彼女が執務室にいない時は大抵、本丸の奥に設えられた書庫にいる。刀剣達の自室のさらに奥。三の丸にある書庫は、大広間くらいの大きさがある広い空間だ。
 書物の劣化を防ぐために、室内は日が届かない設計になっていた。橙の灯りをいくつか灯しただけの薄暗い部屋には、所せましと色々な書物が置いてある。
 彼女曰く、文化は結局のところ紙でないと残せないらしい。その真偽は僕には確認出来なかったが、昔から紙で残すものは多かったなと思い出した。
「やっぱりここにいたのか」
「見つかってしまいましたね」
 見慣れた報告書の横には数冊の本が積まれている。どれも分厚く、確認するだけでも大変だろう。本には付箋がいくつか貼り付けられていた。手元には使い慣れた万年筆が置かれている。小さい紙きれに書き留めた様子もあり、仕事態度はいたって真面目だ。彼女は思ったよりも細やかな仕事ぶりで成果をあげる方だった。
「主、少し休憩でもした方がいいよ。さっきいい菓子を貰ったんだ。ほかの者には内緒さ。君にだからあげるんだよ」
 ここに来る前、小夜から少しばかり菓子を貰った。砂糖菓子だったが、左文字の者だけで食べるには多かったらしく、「歌仙にだけあげる」ということで貰ったものだ。貰って最初に思い浮かべた顔は彼女の顔だった。気がつけば彼女のことを探している自分がいた。
 ついでに、ここへ来る前に緑茶を注いできたので、狭いこの部屋でも小休憩を取りやすいに違いない。
 彼女は集中すると様々なものが疎かになるから、僕が見てあげないと危なっかしいところがあるのが心配だった。今日も案の定、水分すら持ち込まずにずっと調べごとをしているから、本当は喉がからからのはず。
 弱さを見せようとしないところは主としていいが、恋人からすれば面白くなかった。
「君はもっと僕を頼ってもいいんじゃないのかい?」
「そうですかねえ……。うーん、歌仙さんにはいつも甘えてばかりですから、お仕事だけはきっちりとこなさないと、って思うんですよ。……お菓子、いただきますね」
 お盆から下ろした菓子に手をつけた彼女は、花が綻ぶかのように柔らかい笑みを浮かべた。
 菓子を食べてる時の彼女は、それはそれは極上の笑みを僕に向ける。幸せを噛み締めるように、美味しいと連呼していた。できれば、僕といる時はいつもそんな顔をしてくれると嬉しいなと思いつつ、緑茶を注いだ湯のみを書類を避けながら机に置く。
「これでも私、歌仙さんにはとても頼っていると思いますよ? 何かあれば呼ぶのは必ず貴方って決めてますもの」
「それは嬉しいね」
 僕も彼女にならって緑茶を飲む。やはり、いい茶葉で入れたお茶は格別だ。ほっこりしているのは束の間で、彼女はまたすぐに報告書へと取りかかる。これじゃあ、ちっとも休憩にならないじゃないか。緑茶はまだ湯のみに残っているが、きっとすぐに冷めてしまうし、彼女が一息つく頃には確実に冷えきっている。頑張るのと、根つめるのは違うということはわかってるのだろうか。
 髪の毛を耳にかけて、頑張る姿は嫌いじゃないし、そういうひたむきなところも好きだ。少し粗忽なところもあるが、惚れた弱みかそれさえも愛おしいというのは僕だけの秘密だ。
 彼女が倒れないか心配になることも時折あるが、ここで倒れることはないと判断し、本棚から一冊引き抜く。彼女の隣にある椅子に腰掛け、しばらく様子見をするとしよう。
 書にふけっていると、彼女がぽつりと呟く。
「庭に金木犀の花が咲いてるの知ってましたか?」
「ああ、庭にいい香りがただよっていたね」
「私、あの匂いがするとすごく季節を感じます。もっと、これから寒くなっていくのだろうなぁって」
「あっという間に冬になって、君はコタツから出てこなそうだ」
「ひどい。貴方たちが出陣から帰還するのを玄関先で待ってるのに」
「知っているさ。しもやけに成りそうな手先と真っ赤になった鼻で待っててくれるのだろう?」
 彼女に初めて会ったのは冬だ。毎日毎日、寒い玄関先で待っていたくれたことくらいよく覚えている。待っていてくれるのは君だけだ。
「歌仙さんはよく覚えていてずるいです」
 唇を尖らせて言う姿は年相応の姿で、彼女にわからないように小さく笑った。こういう時の彼女は、僕ら刀剣と人というところを沢山比べている。見た目は大差ないくせに、異なる点が多くて不安になるらしい。
 彼女の頭をゆっくりと撫でると、こちらへ振り向く。どうしたの?と問いかけてくる瞳、表情はわかりやすい。僕も大概分かりやすい方だとは思っているけれど、彼女も分かりやすい。
 今ならいいかな、なんて思った。ほんのちょっとした悪戯心と下心で、唇を彼女の唇に重ねる。一瞬状況の飲み込めなかった彼女の瞳が大きく見開き、受け入れたのか瞳を閉じた。重ねるだけの唇は、柔らかすぎる。
 離れる間際にぺろりと舐めれば、ああ、甘い。
「やっぱり甘いな」
「……さ、さっき、お菓子食べたからじゃないですか?」
 びっくりした表情で瞳をぱちくりとさせる彼女。
「そうかもね。ねえ主」
「なんですか」
 相変わらず朱に染まったままの顔を手で隠している。不意打ちを狙っての口付けは効果的で、彼女を照れさせるのには充分だった。
 照れ隠しでつっけんどんに言葉を返す姿は可愛らしいけど、煽っていることに気がついていない。ぐっと、腰を抱き寄せてもう一度唇を塞ぐ。
「君は美味しいね、やみつきになりそうだ」
 抵抗する気はないのか、僕を見上げた彼女の額に口付けを落とした。
 ここなら誰も来ないよ、って言う彼女は果たしてどこまでお望みだろうね?


2015/09/26 → 2015/12/29修正 → 2016/4/5加筆修正

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