離れで着々と進める準備の最中、珍しく骨喰が部屋にやってきた。いつものように済まし顔で、近くにあった座布団を引き寄せて座る。どうしたのだろうと思い、机にある硯と和紙を引き寄せながら何となしに彼の顔を見ても何も読み取れない。

「骨喰、どうかされましたか」
「今日のやつ一緒にいてもいいか」
「ええ、いいけれど、多分眠れないですよ?」

 今日のやつ、とは私が夜通し籠り、祝詞をあげ、祈願する『夜籠り』というもので、彼はそれに付き合うと言っている。
 本来なら寺社に籠るが、本丸内がそれと同じようなものなので離れに祭壇を組んだだけの簡単なものだ。あとはお神酒をもってくるだけで、精進料理を食したら祝詞をあげる。
 いつもより重たい祭祀用の装束は袖や丈が長く動きにくい。その動きにくいのに加えて、髪飾りや帯やら付属品があることでさらに気まで重くなっていた。
 もったりと髪飾りを上げる動作を鏡の前でしていると、後ろに骨喰の姿が映り込む。
 ぼんやりとしていれば、手に握った髪飾りは彼の手によって奪われた。慣れてないのに、何故か器用に髪の毛をまとめて髪飾りが添えられたことに驚きが隠せない。

「主、他に必要なものは?」
「えっとお神酒を取りにいかなくちゃいけないのですが……」
「わかった。とってくる」

 おまけに動かなくていいと言われてしまい、この格好なら仕方ないかと彼の意見に従う。浮きかけた腰を降ろし、祭壇に置かれた銅鏡を覗きこんでも薄ぼんやりとしか写らなかった。
 頭を垂れるようにして、畳をまじまじと見つめていると、今度は石切丸が準備整ったんだねと言いながらやってきた。彼は私をまじまじ眺めながら言う。

「……髪型はいつもと違うのか。へえ、これ君が?」
「さっき骨喰がしてくれたんです。今はお神酒を取りに行ってくれてて外してますけど」
「骨喰なら安心だね」

 それに、と言って言葉を続けたが語尾はよく聞き取れなかった。何と言ったのか聞いても教えてくれず、すっきりしない。こうなってしまうと教えてくれないので、それからしばらく石切丸とは会話をして、ちょうど話題が変わる頃に骨喰が戻ってきた。

「あとは任せたよ」
「ああ。主持ってきた」
「ありがとうございます」

 石切丸が骨喰に声をかけながら部屋を出ていく。それを見計らってから私は彼の持っていたそれに手を伸ばす。
 お神酒の入った一升瓶を受け取り、升へ注ぐ。それを祭壇に置いたら今度は、厨房に入っている刀剣が作った精進料理を手元に寄せる。

「ご飯は食べましたか」
「さっき向こうで食べた。……気になるなら出てく」
「……出ていかなくても大丈夫です」

 漆器の中にある料理は華やかさはないものの、上品に並べてある。おそらく並べ方は歌仙が決めてくれたのだろう。さほど華やかではない料理でも、彩に気が配られているのが感じられた。骨喰がもし、食べてないのだとしたら、食べてもらってもよかったが本人は食べたというので、私は箸を進めることにした。
 ゆっくりと進む食事に、骨喰は何も言わずそっと私の前にいる。どうして、今日はいると自ら言い出したのだろうか。普段なら気にもしないようなタイプで、今までだって夜籠りをした時は来なかった。
 聞いても答えてくれなそうだ。彼の目がそんな感じに訴えていて、私は大人しくするしかない。
 ようやく食したら、今度は手順通りに祝詞をあげなければならない。
 さっきの食事だって、夜通し起きて祝詞をあげるにはお腹がすくからと先に用意されたものだ。つまり、前準備の一環みたいなもので、まだまだ沢山の手順が待っている。
 蛇腹折にした手順書を開いて確認し、深呼吸。

「主」
「っ!ひゃい!」

 思わずひっくり返った声が出てしまい、気持ちを引き締めたのに台無しだ。おまけに審神者としての威厳もない。彼の方を振り向けば、いつもの済まし顔した骨喰。

「俺がいる」
「はい」

 言葉数は少ないが、要はリラックスしろということらしい。それもそうかと思い、笑って答えた私はきっと情けない顔をしていただろう。

 朗々と祝詞をあげる間、骨喰は一言も話さないし、うつらうつらと舟を漕ぐ様子も見せなかった。
 空が白んで、太陽の光が薄く戸の隙間から差し込むまでは、随分代り映えしない祝詞だったはずだ。
 最後の一言を詠みあげたその時まで彼は隣にいた。

「ご苦労様でした」
「主こそ」
「私は、私の務めを果たしたまでですから」

 ゆっくりと立ち上がって伸びをする。ずっと座っていたせいか、そこら中が凝り固まっていた。
 右へ左へと体を捻っていると、ふわっと視界が沈むのがわかった。倒れると思ったが、幸いにも骨喰が支えてくれたおかげで畳と顔面を拝まずには済んだ。

「あ、すみません……って、骨喰!?」
「静かにしてくれ」

 支えてくれたのはありがたいが、そのまま俵を担ぐように持ち上げられてしまい、廊下へ続く襖を開けて出てしまう。止める間もなく、というのは言い訳にしかならなそうだが、これはどうすればいいのだろか。それにいつもより重たい祭祀装束のせいで体重はかさ増しされている。骨喰のその細腕に一体どれだけ力があるのか知れないが、思いのほか軽々しく担がれてしまい、驚きが隠せない。
 空が白み始めたばかりで寝ている刀剣も多い。大声で抗議することもできず、黙って彼にされるがままだ。
 長い廊下を歩きぴたっと立ち止まったのは、私の部屋だった。

「ほ、ねばみ?」

 彼は私の声には反応せず、すっと襖を開いて中に入り、ようやく降ろしてくれた。
 お礼を言えば、気にしなくてもいいと言う。
 一息つけると思い腰を鏡台の前に降ろし、髪飾りやその他の装飾を外しているとぽつりと私の後ろにいた彼は声を発した。最初は聞き間違いかと思った。まさか、彼が言うとは意外という意味だったが。褒美が欲しいと彼は言った。
 ゆるりと近づいて、もう一度言う。

「褒美って……何がいいの」
「主が大人しくしていればいい」
「ええええ、えっとその、」

 返事をする前に、彼の中ではもうもらえると決まっているらしい。私が動揺している短い間にもさらに縮まる距離に息が詰まりそうだ。
 するり、耳のあたりに彼の細い手が伸びてくる。髪飾りを外して解けた髪の毛のあいだをさらりと指が通って思わずぎゅっと閉じた瞳。顔は見えなかったが、くすっと笑ったような声が降ってくる。
 なんで私、こんな恥ずかしくて茹だってしまいそうになっているの。そう思わずにはいられなかった。
 唇に柔らかい感触がやってくる。
 彼は最初からこの時を狙ってたのだろうか。
 名残惜しそうに離れた唇も手も、彼の次の一言で飛んでいった。

「役得はもらっとく」
「これは役得って言いませんから……」
「でも、普通じゃできない」
「そもそも普通はしません!」

 思わず荒らげた声に、彼の指がぴとりと唇に添えられた。皆に知られる、と言われてしまい飽きれたが彼は非常に満足そうなので、抵抗できそうにないことは明白だ。
 充分満足した彼は出ていこうとする。部屋をでる本当に間際、彼の言葉を聞いて私はまた一段とぐったりした。

「また今度」

 そんな一言で、次からの夜籠りが憂鬱だとは、口が裂けても他の刀剣に言えるはずもなかった。



2015/06/28

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