これは地獄行きの切符だ。配属通知は、ただひとつの生きる道であり、それはどこか神格化された朧気なものだった。神格化されても、その身一つで行う所業が今生で許されるものなのかは、きっと、死ぬる時まで理解なんて出来こっないのだろう。

 ここは帰る場所でありながら、帰る場所ではない。

 障子を全て開け放つと日も落ちた暗がりの中、満月に近い月の明かりが手伝っているのか、雪明りで外は白んでいた。普段は睡蓮と蓮が咲く水辺も、今は分厚い氷が張った上にしんしんと雪が降り積もり、どこまでも積み上がっていくようだった。薄着のまま外気に触れたせいで、ただでさえ冷え性で末端が冷え冷えとしている審神者の手足はさらに悴んでいく。頬に、鼻に、額にあたる風が色を無くすように冷たい。感覚を削ぎ落としてしまいそうなほどだ。
 審神者は開け放った障子の先へ身を乗り出し、降り積もった軽い雪を手にした。そして雪を丸く固めて遠くへと放り投げた。外は音を吸収してしまうように静かだった。放られた雪玉はずぼりと沈んでどこへ落ちたのか見えない。
 そんなことを数度繰り返していると、不意に声が掛かった。
「手が霜焼けになっても知らないよ」
「それくらい加減してるよ」
 部屋の中に入ってきた姿に審神者は、ここにも白いものがいたな、と考えつつ手の中にあった雪玉をまた遠くへ投げ飛ばした。
 出陣から還ってきて、一休みしようとしたところだろうか。戦装束のままのせいで、黒が目に入るはずなのに審神者にとっての白はこの男なのだ。白銀の髪を丁寧にセットし、同じ白銀を彷彿とさせる外套を纏った男――山姥切長義は、審神者に近寄り腰を下ろした。
「お疲れ様」
「ああ、還ったよ」
「部屋に戻れば良かったのに」
「貴女が起きてる気がしたから来たのに」
「勘が良いことで」
 審神者が再び雪の中に手を入れようとしたのを長義は掴んで止めさせた。審神者が刀剣男士に悪戯を仕掛けるようにかまかけたり、言葉遊びをすることはあるが、こうして一人で理由もなくあてのないことをするのはらしくない。らしくない、というよりは、見せないようにしているだけか。
 元々責任感の強い人で、八十を超える刀剣男士を率いている。一つの本丸を受け持つ審神者として、大将として、命令を下すとき、誰もが己の内に湧き上がる士気を感じたことのない者なんていないだろう。そのくらい、彼女は将としての気概と才能を兼ね備えている。一朝一夕では手に入らないし、努力してもそう簡単に手に入る能力ではなかった。
 そんな彼女がひとり遊びをしているのは何とも寂しい光景だ。珍しい姿ではあるが、小さな手のひらを赤くして、凍えるように冷たくなった指先は感覚が残っているのかわからない。
「手袋っていいよね」
 審神者は長義に手にはめられている手袋を外していく。
「寒いからやめてくれないか」
「……手袋じゃ温まらないじゃない」
 勝手に雪で遊んでいたのはそっちだろ、と言いたかったが、黙々と外していく姿にため息を零しただけで、そのまま自由にさせた。片手は自由なので器用に掛けていた外套を外して彼女にもかぶせる。手足の他にも、存外薄着な彼女は身体全体が冷えていそうだった。
「でも手じゃなくても良かったかもしれないね」
「嫌な予感がする……」
「冗談よ。よし、これで温めてもらえる」
 手袋を外された長義の手をカイロにして、自分の手で包み込む審神者は楽しそうだった。なされるがままに流してしまったが、審神者が頬に手をもっていこうとしたところで動きが止まった。じっと見ていた長義は、審神者の緩んだ顔を見ながらぽつりと言う。
「甘えるの下手すぎないか」
「そんなんじゃない」
「俺がいなくて寂しかったのかな」
 長義はいつもよりも少し長い出陣へ行っていた。遠征というわけではないが、通常の出陣とも異なっていた。この本丸は時の政府直下の特務管理課という部署から要請を受けて任務を遂行することがある。今回はその任務を数振りに任せており、その中には長義も入っていて出陣していたのだった。
「寂しいとは違うかな。長義がいなくて退屈してただけよ」
「そうかい」
「ええ、そうよ」
 長義は静かに彼女の肩を自身に寄せた。
 やっぱり彼女の身体は雪風のせいで冷えていた。己の切っ先のように冷たい。
「待たせたね」
「待ちくたびれたわ」
「貴女が采配したのに」
「最善を尽くすのが私の流儀なの」
 それなら、と喉元まででかかったが自分も素直に言えるわけもなく飲み込んだ。
「閉めないか」
「ううん、もう少しだけ」
 やっと体重を長義に預けた審神者は一面の白銀を見つめた。

 帰る場所を探している。

 探しても探しても、落ち着かなくて、本当はこの雪に埋もれてしまいたかった。
 けれども出来なくて、いつの間にか己が情愛を傾けてしまった男に引き寄せられてしまった。

 審神者の還る場所はきっとこの温もりのある白銀(しろがね)だ。

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