本丸に新たな審神者を迎えた。その審神者は若く、希望に満ち溢れてる。初夏の日差しを受けて若葉がすくすくと成長するように、審神者は何でもこなし、刀剣と心を通わせた。
 ある日の昼下がり、審神者は書庫に籠っていた。和泉がそわそわしているから何事かと思えば、食事も取らずにずっと籠っているということで、結局僕も書庫へ向かうこととなった。
「和泉、君は強くてかっこいいのだろう?そう、忙しないと雅に欠けるよ」
「だってなあ、あの人は飲まず食わずなんだぞ?二代目は気にならないのか?」
「主は、熱中してしまう質なのさ。たぶん、これを持っていけば食べるだろう」
 廊下を歩いている間も浮かない顔をしている和泉を諭しながら、手に持ったおにぎりを見つめる。審神者が何か調べごとや、期日間際の仕事をしているときは必ずと言っていいほど、寝食を忘れる。
 それこそ、水分一滴すら忘れることもあるので、本丸にいる刀剣たちが事あるごとに声をかけなければあっという間に脱水症状になってしまうだろう。
 本丸の中でも奥の部屋に設えられた書庫へたどり着くと、小さな引き戸を開ける。
 光の差し込まない書庫は、明かりがなければ歩きにくい。幸い書庫には電気が通っているので、スイッチを押せば橙の薄明かりが灯る。
 いくつか本棚を過ぎ、端の方で小さくなっている審神者を見つけた。声をかけようとしたが、審神者の持っている書物を見た時に、いい表し難い感情が押し寄せる。
 そんなはずはない、頭を振りながら頭の四隅へ追いやり目の前の審神者へ声をかけた。
「また忘れてるよ」
「……また、忘れていたようだ。すまなかったね。……今回は兼定できたのか。珍しいこともあるもんだ」
「和泉が心配してたからね。君も少しくらい学んで欲しいよ」
「考えておく」
 苦笑しながら審神者はおにぎりを受け取った。それをむしゃむしゃと頬張りながら、手にしていた本を目の前に掲げて僕らに、これを知っているかと訊ねてきた。
 分厚い本で、少し日に焼けてはいたが、それほど年月は経っていないようだ。おにぎりを口に入れながら審神者はどうなんだと繰り返す。
「それは……」
「二代目知ってんのか」
「知ってるも何も、これは前の主──この本丸にいた前の審神者の手記だよ。どこからそんなもの見つけたんだい」
「その一番奥の右端、一番上の段に入ってた。へえ、私が来る前のねえ。随分と記録好きな審神者だったのか……」
 感心したように審神者は頷きながら、読みかけのその本をまた読み始めた。和泉は無事に主人が食事を取ったことで安心したのかすぐに書庫を出てしまう。
 僕はすぐに出ることは出来なかった。嫌でも思い出してしまうのは、前の主に初めて呼び出された刀剣だからだろうか。

 この本丸にいる刀剣の一部は、以前この本丸にいた審神者によって顕現されている。前の審神者は少し特殊だったのか、審神者が死してもなお、刀に戻ることはなく今に至る。
 和泉は今の審神者によって顕現された為知らないのも無理はないが、知っているものは知っているというのがこの本丸の中での特殊な事情だ。
 そして、今の審神者が手にしていたそれは、記録好きな前の審神者が丁寧に書き記した歴史修正主義者との戦の記録だった。
 懐かしいそれを見て、うす靄がかかって昔を思い出す。

 ほっそりとした小柄な少女に呼び出されたのは桜の花が満開になった季節だった。
 春風が吹くように柔らかく笑ったのが僕の前の審神者だ。
 彼女は日記を書くことを日課としていた。万年筆で書かれたそれは、僕ら刀剣が見ても良いということで、何度も読み返したのだ。初めて肉体を持って、僕らがどのように人らしくこの肉体を扱えるようになったのか事細かに書かれていた。
 恥ずかしく思う刀剣もいる一方で、僕はとても嬉しかったのだ。
 人間である審神者が当たり前にしていることを僕ら刀剣がすることで、初めて見たこのように驚き、喜ぶ彼女の手記は瑞々しく活き活きと書かれていた。
 彼女と長い年月を経たある日、増え続けたその手記はどうするのか聞いてみた。
「さあ、誰か見るかもしれないし、誰も見ないかもしれない。私が好きで書いて、好きに残すのさ。知らない誰かが見つけて、何か感じ取るならそれでいいんじゃないかな。わたしはただありのまま残しておくよ」
 いつものようの私室で万年筆を握り、紙へ残す彼女は、僕の理解できない部分で、悟ったように話した。
 彼女は付け加えるように、処分された時はその時だねと出会った時から変わらぬ柔らかな笑みを浮かべる。
 顔にシワがふえ、深く刻まれる笑顔が、儚く見えた。
 彼女は最後まで、それほど多くの刀剣を顕現させることなく一生を終えた。通常の人の人生に比べ、この特殊環境の中で長く生活を続けた彼女は、普通の人間の倍の時を過ごしたらしい。
 そのことを知ったのは、彼女が亡くなってから発見した最後の手記に書かれていた。書かれた日付は、彼女が寝込むようになった数日前。
 残された刀剣たちは、彼女がいかにゆっくりと時を過ごしたのか、彼女の手記によって初めて知ったことだ。あまりにも彼女の近くで寄り添い、過ごしてきた故に見逃し、気がつきもせず、淡々と過ぎてしまう。理解すれば簡単なことで、それは異常なことだった。
 残された僕ら刀剣は、刀に戻ることもできず、彼女が残してくれた手記に頼って過ごした日が過ぎていく。それは、新たな審神者がくるまで続いた。

 彼女の最後を看取ったのは僕だった。彼女の命令で、僕だけが一番最後まで傍にいることを許された。
 布団の中でゆっくりと話す声はもう、微かで耳を寄せなければならないほどだ。布団から弱々しく出した手をきつく握り締めると、彼女はふっとわらう。
「歌仙は優しいからね、私のこんな姿なんて見たくもないだろうけど……悪かったね」
「僕は君と最後まで話せて嬉しいよ」
「こんな時は憎まれ口すら言ってくれないのね」
「言えるわけないさ」
「それも、そうね……歌仙」
「なんだい」
「私の日記だけれど、あとで書庫の一番奥のわかりにくい場所に入れておいてね。そこなら、処分されないだろうからよろしく頼むよ」
 最後まで己の手記を気にするとは思わなかったが、彼女の言い分を守ると誓った。それは、彼女との最後の約束だからだ。暗い書庫へ行き、何十冊にものぼる手記をきれいに仕舞いこむ。
 知らない誰かが見るその時まで、手記は更新されないだろう。そうしてしまい込まれたのだ。

 気がついたとき、随分と近い距離で顔を覗きこまれた。
 僕の目の前にいたのは今の審神者だ。審神者は僕を心配して、思わず近づいたとのことだった。
「……私も書いてみようかな。この最後の手記の次からね。そしたら、私の次の審神者が読むかもしれない。なかなか面白い」
 目の前の審神者がいたずらっ子のようににやりと笑って言う。目を丸くしたが、また見れるのかと思い至るくらいには、楽しみになることがすぐに予想できた。
 新たな審神者の手に渡った手記はしばらくぶりに稼働するらしい。

 後日読んだ僕が、今の審神者へ万年筆の扱い方を教える羽目になった話はまたいつかの時にでも。


2015/06/03

toptwinkle