バレンタイン前夜。私はキッチンで突っ立ったまま動けなくなった。できあがったそれは、なんとも形容し難いもので、果たしてこれは、人に渡しても良いものなのだろうか。ラッピング用の可愛いベビーピンクの箱も、真っ赤なサテンのリボンも、このできあがった不格好な生チョコを飾るには不釣り合いな気がした。
 そもそも私は石畳生チョコを作っていたはずで、こんな砕けたレンガみたいな形の生チョコを作ったつもりはなかったのだ。クッキングシートから取り出して、綺麗に包丁を入れて、粉糖をかければおしゃれな、某レシピサイトに掲載されているような形になるはずだった。
 一体全体、どうすればこんなぐにゃりとしたものを生成できるのか。もはや作り出した自分にも分からない。
 リビングから麦茶を取りにきた弟が、うわっ何それ、と言う言葉と共に腕が伸びてきてつまみ食い。
「ちょっと! 少ししかないんだから」
「いやいや、これ誰かに渡すんかよ」
 微妙な顔をした弟は咀嚼しながらこの出来栄えにいちゃもんをつける。まあ、このいちゃもんに文句をつけられるはずもない私は、ああやっぱりねと再確認。
 これ、捨てちゃおうかな。そうすれば何もなかったことにできるし、彼にこの事が知られることもない。
「姉ちゃん、それ見た目はやばいけど、味はうまいよ。どうせ、夜久先輩にあげるんだろ?」
「そうだけどさ……。これはさすがにまずいでしょ」
 そう、私でもよく理解しているのだ。クラスのお菓子つくりが得意な女の子が作った見た目も味も満足できるもののほうが夜久は喜ぶ。昨日、その姿を目撃しているのだから分かり切っていることだった。私の、ある意味傑作なこのチョコを貰うよりはいいだろう。
「もう、なんでこんなに下手なんかな……」
「とりあえず持っていけばいいじゃん」
 他人事だからこそ、簡単に言う弟を恨めしげに見ながらも、私はあきらめてラッピング素材に手を伸ばすことにした。丁寧に箱に敷き詰めて箱を閉じ、リボンをかければ、見た目だけは立派なばれタインの本命チョコのできあがり。
 できあがってから盛大な溜息を吐けば、お母さんからいい加減にしなさいと怒号が飛んでくる。ここは慰めるとか背中を押すとかしてくれないあたり、うちの家族は結構スパルタだ。
 こうなったら、やけくそでも何でも渡してしまえばいいのだ。私はラッピングし終えたそれを冷蔵庫へと押しやった。
 渡すこと自体は難しくないのだ。私も夜久も部活だから、私の部活が終わったらバレー部の練習している体育館へ行き終わるのを待つ。それから、渡すだけ。
 渡すだけだと頭の中で繰り返し念じながら私は眠りにつくこととなった。

***

 朝、家を出る前に忘れずに取り出した箱を見て、ついに今日が来てしまったと再確認した。どうせ作るならラッピングも気合を入れようと最初に考えた自分を悔やむ。本当に見た目だけならさぞ、立派な、自信のある中身だろうと思えるのに、中身が中身なだけに後ろめたい。
 部活用には既製品の一口チョコを用意したくせに、この差はあからさますぎて、多分友人たちに突かれるに違いない。折角の部活なのに、一向にモチベーションが上がる気配はなかった。
 玄関先でお母さんがにこやかにいってらっしゃいと、いつも通り見送ってくれて、外に出る。
 寒い二月のはずなのに今日は暖かった。慣れた通学路を歩き、電車に乗り込み、揺られること数駅。学校の最寄り駅に到着して下車する。
 変わらない景色が、どうにも居心地が悪いのは私の気持ちが揺れているからだ。
 誰にも見られないなら、花占いで、渡す、渡さないなんてやっていたかもしれない。悶々と考えている間に、正門に辿りついてしまった。
 早く今日が終わってしまえばいいのに。そんなことを考えながら私は校舎へと入った。
 気持ちだけでなく、何となく身体も重い気がしてきた。
「なんか、泣きそう」
「あれ、チョコ作らなかったの?」
「違う。渡すのすごい怖い」
 部活終わり、バレー部が終わるのを待ちながら友人と話していると自然と話題はバレンタインのことになった。むしろ当たり前だった。今日がその当日なのだし、部室でも友チョコの交換会をしたのだ。私が既製品を配る中、力作揃いの友チョコが予備の袋に増えていくのを横目に何度心の中で溜息をついたことか。
「どうやっても、このチョコで嫌われる気がする」
「卑屈だなあ。夜久のことだから受け取ってくれるって。ていうか、ラッピングはめちゃくちゃ綺麗だけど、そんなに中身酷いの?」
「……もう、見せたくないし、渡すのもおこがましいし。これでまずいとか言われたら、明日から学校行かない」
 泣き言を並べれば友人が憐れんだ目で私を見る。分かっている。もう十分なくらい私はダメージを受けたのだ。
「まあ、頑張って。私はもう帰るから。ほら、目の前から夜久来てるしさ。また明日学校で」
 さっさと立ち上がって私を置き去りにすつ友人は、餞別のように可愛いクッキーの入った袋を私に握らせる。どうも何もないなあとは思っていたけど、このタイミングじゃなくてもいいじゃないか、なんてことは喉の奥へ追いやった。
 目の前には、もう、夜久が来ていたからだ。ただのクラスメイトがこうして待っているなんて一つしかないと言っているようなもので、私はそのつもちだった。
 ただし、予定ではもっとときめきのあるドキドキを待ち構えているはずだったけれど。
「お疲れ様」
「待ってもらって悪かった」
「全然、さっきまで友達いたし」
 段々と尻すぼみになっていく語尾に夜久が怪訝そうな顔をする。流石に高校生にもなってこの場面の意味が理解できなくもないだろう。私の言葉を待っている。
 ここまできて逃げられない。諦めて半透明の袋に入った手作りのそれを夜久に押し付けた。
「ごめん! これまずかったら捨てていいし、むしろ食べなくてもいいけどもらってください!」
「言ってること無茶苦茶すぎだし、なんかこれ駄目なのか?」
「えーっと、中身が、その」
 言っていることが曖昧すぎて、さらに眉間に皺を寄せた夜久はその場でラッピングを開け始めた。それは私が止める暇もないくらい、あっという間のことだった。
 もういたたまれない私は顔を両手で覆い尽くす。指の隙間から反応を見る、なんてことはできなかった。
「あ、うまい。ほら、口開けろ」
「え、ちょ、いいって」
 半ば強引に放り込まされた生チョコ。食べてくれるだけでも嬉しいのに、うまいって聞けたらそれで良かったけど、何だかよく分からないことが目の前で起きているようだ。
 夜久が笑いながら食べてくれる光景だけで、視界が滲んでくる。
「泣くのは大げさだろ。まあ、好きなやつからもらったから良しとするか」
「私から言う予定だったのに……」
「ばればれだったな」
 優しく微笑んだ夜久のおかげで、この出来栄えなんて関係なかったような気になったのだった。


2016/02/14
ハッピーバレンタイン2016