及川と喧嘩した。それが三日前のこと。
 多分大した理由もなくじゃれあいのような掛け合いをしていたらいつの間にか本気の喧嘩まで発展していた。
 三日前の昼休みの出来事で、それから一切連絡もしていないし会話もしていない。どうせ及川はバレーが忙しいとわざと避けている。おかげで話したいのに、話すことすらできない状況。教室に顔を出してもタイミング悪く席外していたり、昼休みに至っては見つからなかった。
「どう思うよ岩泉くん」
「痴話げんかに俺を巻き込むな」
「だって岩泉くんの方が及川のことわかるじゃん」
 昼休みに及川がいないことをいいことに岩泉くんのもとへ相談にきた。時間が立つほど及川に話しかけるのには勇気がいる。遂には及川が彼女と別れたとか、彼女に振られたなどの噂がでている。まだ別れてないし、そんな都合のいい解釈してる人の気がしれない。おまけにたかがこんな噂くらいでイライラする自分がいると思わないし、岩泉くんにまで迷惑をかけるような喧嘩をしたことにちょっと凹む。
「つうか、お前のそれが原因だろ」
「??」
「……まじか」
 破顔した岩泉くんをまじまじと見つめても答えは返ってこない。それ、と言われても私は何も思い浮かばなくて、解決にもならない。
「そもそも何の会話してたんだよ」
「最初はテレビの話をしてて、んで」
 確か、名前の呼び方の話をしてた。テレビのタレントがあだ名をつけたり、夫婦での呼び方をトークしてたのが印象に残ってて話したはず。
「あ……!」
「さすがにアイツに同情するわ」
「だって向こうも大差ないもん」
「謝るんじゃねえのかよ」
「あっちが逃げるから話せない」
「ほんと、めんどくせえな」
 岩泉くんが呆れて言う。できれば、こんな面倒な喧嘩というか、喧嘩自体したくない。普段は喧嘩もしないし仲もいいほうだ。愛想尽かされてしまったらどうしようと思っている臆病な自分がいて、今回の喧嘩はかなり尾を引いている。
 教室の壁に掛かった時計を見上げればまだ休み時間が残っていた。
「岩泉くん、やっぱりちゃんと仲直りするね」
「おう」
 教室をあとにして、及川を探す。そこら辺を歩いてくれればファンの女の子が騒ぎ立ててすぐ見つかるのに、こういう時に限ってどこか1人でいるらしい。三年の教室をくまなく探したけど見つからない。
三年の教室の階を歩いて突き当たりにある階段を上る。屋上へ続く階段の踊り場に隠れるように息を潜めて、身を縮めている姿を見つけた。手すりの影にはみ出た髪の毛が少し揺れている。
「……見つけた」
「なんできたの。お前馬鹿なの?」
「グズな及川のかわりに来たんですけど……」
 いつもより剣のある声と、ぶすくれている表情。正直、ちびっ子が拗ねている姿にしか見えない。ブリックパックのジュースを片手に座り込んでいる及川は隣に座りなさいと隣を空いている手で叩く。大人しく隣に腰掛けて、ずっと言おうと思っていたことを話す。
「ごめんなさい……とお、る」
「……」
「別に名前を呼びたくないとかじゃなくてね、えっと、その」
 言いよどんでしまう。本当は名前を呼ぶのが恥ずかしかった。距離も縮まって感じられるのに、間合いを詰めるのがひどく不安だ。きっと名前を呼んだら、及川は優しいから笑って振り向いて話しかけてくれる。ちゃんと私が彼女だということを教えてくれる。岩泉くんの方がたくさんの彼を知っているけど、本当は私だって同じくらいわかりたい。隣の彼を見つめればふっと柔らかく笑ってくれた。
「……顔真っ赤だね」
「あんまり見ないで」
「かわいい食べちゃいたい」
 急に近づいた顔に面食らってぎゅっと目を瞑れば、優しいキスをされた。耳元で甘く名前を囁かれ、かかる吐息がくすぐったい。
 ぱちりと目をあけてもう一回彼の名前を紡ぐ。
「徹、好きよ」
 彼のシャツの裾を握って、今度は私からキスをする。
「あんなに悩んだ俺が馬鹿みたいじゃん」
「そういうとこも好き」
 ぎゅっと抱きしめられながら、予鈴が鳴り響くのが聞こえた。

2014/07/09