私はいつものように万屋へ買い出しへ行くため、支度を整えて私室を出る。今日は足りない物資をいくつか買い足す程度だ。それほど量はないし、各刀剣達にも任務をお願いしていたので、誰かに付き添いをしてもらおうとは思っていなかった。
「一人で出かけるつもりかい?」
「まあね」
 私室を出てすぐの柱にもたれるように背を預けていたのは歌仙だった。待ち伏せだなんて趣味が悪い。普段は私にこれでもかというくらい小言を言うくせに。
「供くらいはつけていくべきだよ」
「いつもの場所だし、今日はそんなに買わないし大丈夫よ」
「君は全く立場を理解できていない」
 呆れた声で言うのなんて、もう随分前に慣れてしまった。やれやれと歌仙は溜息を吐く。どの動作もいつもやつだ。
「僕が行こう」
 得意そうな笑顔で言う歌仙は、私が拒否しないことを見通しているのだろう。
「素直について行くって言えないの?」
「強情な君に言われたくないな」
「はいはい」
「はい、は一回だ」
 悠前と隣を歩く歌仙はどことなく嬉しそうだ。
 今日は何もねだられないといいが、彼がついてくる時は大体余分なものまで買わせようとする。歌仙の悪い癖だった。
 私はお財布に入ったお金の心配をしつつ、今日買いだすものを確認する。袂に入れた端末と取り出し、画面を起動させる。
 ぴかっと光った画面にはメモが映る。ひい、ふう、みい、と数えて、大丈夫だなと再認識する。
「厨当番はどうしたの?」
 たしか歌仙にはいつも通り、厨当番をお願いしていたのだ。普段ならまだ手すきにはならないはずだ。
「今日は沢山いたからね。燭台切が抜けてもいいって言ってくれたよ」
「珍しい……」
 普段なら燭台切か歌仙どちらかが欠けようものなら、わざわざ私のところへ直談判するくせにどういう風の吹きまわしだ。
 歌仙の言い方から本当に燭台切は許可したようだが、後で何か高級食材でもねだられたらどうしよう。お財布は追いつくのだろうか。
「主、出る前にこっちおいで」
 手招きされたのは洗面台につながる分岐点だった。いくつかの障子の前を通りすぎた突き当りが洗面台だ。いつもの倍以上に笑っている歌仙に訝しながらも、私は彼の言うとおりにする。鏡の前に立たされると今度は歌仙が私の前に来て、ぽつりと一言。
「少し瞳を閉じてくれ」
「う、うん……」
 緊張しながら閉じた瞳が細かく震える。開けたい、でも開けてはならない。息を潜めてじっとしていると、瞼に指が触れた。
「歌仙?」
「少しだけだよ」
 ぽんぽんと撫でられる。少しひやりとした指先がもどかしくて、暖かくして欲しいなあと思う。きっと、待っていた廊下は春になりかけとはいえ、肌寒いだろうし、厨もまだまだ寒い。その分、歌仙は冷えているのだろう。すぐに彼の行動なんて思い起こすことができた。
「ねえ、まだ?」
「もう少し……」
 ゆっくりと指先が触れて、離れて。四度程繰り返したところで歌仙が目をあけてごらん、と言って私の目の前から距離を置いたのがわかった。
 目をあければ、自然と鏡と向き合わせになり、すぐに変化したことに気がついく。ほんのりと赤くなった目もとに、後ろで微笑む歌仙を見比べる。アイシャドウの代わりにのせた朱色は派手になりすぎず、控えめにふんわりとのっていた。
「君の忘れ物、だね」
「今日は薄めにしてたの……」
 忘れ物、だなんて謎めかせて言っているけど、化粧が薄すぎることが気になったのかもしれない。いつもの場所だし、と気を抜いていたこともあるけど、何かとうるさい歌仙は目ざといのだ。そんなこと今更だった。
「まあ、他にも理由はあるけど、今の君には難しいかもね」
 頬に添えられた手をどうすることもできず、私は受け入れたままだ。振り払うことも、歌仙の手を取ることも躊躇してしまった。歌仙があんまりにも優しく笑うから反応が遅れてしまったのだ。歌仙のあの瞳に私が太刀打ちできないのを分かっているのだろうか。
「……早くしないと日が暮れてしまうね、行こうか」
 ふふっと楽しそうに声を出した歌仙は私よりも先に洗面台を出てしまう。
「……な、何な、の……?」
 歌仙が触れた箇所が熱い。自分の手で冷やそうにも、すでに自分の手先まで熱くなっている。茫然と立ちつくす私は、このまあ歌仙の後ろ姿を見送ってしまいそうな勢いだった。なかなか追いかけて来ない私に気がついた歌仙がくるりと振りかえった。
「おやおや顔まで熟れてしまったね」
 愉快そうに笑う歌仙に私はようやくこの感情が何かに気がつく。忘れ物をしていたのは私の方だった。


2016/03/26

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