この身は捧げるためにある。
 政府は、一部の審神者を顕現の確立が低い刀剣男士へ捧げるためにあると説いた。要するに贄、人柱ということだ。古代の伝承のようなことを今でもするという考えは、どうにも私には馴染めなかった。そもそも贄になったところで何が起きるのかこちらには一切知らせてはくれない。私のような使い捨て審神者のことを一部では『供物審神者』と呼ばれているらしい。ナンセンスだ。誰も望んで役につくわけではないのに。政府に元から好感など持っていない。それでも任せられた本丸で過ごすのは底辺審神者としての意地でもあった。
 恐ろしいかと聞かれればもちろんのこと。すでに何振りか顕現させた私はそろそろ用済みになるのではないだろうか。そんな気がしている。私のような審神者の末路を知らない。知ることもできないだろう。
 今日も鍛刀部屋に入る。必要な数だけ資材を設定しておいた。噂によると、顕現率の低い刀剣男士を呼び出せる数値だと言われている。今日はどうやら稀有な刀剣男士が現れるのではないだろうか。その証拠にずいぶんと長く待たされた。目の前の光景を見て、私は本能が警鐘を鳴らすのを逃さなかった。
 見つめた先には三日月宗近がいた。濃紺の狩衣に藍の髪。美しい、というのは彼のような人を指すのだろう。
 本丸の夜空は雲が朗々と垂れこみ、星も月もない。一段と暗かった。その代わりに月が現れたということか。
 鍛刀部屋に顕現した彼は、淡々と私に名前を伝え、そのまま腰に帯刀した刀を鞘から抜き出す。ひたり、素早く首の動脈めがけて添えられた切っ先は、私の寿命を縮めるのには十分だった。一瞬でも気を緩めれば、この場が血の海になることは想像に容易い。表情の読み取りにくい三日月宗近は、私の顔をきれいな青藍の瞳で覗き込む。ほう、と言って今度は空いた彼の手が顔に伸びてきた。顔を撫でながら、姿形を確認しているようだ。怖いとは思わなかったはずだが、今は身震いするほどに恐ろしい。だんだんと合わなくなる噛み合わせにがちがちと歯を鳴らし、生理的に流れる涙。私は私の感情に抗えない。
「ほお、恐ろしいというのだな」
「……っ、おや、めくだ……さい……ませ」
 なんとか上をむいて言ってみたが、身体の震えは止まらなかった。こんなふうに顕現して、刀を突き付けられたことなんて聞いたことない。前例などなかった。こんなに恐ろしいことだなんて知らなかった。私が顕現させてきた刀剣に彼のような者は一振りもいなかったのだ。
 何度か呼吸を整えていると、引き戸が開いた。視界の端に純白が翻って写りこむ。
「こいつぁ驚いた。そこまでにしておけよ、三条の宗近。彼女は曲がりなりにも主だ」
「つ、る、まる……く、になが」
「おや、これは五条の。全然気がつかなかったぞ」
「そんな殺気立ってたら、当たり前だろ。で、これはどういうことなんだ」
 仲介に入ってきたのは、先に顕現していた鶴丸国永だった。私の後ろにきた彼は肩に手をかけてくる。白すぎるくらいの彼の手が私の震える身体を抑え、三日月宗近はようやく私に向けていた首にぴっとりと当てていた切っ先を離した。
「なに、ちょっとした挨拶さ」
「そんな生易しいものじゃなかったが……」
「――鶴丸国永よ。お主、いつの間に鈍ったのだ?」
 朗らかに、けれども切っ先の冷たさを含んだ物言いは名前そのままに三日月のようだ。鶴丸は何も言わず、私の背を押して部屋を追い出そうとする。
 押される背中に不安が募り、後ろを振り向いたけど鶴丸国永の奇麗な顔が笑顔をつくっていた。ぴしりと閉じられた引き戸にはっきりとした拒絶が物語っている。
 廊下に出て、床の冷たさが素足を通して全身を再び震え上がらせるのに時間はかからなかった。がくりと力が抜けて床へ蹲る。これまで顕現させた刀剣は二振り。平野藤四郎と鶴丸国永。どちらも比較的温和な性格だったせいか、実害を受けることがなかった。どちらかと言えば、好感を持てると言った方がよいだろうか。
 それに比べ、三日月宗近は私が想像していた恐ろしいことをそのままにやってのけた。いつか顕現したその瞬間に刺されるのではと頭の片隅にちらついていた。あの、すらりと美しい刀身が出た時、私は魅入られるように吸い込まれてしまった。でなければ、全く動けないということはなかったはずだ。
 落ち着いてきた思考回路にゆっくりと視線を私の後ろの引き戸へとやる。はたして鶴丸国永は三日月宗近と何を話しているのだろう。


***


「鶴丸よ。何故、あのようなか弱き者といる?」
 険呑な目つきで鶴丸国永を威圧する。何故、と言われれば彼女に呼ばれたからにすぎないのだが、さて三日月宗近がその答えで満足するかどうかは分からない。なにより、先程の彼女の怯えようを考えれば、ひとまずは宥めた方が早いだろうか。鶴丸国永はいくつかの案を頭の中に並べ思案してみる。結局、なんとかなるかと思い、適当に質問をぶつけていくことを選んだ。
「彼女に呼ばれた。それだけだ。人というのには驚かされてばかりだ……。俺からもいくつかいいか?」
「いいだろう」
「先程、何故彼女に刃を向けた……」
 理由なく、刃をむけるということはしないはずだ。特に彼女の様子を見れば、何か気に障るようなことを言ったとは考えにくい。それは、鶴丸国永自身が彼女のもとへ初めて顕現した時の対応を覚えていたからだ。
 三日月は鶴丸の思考を知ってか知らずか、はっはっはっと豪快に笑った。思わぬ反応に鶴丸国永は拍子抜けした表情になった。
「そうだな、気まぐれにでも抜いたのだ。そしたらあんまりにも怯えるからつい、な…」
「からかうなよ。……認めてはいないかもしれないが主だ。俺達は使役されている」
「よいよい、もとは刀だ。使われてこそ俺達は発揮される。あの女子が俺達をどう扱うか見届けようじゃないか」
 底知れない。三日月宗近は、口では従うそぶりを見せるが一体どこまで本当なのだろう。実は何もかもでたらめだとしたら?鶴丸国永は全てを鵜呑みにするには性急すぎると考えていた。このまま、二振り鍛刀部屋を出て彼女に面会しても良かったが廊下にいるであろう彼女の気配がまだ落ち着いていないようにも思えた。
 そもそも、鶴丸国永は彼女に呼び出された一番最初の刀だ。他は誰もいない。血気盛んな場所にいたせいか、初めて彼女と対峙した時、なんて弱い人だろうと思った。それもそのはずで、彼女から色々と聞かされるまで信用をするには不安の残る主だった。困ったことに主は世間一般からはだいぶ見放されていたし、最初は何の希望も望みもないような瞳をしていた。彼女を今支えられるのは己一振りだという自己満足で愚かな思いは微塵も思わない。それでも、彼女を支える数少ない仲間なのかもしれない。
 鶴丸国永はしばし逡巡し三日月宗近にいくつか質問をし、先に鍛刀部屋を出ることを選んだ。


***


 暗闇からぽっかりと明りが覗き出た。小さく蹲って待っていると、先に現れたのは鶴丸国永だった。
「もう大丈夫だぜ」
「すみません。私が至らないばかりに……」
 私が対処できなばかりか、彼に迷惑をかけている。いつ、用済みになるか分からない。彼には関係ない事情も含め、私はいろんなことに怯えていた。鶴丸国永は私の困ったような表情を見て、同じ目線まで体勢を変えて近づく。彼もまた、少し困ったような表情を浮かべていた。初めてみる表情だ。
「うーん、俺は人間の心の機微、というやつがまだ掴めないのだが、君のその表情はどうも苦手だ」
「はい?」
 こうしたらいいのか、と言いながら不器用に彼は私の頭を撫でた。私が驚くよりも先に鶴丸国永の後に遅れて三日月宗近が出てきた。私と目があったとたん、つう、と怪しく細む瞳が恐ろしい。ああ、鶴丸国永は気がついていないのだ。この男はまだ私の命を狙っている。鶴丸国永は気がつかないが、三日月宗近は全て理解していながら彼へ言う。
「鶴丸、中を案内してくれないか」
「そうだな。主、俺が案内でいいか?」
「あ、はい。お願いします。後で平野藤四郎も呼んでおきますね」
「そうしてくれると有難い」
「わかりました。……中は暗いので、燭台を忘れずお持ちください」
 袂からろうそくを取り出し、鶴丸国永へ渡す。本丸の中は明りが少ない。私の力量のせいでもあるが。手渡す瞬間、少しだけ触れた手のひらを彼は掴む。さっきから嫌に奇行が目立つ。数秒の事ではあったが、彼は納得したように手を離して三日月宗近を案内しに行ってしまった。私の横を通りすぎた三日月宗近がやはり見下すように見ていたのが恐ろしい。
「審神者殿!こちらでしたか!!」
 きん!と高い声が廊下に響く。小さい体躯をぴょこぴょこと弾ませ、やってきた狐が一匹。
「こんのすけでしたか。どうかされましたか」
「今日の成果の御報告をお願い致します」
 なるほど、そういうことか。鍛刀結果を報告するのは審神者としての必須業務だ。こんのすけはあくまで式神。伝令役を担っている。私が報告すべきなのは、顕現の確立が低い刀剣男士を顕現させた場合のみ。どうやら早くも私は、時の政府に切られるらしい。嫌な予感ほど当たるのは正直避けたかったが仕方がない。もともとそういう役回りだ。
 とりあえず、平野藤四郎を呼び寄せてから私室へ向かおう。
「わかりました。新たな刀剣は今、鶴丸国永が案内をしています。もうしばらくしたら広間へ戻ります」
 こんのすけへ最低限を伝え、部屋で一振りだけ待つ彼の元へ行く。鍛刀部屋から平野藤四郎のいる部屋までやや距離がある。いくつかの部屋の前を通りすぎ、少し間取りの小さい部屋の前で声をかけた。すると彼は出てくる。小さい少年だが、生真面目そうなところが彼を大人びた印象にさせていた。実際のところ彼のほうがよっぽど私よりも大人で、強かそうなので、見た目の印象は私にとってそれほど邪魔になるものはない。私室へ行く旨を伝えるとはきはきと彼は答える。
「お供致します」
「では宜しくお願いします」
 彼は夜目がきくという。暗闇にあまり対応できない人の身とはやはり異なるようだ。暗い廊下は危ないという彼の提案に従って、手を繋ごうとしたその時、触れた指先が静電気がおこるよりもはっきりとばち、と音をたてた。思わず走る痛みに驚き手を遠ざけ、平野藤四郎が冷静に私に尋ねる。
「主君。先程、鶴丸殿と何かされましたか」
「いや……特別何かというのはなかったと思います」
 そうですか、と言い彼は前を向く。その様子に私も大人しく続くことにした。障害物になるようなものもない廊下を突き進み、私室へと入る。机に置いている電子機器を操作して、報告書を立ち上げ、必要最低限の事項を並べた。資材はどのくらいつぎ込んだのか、鍛刀時間はどのくらいだったか。本来ならば本丸の状況なども書き込まなければいけないが、必要最低限の情報があればいいのだ。政府はそれでも書類を通してくれる。形式に不備がなければそれでいい。役人は大して確認をしていないのだ。
 報告書を送信すると、後ろで控えていた平野藤四郎がすっくと立った。
「平野、どうかされましたか」
「異様な気配を感じます。……ここからまだ出ないでください」
 帯刀していた短刀を抜刀し、臨戦態勢になる平野藤四郎からの緊張感は私にも移る。幼き姿を侮るべからず。彼は人ではない。幼子のように怯えることも、臆することもない。一本の芯が真っ直ぐ入ったように平野藤四郎は立っている。地に足をつけてしっかりと前を見据えていた。臆病な私とは違う。まざまざと見せつけられ、彼の後ろに控えるしかない。静かに呼吸を潜めていた。
 ぞわりと背筋が凍るような気配を私が感じ取ると同時に平野藤四郎は戸を勢いよく明けて部屋を出た。彼が一歩を踏みこむと同時に金属が激しく交差し、鈍い音が鳴る。
「つ、鶴丸殿でしたか……」
「おお、悪い。あんまりぴりぴりしてたから俺もつい手が出てしまった。怪我はないか?」
「かすり傷もないです」
「なら良かった。……ところで、三日月宗近には会わなかったか」
「先程までずっとここにおりました。……新しい刀剣は三日月宗近だったのですね」
 二振りで会話を進めていくのはいいが、案内していたのは鶴丸国永だ。どこで見失うような事が起こったのか説明してもらわなければいけない。
 私の視線に気がついたのか、彼はあっけらかんと言う。
「ついさっきまで一緒だったのだが、急に消えてしまったのだ。ふっとな」
「それでは説明になりません。もう少し詳しく状況を話してもらえませんか」
「……仕方ない。ついてきておう。平野も一緒にだ」
 基本的に主である私の要求に鶴丸国永を従ってくれる。今もそういう成り行きで、説明をするのには場所に連れていく必要があるということだ。
 部屋を出て大人しく鶴丸国永の後ろを歩く。私の横には平野藤四郎。行く手を阻むものは何一つなく、部屋を出て一番最初の突き当りの角にたどり着いた。
「ここでぷっつりと消えてしまった。俺には何が何だかわからない。当然、君も見当をつけようがないと思う」
「そうですね。でも、ここを曲がるときに本当に一緒だったのでしょうか。それよりも前に、いなかったとしたら」
「消えてしまうのは自然ですね」
 平野藤四郎がはっきりと答えた。もし、鶴丸国永に気がつかれず、三日月宗近が姿を消していたのだとしたら?可能性がないわけでない。
「今頃、迷子になってないといいのですが」
「「……」」
 平野藤四郎の何気ない優しさが今は何とも言えない気持ちにさせる。もしも三日月宗近に実害がなければ私も素直に探しだそうと思えた。だが、先程のことを考えるとどうにも私は探しだしたい気持ちにはなれない。
 探さなければ、いつ何が起こるか分からない現状ではある。よくわかっているつもりだが、私は私の命がかわいいのだ。
「……主君、二手に分かれるのはいかがでしょうか。分散してしまいますが、本丸内であれば安全でしょう」
 平野藤四郎が新たな提案をしてくれる。普通に考えて、たかが家の中で迷ったくらいなら手分けして探すほうが効率的だ。よく考える暇をくれないのは苦痛でしかなかった。
「俺も平野の意見に賛成だ。君はどうだろう」
「わかりました」
 私が折れるしかない。決まれば早かった。鶴丸国永と私、平野藤四郎という組み合わせになり、平野藤四郎に大丈夫かと尋ねればすんなりと承諾する。たった一振りになるというのに彼はたくましい。生真面目さも相まって、私の中で大丈夫だろう
という安心感が生まれる。こうして私達は二手に分かれることになった。
 鶴丸国永と再び一緒になり、気になっていたことを質問してみた。
「危険と分かっていて何故二手に分かれるのですか」
「なんだ、気がついてたのか」
「当たり前です。最初に異変に気がついて鶴丸国永が鍛刀部屋に来たのに、先程平野藤四郎と私と合流してから警戒心を解いていました。一振り足りない状況で、部屋に入る前にはずいぶんと気を張っていたにも関わらず。……三日月宗近と何を話されたかは知りませんが私の眼には不自然に映ります。私を宥めてくれた鶴丸国永と今私の目の前にいる鶴丸国永は同じなのでしょうか」
「君はずるいな。いつも俺を試してくる」
「試しているつもりはありません」
 本当にそんなつもりはないのだ。うつむく私の頭を彼は撫でる。小さな子供をあやすような手付きで、ゆっくりと繰り返す。彼のこの動作は私を落ちつけてくれる。
「次は、向こうを見よう」
 指差す先は、めったに足を運ぶことのない区画だ。単純に使う必要性がない故に足を運ばないのだが、今の状況では気味が悪いとしか表現できなかった。時折、暗闇が苦手なのかと鶴丸国永はからかってくる。苦手だったら歩けるわけがないと返せば、それもそうだと笑って言う。
 部屋の一つひとつを確認するも三日月宗近は見つからない。本当にどこへ行ってしまったのだろう。仕方なしに外へ出ることになった。
 庭はかなりの面積がある。とにかくだだっ広い。探すとしても、すれ違うなんてことも考えられる。正直、かなり嫌だったが彼へ提案をすることにした。
「庭はかなり広いですし、二手に分かれましょう」
「……おいおい本気で言ってるのか?」
「見つからないなら仕方ないでしょう」
「さっきは、君のことをどちらかが守ることができたから賛成したが、君の今の意見では危険すぎる。そもそもさっき君が言ったことはどうなる?矛盾しているじゃないか」
「その時はその時です」
 真っ直ぐ彼を見上げれば、観念してため息を吐いた。しょうがないと言い、袂から取り出したひとつのお守りを手渡してきた。何故、彼がお守りなんか持っているのかと聞きそうになったが、最初に顕現した時に自分が手渡したのだと気がついた。はたして人間である私にその効き目があるかは知らないが、受け取ることにした。
「君は弱い。よく理解しておいてくれよ」
「言われなくても分かっています」
 彼は小言をあれこれ言う方ではないと思う。ここで言うということは、いつも以上に気をつけなければいけないという事だ。

 鶴丸国永と別れて砂利道を歩く。木々が邪魔をすることなく、比較的見通しの良い場所だ。星の明かりも、月の明かりもない暗闇ではまったく意味がないが。多少暗闇に慣れたとはいえ、普段見慣れないのだから自分でも軽率だと思う。
 しばらく進むと、自分の足音に混じってもうひとつ聞こえる。よく耳を澄まさないと聞こえない微かな音だったが、確かに自分とは異なる足音。神経を研ぎ澄ませてゆっくりと進むと、とん、と何かにぶつかった。
「なんだ一人だったのか」
 どうしてこうも私はタイミングばかり悪いのだろうか。今までの人生振り返ってみてもこんなことばかりだ。審神者になったのだって、本当にたまたま適正を見込まれたからで、今こんな恐怖体験をしたくてやっているわけじゃない。進んでこんな仕事をしているわけじゃない。いくつも理由にならない言い訳ばかりが浮かぶ。全部、自分の弱さだと分かっていた。
 先程鍛刀部屋で行われた動作とまったく同じ状況になり、冷たい太刀の切っ先が私の首に添えられている。
「ちょうどいい、先程聞き忘れたことがあったのだ」
「なんですか……」
「主は俺をどう扱うつもりなのだ?」
 どう、扱う?この場に似合わぬ質問に恐怖など頭から飛んでいった。そんなの決まっている。
「歴史修正主義者との戦いで先陣を切っていただきます。無論、他の刀剣男士にも言っているものになるので、同じだけの働きをしていただくことにはなりますが……」
 聞き終えて彼は――三日月宗近は私の首に刃を滑らそうとした。
 しかし、それは叶わなかった。
 切っ先と私のわずかな間で摩擦が起きたかのように刀をはじいたのだ。一瞬激しく、ばちりと音が鳴る。ぼとり、と握りしめていたお守りが地面に落ちた。
「五条の奴か……。まあ、まだやりようならいくらでもある」
 三日月宗近は優雅に呟く。彼の手が伸びてきて私は縮こまるしかできない。場を離れられるほどの気力は持ち合わせてはいなかった。
 彼の手が肩に触れてから、私は自分の意識が遠のいていくのがわかった。


  ***


 夜が明けて数刻後、別の審神者が駆け付けた時には女の姿はおろか、刀剣の一つも確認することができなかった。
 激しく戦闘した様子もなく、式神であるはずのこんのすけも不在だ。静かすぎる気配に、人が住んでいたような形跡すら感じることができない。
「こんなとこに本当にいるの?なんだっけ、えーっと」
「三日月宗近」
「そう、そいつ」
「加州、あなたいつになったら名前覚えるのよ」
「いるか分からない奴の名前なんて覚えられる気がしないって」
 無遠慮に本丸の中を歩いてみるが、やはり何も気配がない。いくつか部屋を確認して、ようやくこの本丸の審神者が使用していたと思われる電子機器を見つけるも、電源が全く入らなかった。
 予備に持ってきていたプラグを繋ぐも、応答しない。これは本格的にまずいようだ。こんな結果、報告書に記載しろというのか。頭痛がしそうな案件の対処に、審神者はため息をつく。ファイルから預かってきていた書類に目をもう一度通す。あり得ない経歴だったが、上が出してきた書類なら正しいのだろう。
 審神者には詳しく話しが通されてはいなかったが、噂に聞く『供物審神者』というくくりだったのだろうと審神者は判断した。
 そうとなれば、審神者がここにいる必要性はなくなった。あらかた本丸内は確認したし、これ以上の詮索をするには分が悪い。
「もうここには用はないわ、帰るわよ」
「もう、終わりなわけ?」
「ここにいてもしょうがないし、私はいたくもないわね」
 もし、もう一度調査するなら、審神者が顕現させている刀剣男士を全て引き連れていく必要がある。そう判断した。それほど大きくはない本丸だったが、嫌に庭が広かった。審神者それぞれの功績によって与えられる敷地面積や設備など様々ある。別段、庭が広いのは不思議ではない。しかし、ここにいた審神者のことを考えれば、庭の敷地面積などたかがしれているのだ。
本丸の門を抜ける際、振り返り見つめた先にある大きな赤い鳥居が目に留まる。
 審神者は本能的に、嫌だと思った。できればあれには近づきたくない。
「加州、帰りに万屋に行くわよ。みんなにお土産買わなきゃ」
 気を紛らわすかのような物言いに加州清光は一瞬戸惑ったが、気がつかないふりをした。彼も気がついている。近づいてはならぬ神域があることに。今この状況では何も手出しができないことも悟った。清廉な空気が流れているようで、その実禍々しい陽気も混じって本丸まで流れ込んできている。
「主、なんか買ってくれるの?」
「みんなと同じものよ。この間買った大袋の菓子が人気だったからまた買おうかしらね」
 審神者と加州清光は本丸の門を抜けて帰っていく。

 その後ろ姿を見つめる男がいる。
 はて、誰だっただろう……。


2015/8/23

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