ぱたぱたと団扇を煽ぎながら廊下を歩いていると、水場でじっと桶を眺めている人が一人いた。全体的な薄桃色が特徴的な刀剣男士――宋三左文字がいた。
「宋三……何してるの?」
「ああ、貴女でしたか。別になにも、見ての通り水をくんでいたんです」
「ふうん。それにしても、随分と覗き込んでいるみたいだったけど」
 宋三の横に並んで桶の中を覗き混むと、ひんやりとしていそうな水がなみなみとくまれていた。このまま手を入れてみたら気持ちいいのだろうな、と思っていたら宋三が私をじっと見つめていた。
「なに?」
「手、入れて見ます?」
 どきっした。自分の心のうちを見透かされたみたいで、何もこ答えられずにじっとしていたら宋三の手がにゅっと伸びてきて、私の手首を掴む。
「ちょっと……」
「だって入れるんでしょう?」
当たり前のように宋三は私の手を掴むもんだから、戸惑っている私の方が可笑しいみたいだ。団扇をもっていない手はそのまま桶の中へと入っていく。ちゃぷんと、吸い込まれるように入った水の中はやはりひんやりとしていた。なんだか、宋三と同じみたいだ。手からするりと抜けていきそうなところと、少しだけ冷たいところが私の知っている宋三像で、不思議な気分だった。
「どうですか」
「まあ、ひんやりしてるかな」
 じりじりと蝉の鳴き声が辺りに響いていて、沈黙の時間が続く。ふと見上げた空に高くなっていく入道雲が目に入った。どんどんと高くなっていく入道雲は、夕方には真っ黒な雲をつれて、夕立になるのだろうなと思った。今だけが暑いのだ。
じっとりと汗ばむ気候と、片手だけ冷えていく感覚が異なっていて、どうにも歯がゆい。自分の体がちぐはぐになったみたいだ。
 宋三はなんともなさそうで、暑がっている様子すら見せない。何をどうしたらそんな涼しい顔をしていられるのだろうか。羨ましいばかりだ。
「宋三がこんな昼間に外にいるの珍しいね」
「貴女は馬鹿にしているのですか」
「別にそんなのじゃないって。去年のこの時期とか、部屋に籠もってたでしょう?」
 籠の鳥なんて自嘲気味に言うくせに、宋三は自らその殻を破る術を探しあぐねていた。江雪と小夜がそれとなく、日のあたる場所へ誘い出しているところを何度か目撃していたのが去年の夏の光景だ。最初は夏が苦手なのかと思っていたけれど、そうではないと気がついたのは、宋三が夜には外に出ているところを目撃したからだった。
 声はかけなかった。彼が一人で太陽の光と戦っていたのだと知ったからだ。
「いつの話をしているのです。僕はもう、この通りでしょう」
「はいはい。前の話ですね。もう、宋三は私に怒りっぽい」
「貴女だって、すぐあれこれ言うくせに」
 ぽんぽんと出てくる小言を流していると、桶の中に入れた手をぎゅっと握ってきた。ちゃぷちゃぷと桶の水が揺れて、外へ飛び跳ねる。目を左右に動かし、そろりと宋三を見上げた。太陽の逆光で、暗くて表情はあまり見えない。
 ちらりと暗がりに見えた表情は、いつもより楽しげに見えた。
「それくらいで、動揺しないでくださいよ」
「この状況でそれ言う?」
「だって、耳まで赤い」
 ただでさえ近い距離がさらに縮まる。ふっと、耳元にかかった吐息に肩を揺らすとさらに楽しそうな声が降ってきた。
「こういうのは、意地が悪いっていうの知らないの?」
「さあ、どうでしょう」
 ああ、暑くて仕方ない。浸かった指先も溶けそうなくらい熱をもっていきそうだ。横目に見上げた空を恨めしく眺めながら、たまには彼と出かけてみようか、なんて頭の片隅で考えている私は、宋三にほだされて、この暑さにあてられているのだ。

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