※ちょっと注意


 冥界にも夜はある。
 満天の星空があって、もちろん天の川もある。一番きれいに見える場所は三途の川のあたりが穴場。
 まだ鬼男とさほど、差がなかった時には一緒によく来ていた。いつも隣でわたしがオーロラを見たいと言って騒いでいたのが懐かしい。
「名前?」
「あ……鬼男、さん」
 もう呼び捨てなんかで呼べない。前みたいに話かけられない。もう、わたしの手には届かないほど、上の役職についてしまった鬼男。なんで、いるのと聞きたいのに、聞き出せない自分がいる。
 頭の中では、会ったらどう話しかけるかシミュレーションしていたのに、実際に会ったら、話し方がわからない。
 鬼男が眉をひそめた。
 わかってる。わたしがさん付けで呼んだからなんだって。
 わたしだって昔みたいに呼びたい。
「なんでさん付けなんだよ」
 鬼男の抑揚のない声で肩がびくりとなる。
 ただ一言怖い。
 これは、怒ってる。空は星が眩くかぎり美しく光っているのに、状況はそんなこと気にできない雰囲気。涙が出そうになる。
「目上の方にそうはいきませんから……」
「そうじゃなくて!」
 逃げ出したい。
 そうできないのは、彼に手首を掴まれてしまったから。力がぎりぎりと入れられる。
 目の表面にはじわりと涙が出始めた。だけど、流せない。
「僕は名前と対等でいたい」
「ダメです」
「別に大王秘書なんて偉くない。大王が決めただけなんだから」
「それはあなたが優秀だったからです」
「それなら名前の方があの時優秀だった」
「違います」
「なんで」
「あなたの方がずっと優秀でした。わたしなんか、ここで働くのが精一杯なんですよ」
 案外、冷静に頭が働くものだ。わたし、今笑って言えたかな?相変わらず手首が掴まれていて、そこが痛い。今度はもっと力を込めてきた。
「痛い、です」
「平気だろ」
 まだ、力を込めてくる。
 ねえ、どうしてこんなに怒るの?何がいけないの?
 ねえ、怖いよ。
「……や、やだ、鬼男ってば!痛いよ……!」
 満足したのかなんなのか離してくれた。
 痛みに我慢できず、涙がこぼれ落ちた。
「やっと、昔みたいに呼んでくれた」
「反射です」
 また手首を掴まれる。びくりとなる。でも、彼は笑って言う。
「冗談だ」
「ひ、ひどいです」
「じゃあ、敬語止めてくれたらいいよ」
「そ、それは」
「ダメ、それに今はプライベートだし、僕はそっちのほうがいい」
 頬をつたう涙を彼の袖で優しく拭われながら言われた。しかも、すごく優しい顔をしていた。さっきまでのが嘘みたいだ。
「お、鬼男……」
「ん?」
「さっき、怖かったよ」
「ごめん。ちょっとおかしかったかも……名前にあんな風に言われると思わなかった」
「ごめん。でも、普通は敬語にしなくちゃいけない世界なんだから」
「うん、だけど名前だけは信じてみたかった。ほかの奴らとは違うって」
 鬼男の瞳が少し伏せる。わたしより長いのではないのかと思うほどの睫が影をつくる。
 わたしだって、他の奴らと同じだよ。わたしは、そんなに高い地位にはいないんだから。その他大勢と差ほど変わらない。
「わたしに幻滅した?」
「いやそんなので幻滅しないよ」
「うん、ありがとう」
「あのさ提案なんだけど」
「提案?」
「僕とオーロラを見に現世旅行をしませんか」
「オーロラ!?」
「うん」
「行く! わたしでいいの?」
「名前がいい」
 現世旅行、だそうだ。すごく楽しみだ。その間だけは、地位なんて関係ない世界にいたいと思う自分がいる。
 だって──
「では、またあとで鬼男さん」
「!」
 ほら、ここは冥界。
 どこにだって存在する地位だとか身分がある世界。
 そんなに簡単に見えない壁なんて壊せないんだよ鬼男。
 今度あなたに会うときは、オーロラの空の下。
 その時はあなたと対等で。

2011/03/28