久しぶりにきた連絡はとても簡素で、待ち合わせ場所は広場の噴水前。夜とはいえ、職業柄開けた場所での待ち合わせは、限られたシチュエーションでしか行いたくはないものだ。
 渋々了承して、ディナーくらいは考えているのかしら、とどのお店に入っても大丈夫そうな淡いブルーのワンピースを選ぶあたり、私の脳天気さがにじみでるようだった。
 定刻通りに現れた男にほっとしたのは、毎度死線を彷徨うような男だからだろう。
「急に呼び出して、何の用?」
「……時間が空いたから連絡したまでですよ」
「……そう」
「期待、しましたか?」
 鼻につくくらい上品は微笑みを浮かべる骸は、さらりと私の手をとって歩き出す。街灯の光が煌々と揺れる街並みを過ぎていく。
 期待なんてこれっぽちもしてないのだけど、声になったのは落胆したトーンで。いつもより落ち着いた服装をお互いにしているのに、確信めいたことは何一つ言おうとはしない。否、私達二人の間ではいつもそうだ。お互いにわかっていて、本当のことは伝えないのだ。天邪鬼だと言われようが、言葉にするには私達の関係は曖昧で、言葉にしたら今までの時間を失ってしまいそうだった。
 いくつかの曲がり角を進んでいくと、一軒のパティスリーにたどり着く。軒先にぶら下がる看板はショートケーキを模した三角形になっている。ショーウィンドウには、可愛らしいマカロンタワーが飾られていた。
 ベルを鳴らしながら中に入ると、閉店間際なのかごく少量しか商品は残っていない。
 骸を見ると、ちょっと小馬鹿にしたみたいな顔をしていた。
 最初はピンとこなかったが、昨日はバレンタインデーだったことを思い出したのだった。日本では、女性から男性へ思いを伝えることが多いが、骸はイタリア生まれイタリア育ちだ。彼の国の風習に倣うのならば、男性から女性へ花を贈ることが多い。
 けれども、私は花をもらっても上手に世話をすることができない。単に苦手というのもあるが、部屋にいる時間が短く、任務で家を空けることも多い。どうしても、動植物を世話していられるような環境ではないのだ。
 これは彼なりの気遣い。不遜で大胆で、冷徹で世界を恨む男の素顔は、案外繊細だ。
「ねえ、これ選んでいいの?」
「ええ」
「わかったわ。……ちょっと色合い酷いけど、貴方こんなセンスだったかしら」
「たまにはいいじゃないですか」
 マカロンのバリエーションが無駄に豊かなこの店に残っていたのは、とんでもない色ばかりである。アメリカのとんでもカラーのケーキじゃあるまいし。
 残り物、といえば仕方ないのかもしれないけれど、群青、ドドメ色、蛍光ピンク、蛍光イエローに空色と食欲減退にも程があるラインナップだ。
「フランあたりなら食べてくれそう」
「貴女が食べる用です」
「趣味悪いわよ」
「……まあ、そうでしょうね」
 つんと澄まし顔の骸は何食わぬ物言いだが、私が骸を選んでることも含まれているのだろう。かくいう自分も、男の趣味が悪いとは思う。目の前の男は、見た目と所作だけなら百点満点だろうが、中身の減点要素が多すぎる。
「そういえば、昨日はバレンタインデーだったのね。……よく、両親が花を贈り合ったり、私を祖父母の家に預けて、食事に出かけてたわ」
「それがどうかしましたか」
「二人は愛し合っていたということよ。子供を愛してなかったわけじゃないけど、結婚記念日よりも大事にしていたから。あの日は愛を確かめ合うのに必要な日だったって、大人になってから気がついたの。……でも、私には今もこの先もきっと分からないし、へんてこりんな色をしたマカロンのお店に連れてくるような男しかいないのだもの」
 苦笑しながら隣に経っている骸を見ると、早く選んでくださいと催促をされる。
「これと、あれ……そうね、そっちのケーキもください」
 可愛くない色のマカロンと、隣のショーケースにあるチョコレートケーキを選択すると、店員は素敵な笑顔を浮かべて箱へ入れていく。
 何食わぬ顔をしている隣の男は私が財布を取り出すよりも先にお会計を済ませていて、いつの間にか箱まで受け取っていた。
 店を出て、再び街灯の少ない路地を歩き出す。閉店し始めた街並みはより一層暗い陰を落としている。自分のつまさきを見ながら、彼へ投げかけた言葉は我ながら呑気なものであった。
「ねえ、それ貴方にあげるわ」
「いらないですよ、どぶ色みたいなマカロンなんて」
 連れてきたのはそっちのくせに、という言葉は飲み込んだ。本当はもっと綺麗な色を揃えているパティスリーかもしれない。時間帯が悪かっただけと言い訳がきくような気がした。
 パティスリーで話した両親のことを思いだして、急に彼へ優しくしたくなったなんて言ったら、骸はすぐに目の前からいなくなってしまう。それなら、理由も種明かしもせずに渡してしまえばいいのだ。
 歩くスピードは変わらず、あと一つ角を曲がったら、少しだけ明るい街並みの大通りに出てしまう。そうしたら、私達はつかの間の魔法にかけられて、なんとなしにディナーのお店に入ってしまうのだ。そうなる前に、少しだけリアルな私の言葉で、リアルな言葉の幻想をかけて、取り繕うのが得意なこの人の糸を引っ張って、綻びを取り繕えないようにしてあげる。
「ちゃんと人を愛した記憶を受け止めて、それから私に囁いて」
 そうでなきゃ、ちゃんと貴方を受け止めてなんかあげないのだ。
 困った顔をした私と、目を見開く貴方は結局のところ似たもの同士。傷を舐めあうなんて御免だ。それならば、気持ちだけ墓場まで持っていく。
「僕も貴女も困った人ですね」
「今更ね」
 繋がれた指先の隙間から、橙色の街灯がはみ出して、いつかきっと指にはシルバーの輝きが灯されるのかもしれない。そのときは、本当の気持ちの花を贈って、本当の言葉を紡いで、愛というやつを確かめるのだろう。
 薄暗い街並みの角をすり抜けた後ろ姿をグレーの毛並みをした猫が見送った。

2017/06/11