にやってきた。
「主、夕餉ができたって国広が言ってて……って、入っちゃまずかったか?」
「平気よ。話し合いも終わったし、これから広間に向かおうと思っていたわ」
「今日は和泉守も手伝ったのかい?」
堀川が和泉守に伝達を頼むとはそういうことだ。和泉守は厨房に出入りしている歌仙を警戒しているのか、準備をしている時間にあまり出入りをすることはない。料理が決してできないわけではないのだが、歌仙と同じ刀派であるからか、歌仙も比較的話しかけやすいので、何かと厨房でお願いをすることが多いのだ。
審神者が思うに、お願いされる機会に比例して和泉守が必要以外に厨房を訪れる回数が減っていると思うのは間違いないだろう。
「之定も燭台切もいっちまうし、国広に捕まるわでへとへとだぜ」
「和泉守君の作る食事もおいしいから大丈夫だよ」
歌仙ほど物言いが強くない燭台切が和泉守へ伝えるとおう、と元気な声を発した。こういう時に燭台切は周りのことを潤滑に回すのが上手い。歌仙や宋三は相手へまっすぐに言うのに対して、燭台切はまっすぐに伝えつつも威力は加減がされている。鯰尾も周りに気を遣うのが上手い一方でマイペースなところがあるので、この中では燭台切の伝え方がわかりやすくて、受け取りやすい。
審神者はさんざん歌仙と押し問答を繰り返しているのもあって慣れているし、宋三との付き合いの良さがあるので、あまり気にはしていない。それぞれの良さが周りと接しながら発揮されればそれでいいのだ。
「じゃあ、ご飯が冷めないうちにいきましょう。和泉守ありがとう」
「早く行こうぜ」
「主、早くしないと食いっぱぐれちゃいますよ」
さっさと部屋出て行く和泉守と鯰尾は賑やかな声で廊下を進んでいく。おかわりをしたいのならば、早くしないと無くなってしまう。宋三や燭台切は続いて出て行くものの、なかなか重い腰を上げない歌仙に審神者は振り向いた。
「歌仙?」
「ああ、今いくよ」
何か言いたげな視線だったが、気のせいかもしれないと思って審神者も部屋を出る。執務室が本丸の奥にあるせいで、広間まで遠いのが難点だが毎日のように通っていればそれほどの距離でもない。
広間に近づくにつれて賑やかになる声は、すぐ近くまでいくとより一層大きくなる。今日の献立はなんだったかなと思い出してみるが、燭台切が味見をさせてくれた切り干し大根以外は思い浮かばず、あきらめた。
「主さん遅いよ! せっかく主さんの好きなグラタン用意したのに」
「そうだったの。遅れてごめんなさい」
「場所はこっちでいいかな」
「大丈夫よ」
堀川に案内されて座ると隣は鶴丸だった。鶴丸はすでに食事を初めており、鶴丸の向かいに座っている一期一振と談笑をかわしていた。
「主もこっちだったのかい」
「あら、歌仙が隣なのは珍しいわね」
夕餉の席は来た順や、好きな位置に座るので毎回位置はばらばらだが、空いていた席のせいだろう。審神者の座った席の隣に歌仙が腰をおろした。
「夕餉の席で、歌仙殿が主の隣なのは珍しいですな」
「今日はここが空いていてね」
「そういえば、この間はお出かけしていたようですが、距離は縮まりましたか?」
「主は俺と会った時になかなか話してくれなかったぞ」
ここぞとばかりに一期と鶴丸は興味を示した。歌仙は横にいる審神者を見た。
しきりに首を横に振る姿に、あまり話して欲しくはないのだろうと確認できた。鶴丸に聞かれた時に答えないところは賢明な判断だといえよう。
「主があまり話したくないようだからね。彼女がいない時なら僕から言ってもいいけど、別に聞いたところで面白いことはないさ」
「おや。残念です」
「歌仙もつれないな」
「主に嫌われたくはないからね」
歌仙が苦笑しながら答えた姿に審神者は安心する。安堵してなんとか味噌汁を飲み込んだ。本丸で飲む味噌汁は作るものによって微妙に味が異なるので、誰が作ったかを審神者は判別できる。塩加減が強すぎないので、今日は堀川が作ってくれたのだろう。具材も大きさが一口大より小さい。
食事中は誰を気にするでもなくのんびりと食べているので、気がつくと広間から人気が少なくなっていることも多い。本丸内で女性は審神者ただ一人なので、気にも留めないが、大人数でとる食事の方が楽しいし、心なしかよりおいしく感じられる。今日の食事が、周りよりも遅めに始まっていたが、案外隣にいたのは歌仙だった。
審神者が最後の一口を食べる頃には彼は食事を終えてのんびりと緑茶をすすっていたものの、審神者を催促するようなことはしない。
「ごちそうさまでした」
たった一人の時でも審神者はかかさず言う。目の前にあるポットに入った緑茶を湯飲みに注いだ。食事が終わると緑茶が恋しくなるのは毎日そうしているからだ。
「主は食事の量はそれで大丈夫なのかい」
「ちょうどいいわよ。食べる速度がみんなと合わないからつい最後まで食べているけど、多いわけじゃないの」
腹八分目で、ちょうどよいのだ。減らされたらきっと速度も合うのだが、お腹が空くのが早くなるのは嫌なので、今のままでちょうど良かった。
「無理はしないでくれよ」
「歌仙がいるから平気よ」
審神者が当たり前のようにさらりと言う。互いが信頼している証拠でもあり、互いに言わなくてもなんとなく示し合わせがつく。最近はそれがよく分かるようになっていた。
「主、言いたくなかったらいいんだが、聞いてもいいかい」
「なに?」
「今日の文の差出人は誰かな。すまないが、机に広げてあったから読んでしまった。随分と不躾な内容だったから、君が気に病んでないといいんだ」
歌仙はためらいがちに話し出した。あの手紙のことかと昼間の不愉快さを思い出す。今にも嫌な汗をかきそうだ。歌仙はすでに読んでしまったのだから、今更取り繕う理由もなかった。審神者は深呼吸をしてから口を開いた。
「差出人は祖父よ。いつも私に手紙を送ってくるのだけど、今回は少し違ってたのよ。内容は……歌仙も読んだなら知っているでしょう?」
力なく言った審神者に歌仙は眉間に皺を寄せる。自分の主が侮辱されたのだ。怒りの気持ちが強いだろう。情の強いところがある歌仙は耐えがたいに決まっている。審神者は幾度となくやりとりをしているので、祖父に立ち向かうつもりは毛頭もない。なぜ、歌仙と審神者の関係を知っているのか聞きたいことは山ほどあるが、審神者の祖父は簡単に答えてくれるほど優しい御仁ではなかった。
「あの内容は、君をひどく傷つける。僕は君にそんな思いをして欲しくないし、君が選び取った歌仙兼定である僕が認められないのなら、君が認められてないのも同じさ」
「歌仙は悪くないわ」
「いや、君だけの問題ではないよ。……君もあの手紙を読んだのだから本当は理解しているのだろう?」
僕と君の問題だ、と歌仙は言う。そうなのだ。祖父からの手紙には、審神者と歌仙の関係についての言及と併せて、祖父のもとへ来なさいと呼び出しの指示があったのだ。場所はご丁寧にも祖父の隠居している家だった。正直なところ、審神者は祖父の隠居している家が苦手だ。山奥のさらに奥にある、大変立地の悪い場所に住んでいる。
行くだけでも時間がかかるのに、それ以上にお説教を聞きに行かなければいけないのが苦痛だ。立地だけ話せばこの本丸と大差ない。
だが、現世に戻ると一番近いものは、審神者を統括管理している本部だ。管理の関係から、時の政府の監視下に置きやすい都内に位置しているので、祖父の隠居先まで行くのには一日がかりなのだ。考えただけでも、やはり迂闊に近づいてみたいと思う場所ではない。
「言っておくけど祖父は頑固なの。審神者と刀剣男士が恋仲というのは、昔から事例としてはあるけど、許容されるかは、そのときによって異なるし、何より祖父はこの手の話が嫌いだわ」
「……君の祖父は、審神者だったのかい」
「そうよ。今は退職しているけど、少し変わった人だから山奥に隠居しているわ」
「随分と手強そうだね。……でも、君とのことは理解してもらいたいし、僕は話に行くのでもいいと思うな」
「……歌仙がいいって言うなら、仕方なくいくけど」
審神者は目を伏せながら答えた。一人では絶対に踏み込むつもりはない。審神者の任をなにが何でも解くか、歌仙との仲を裂くかのどちらかをやりかねないような人物なのだ。最初から負けるところに行くはずがなかった。
歌仙は意外にも話をする気だが、話して変わる人ならとっくに変わって後身の指導をしていただろう。身内の審神者からしても祖父は風変わりな人なのだ。
「じゃあ、あの手紙に返信しないといけないね」
「あんな手紙よこしてくるなんて、あの人、きっとおかしくなってしまったかもしれないわ」
「君の気持ちも理解できるけど、説明したことないならちょうどいい機会じゃないか?」
審神者が祖父に本丸のことを説明したことがないのは歌仙にはお見通しだった。祖父からはさんざん聞かれていたが、当たり障りない報告をした経験しかない。元来、審神者は外部への情報漏洩について厳しく取り締まられている。審神者からしてみれば、言わなくても良いことを言うはずがないので心配のしすぎだと思っているが、自分のようなものばかりではないことも承知していた。
「わかったわ。祖父には返信をしておくから、少しだけ力を借りていいかしら」
「お安いご用だよ。君の力になれるなら嬉しいよ」
見慣れた歌仙の微笑みは余裕すらうかがうことができた。これが、人よりも長く存在している付喪神というべきか。自分が思っているよりも歌仙は老獪なところがあるのだ。本気で怒らせたことはないが、あまり敵には回したくない存在だと審神者は思った。歌仙の助力をもらえると決まったところで、審神者はようやく思考が動き始める。
手紙を見た瞬間はすぐに思い当たらなかったが、審神者は唯一、相談できる相手を思い出した。
「歌仙、祖父のところへ行く前に寄っておきたいところがあるわ」
「どこだい」
「師匠のところよ」
「師匠? 君にそんな人がいたなんて初めて知ったよ」
「まあ、師匠も変わっている人だからあまりお会いしたくないのだけど、あの方なら信用できるわ」
審神者になってからほとんど連絡も取っていないような人だ。一般的に審神者に師匠がいる例は少ない。ほとんどが簡易的な研修を受けたのみで、本丸の運営を任される。審神者もその予定だったが、研修は審神者が師匠と呼ぶ別の本丸を運営している審神者の元で研修を受けて、今の本丸に着任したのだ。
本丸の誰にも話したことがないので、歌仙も初耳で当然だった。審神者が相談できそうな数少ない審神者だ。かなりの変わり者なのが難点ではあるが、祖父よりは耳を傾けてくれる人だった。
「僕らの仲を証明するのにこんなに手間がかかるとは、人の世は大変だ」
「私の家はたまたま祖父が一番偉くて頑固なだけよ。それにほとんどの場合は挨拶に行くことはしないし、私の家は特殊だと思うわ」
「それなら、僕は頑張らないとだね」
苦笑した歌仙に審神者も同じように困った顔をしたのだった。
外では、夏の終わりを告げる雨がぽつり、ぽつりと降り始めていた。柔らかい雨音が本丸を包み込もうとしていた。