オフィスには一台のパソコンの明かりと、窓から少しばかり入ってくるネオンの光だけ。周りはとうの昔に帰宅してしまい、私一人きりだった。締切間際での書類の手直し、新しい企画の立案、後輩から預かっている確認する書類。いくつものものが束になって机に散乱していた。それを一つずつ処理して、綺麗に積み上げていく。スマホの画面に映し出された二十三時三十分。何が好きでここまで仕事をしなければいけないのだ。マグカップに注いだ紅茶は冷めきっている。少し渋く出してしまったそれを飲み込む。
パソコンにあるデータと印刷した資料を見比べながら新しい内容を打ち込んでいく。ぱちぱちと軽い音は一人きりの空間によく響いた。
くありとあくびをして、背筋を伸ばした。完全に緩みきったところで、ガチャりとドアノブが音を立てたので思わず肩が跳ねた。
「おつかれー……って、悪い驚かせたな」
「大丈夫、まさか人が来るとは思わなかったので驚いたけどね」
パソコンへ入力をしながら答える。頑張ってんなー、と言いながら岩泉はネクタイを緩めながら近づいてくる。私のパソコンを覗きこみながら、あとどれくらいで帰るつもりかと聞かれた。
「これ終わったらだけど……三十分くらいかかりそう」
「んじゃあ、それ終わったら飯食いに行くか」
「え、あの」
「おっし、さっさとやって帰んべ」
にっと笑った岩泉に返事をして、ぱちぱちと入力を再開した。私が資料を作成している間、彼は机の上に積み上げられた書類を整理していた。なんとか日付が変わる前にパソコンを閉じて2人でオフィスをぬけた。
街の明かりが所々消えて、暗闇の色が迫ってきているようだ。会社からの最寄駅は小さいので、少し乗り継いだ先にある大きめの駅で降りた。この場所なら、まだやっているお店もあるらしい。この周辺は滅多に行くこともないので土地勘のない私にはちんぷんかんぷんだった。逆に岩泉はよく知っているみたいで、美味しいお店があるからとそこへ連れて行ってくれることになった。
随分慣れたように歩く彼の半歩後ろにつくように歩いた。すると、それに気がついた岩泉は歩くスピードを緩めて隣同士になる。仕事のことなんて忘れてぱーっと呑めればそれでいいんだけどなあと思いつつ、隣にいるのは将来有望な同僚だと思い出す。
「岩泉は何しにあの時間に戻ってきたの?」
「お客さんとこ寄って、荷物多かったから戻しにきた」
「あー、それでさっきの山積みの机」
「何件か回ってたしな」
街頭の薄明かりを頼りに歩く道。少し眠い頭にどうでもいいような話をして、美味しいと岩泉おすすめの居酒屋へ辿り着く。個人でやっているお店で、オレンジの明かりの灯った引き戸の暖簾をくぐった。いらっしゃいませ、とおじさんの声。お久しぶりです、と岩泉が挨拶をしていて、話の流れで紹介された私は店主へぺこりと挨拶をする。
そのまま空いているカウンターに並んでビールを注文。さほど時間もかからずにごとりと二つのジョッキが現れる。それを受け取って二人で乾杯をした。
「生き返るー!」
「おっさんかよ」
「あんなに残業したんだからいいでしょう」
「お疲れ」
あとから注文した品物がでてきてつまみながらビールを流し込んだ。隣で何やらカチャカチャしてるなと思えば、彼の大好物の揚げだし豆腐を切っていた。どのお店に入ってもあれば大体頼んでるよなと思い出す。出来立てが一番美味しいしなあと考えてれば岩泉が声をかけてくる。
「食うか?」
「もらっちゃ悪いって……」
「ほら、口開けろ」
さも当たり前のように一口サイズになった揚げだし豆腐を差し出されて、少し戸惑いながらも口を開けた。何だこれ。正直な感想だった。
もぐもぐと豆腐を咀嚼しながら、あれは何でも無いんだと思い飲み込んだ。
普段から面倒見のよいタイプの男だ。それはわかっているし、3年にもなれば考えてることだって何となく昔よりは理解できている。今日は一段と世話焼きな気もするけど、それに甘えている自分がいるのも確かだった。
時間も遅いしさっさと帰ろうとなってお会計を済ます。彼の方が少し多く出してくれたのは彼の男気だ。ほろ酔いの気持ちいい状態でお店を出た。今ならあったかい電車内で爆睡できる。ふらっとはしない。まだ、正常の範囲内だ。
お酒もご飯も美味しく食べれて残業終わりのわりには気分が良かった。
「あーまた数時間後には会社にいるのね。しかも、もうすぐクリスマス!」
「ったく頑張りすぎたろ」
「岩泉来なかったらもっとやってたかも」
「ふざけんな、さっさと帰れ。つうかお前クリスマスは彼氏とじゃなかったけ?」
「小言が多い……。彼氏とは最近別れたの」
「じゃあ傷心中か」
「結構前だから大丈夫。でもなあ、今年はちょっと寂しい」
「ふーん……そうか」
「うわ、その顔! 馬鹿にしてるでしょ?」
「してねえって!」
言い合いながらもと来た道を戻ればあっという間に改札口だった。
「なあ」
改札を抜けようとしたところで、岩泉が立ち止まった。つられて私も立ち止まる。誰もいない。私たち2人だけ。風もなく、ひんやりと冷たい空気が張り詰めていた。白い吐息が漏れて、もわあと夜空へと吸い込まれていく。
「俺がここで引き止めたいって言ったらお前どうする?」
「え、え?」
「ここ俺の地元で家に帰るけど、来るか」
「その、えっと……?」
「この手をどうするかはお前次第だ」
私よりもはるかに大きい手が私の両手を包む。ほんのりと暖かい彼の手。大事にするように優しく握られた手。
これを、上手に振り解く術も知らなければ、このままにしておく術も知らない。
この手をどうするかは私次第。
真剣な表情の岩泉。
「お前が望めばクリスマスも一緒だけど」
「その言葉はズルイでしょ」
にこりと笑って、2人揃って駅をあとにした。行き先は君の家。
2014/12/10