こんな夜更けに部屋を訪れるなんて、常識がないだろうと言われそうだが、眠れないよりは何倍もマシだった。怪談なんぞ怖くないと思っていたのが一刻前のこと。骨喰が淡々と語ったものは恐ろしく、にっかりが生き生きと話したそれも大変恐ろしかった。今歩くこの廊下さえ怖い。
 自室では落ち着かず、少し先にある近侍の部屋──歌仙兼定の部屋へ向かう。声を掛けるわけにもいかず、そろりと部屋に入ってから、何故夜這いのようなことをしているのだろうと思い至った。
 いや、夜這いなんて下世話なものではない。安心して寝るために必要なことだ。
 そう自分に言い聞かせ、襖を閉めた。気配に気がついたのか、じろりと振り返った彼の瞳と合った。
「随分大胆じゃないか」
「ち、違います……その、怪談をしたら怖くなってしまいまして」
「そんな楽しいことしてたのか」
「歌仙まで恐ろしいことを口にするのですか」
「まさか。すでに怯えてるならしないさ。珍しいものが見れた」
 愉快そうに話す彼は私の手を引いて、布団へ引きずり込む。私の思考回路は追いつかず、そのまま彼と背中合わせに横になった。
「あ、あの?」
「僕が寝ぼけたことにすればいい。そうすれば君の体裁は守られる」
 そう言って寝てしまう彼に私は何も言えないまま、ぬくもりに誘われるように瞼を閉じた。

 目が覚めたのは陽が登るほんの少し前だった。普段ならもっと遅くに目覚めるのに、いつもと違う場所からか早くに目覚めてしまった。仕方なく起き上がろうとすれば、歌仙の腕のせいで体勢を変えることすらままならない。
 確か昨夜、布団にもぐったときは背中合わせだったはず。それがいつの間にか、歌仙の腕の中というのは一体何が何やら。
 首を動かして彼の様子を伺えば、瞼を閉じて眠りについている。
 しかし、彼がいつ起きるのかわからない今、一緒になって眠りにつくのは得策ではない。もし、誰か事情もしらない刀剣がやってきたらどんな誤解をまねくのか、想像するだけで冷や汗が出そうだ。
 彼の逞しい腕を何とかよけて、布団か這い出ようと身をよじろうとすれば、彼の腕が更に力を込めてくる。どうしよう、と焦りが出てきた頃、すぱんと襖が開いた。
 一体全体誰が来たのか、襖の方を見やると燭台切光忠がおや、と言いながら立っている。その様子は完全に、勘違いをしているに違いない。
「……悪かったね、またあとで来るよ」
「待ってください!違うんです!」
 襖を閉めて出ていこうとする彼を引き留めようとすれば、あからさまに戸惑いの表情を見せる。勘違いをしている状態なら、その困ったような、覗いてはいけないものを見て立ち去る表情をするのはわかるが、本当に違うのだ。
 話だけ聞いてと懇願するように伝えれば、光忠は乗り気ではなさそうだが何とか部屋に留まってくれた。
「……主、これはさすがに居づらいんだけど」
「わ、私だって好きこうなったわけじゃないです。起きようとおもったら、歌仙の腕が邪魔で起き上がれなくて、困ってたらすごいタイミングで光忠がくるから……私だって恥ずかしいですからね」
「ごめんよ。で、歌仙の腕を外せばいいんだね?」
 こくこくと私が頷けば、光忠はすぐさま腕を外してくれて、ようやく起き上がることができた。
「ありがとうございます。このまま起き上がれなかったらどうしようかと思いました」
「いや、主はなんで歌仙と寝たのかな」
「……えっと、それは」
 何て答えればいいのか。昨日眠りにつく前に、歌仙は僕が寝ぼけたことにすればいいと言われた。だが実際は、私が怖くて夜更けにも関わらず歌仙の部屋にはいったのだ。
 光忠に正直に説明したところで疑われはしないだろうが、まず夜中に怪談話をしていたところから怒られるだろう。一応この本丸の主をしているが、私が年若いせいか諭されるように話されるのは今に始まったことではない。
 どうするか考えてから、私は正直に話すことを選んだ。
 歌仙の言葉は有難かった。でも、彼の立場を危うくしては主失格だ。
 眠っている彼を起こしてしまうのは忍びなく、光忠に一声をかけて廊下にでた。
 適当にお茶を飲みながら話そう。夜明けにはまだ早い。
 寝静まって静かな廊下を通り過ぎ、厨房の手前にある一室へ急須と湯呑を持って入った。手頃に休憩がとれるこの部屋は何だかんだ使用している。
 こぽこぽと熱い緑茶を湯のみに注いで光忠へ渡す。
 一通り事の顛末を話すと、光忠は呆れ顔になった。正直予想通りの反応だ。
「女性が安易に男の部屋に行くもんじゃないよ。いくら近侍だからといっても、何かあってからじゃ遅いし」
「光忠は心配しすぎですよ」
 私がきっぱりと言い切った様子に光忠は頭を抱え始める。心配してもらえるのは嬉しいけど、あの歌仙が?という感じだったのでどうにも繋がらなかった。
 光忠は相変わらず困ったような表情をする。
「主は鈍いね……」
「そんなことないです。ちゃんと皆のことはわかりますよ?」
「知ってるよ。よく細かいところまで気がつく。けど、色恋には鈍いってこと、だよ」
「え、いや、あの」
「まったく目を離すとこれだよ」
「歌仙おはよう」
「楽しそうな話をしてるじゃないか」
「まあね。僕らの主は鈍いからもっとあからさまにしないと」
 突然の歌仙の登場に驚いていると、愉快そうに話始めた光忠に歌仙は眉をひそめた。明らかに嫌そうだ。
 頑張ってねと爽やかに告げた光忠は部屋を出てしまい、今度は歌仙と二人きりだ。
 このタイミングで二人きりというのは、微妙に気まずくて新しい湯のみを取りにこうと考えた。
「……新しい湯のみ持ってきますね」
「大丈夫さ。それよりも燭台切に正直に話してしまったのかい」
「ええ。だって、あなたにいらぬ疑惑を被せるわけにはいかないですもの」
「なるほどね。仕方ない、やり方を変えようか」
「変えるって、え、ちょ、歌仙?」
 近づく彼に後ずさるようにすれば、あっという間に壁際で。とん、と顔の横に彼の手のひらが置かれ、距離は近すぎるくらいだ。
「近くないですか?」
「近くしてるからね。こうすれば、いくら鈍い君でもわかるだろう?」
 驚くほど優しい声音で囁く彼に、いくら展開の読めない私でもはっきりとわかってくる。こんなやり方はずるい。
「今夜も待ってるよ……」
 そんな風に言われてしまえば、私に拒否権などなかった。

2015/05/31

toptwinkle