朝一番に開花した朝顔を見つけた審神者は、顔を綻ばせた。このところ、いつ花開くのだろうかと気に掛けていたものだ。鉢植えの支えに絡みついた、蔦の先に伸びたつぼみが膨らんでいくのを見るのが最近の楽しみになっていた。庭先すぐの場所においているので、起きた一番最初に様子を確認できる場所だ。
 起き抜けに今日は何を着ようかと考えていたが、すぐに薄い青紫色の朝顔が描かれた着物を去年買ったことを思い出した。待ち望んでいた開花に合わせて着るのも良いのではないだろうか。自身の初期刀が知ったら、審神者と同じように嬉しそうな顔をしてくれるかもしれないと、一度出た部屋に戻った。
 普段よりも爽やかな装いに、珍しく髪型も変えてみた。鏡越しに見た姿に、普段よりも丁寧にまとめたせいか、首元が心許ない気がしたが、この時期はまとめているほうが暑さの不快感も軽減する。
 少し時間が押してしまったものの、日課の水やりなどをこなした審神者が一番最初に顔を合わせたのは、珍しく初期刀である歌仙ではなく、馬当番から戻ってきた加州と蜂須賀だった。
「おはよう」
 顔を合わせたから自然にでた挨拶をお互いに交わす。
「主、今日は外出でもするのかな」
 蜂須賀に尋ねられ、外出の予定は立てていなかったなと思ったところで、自分の格好を物珍しそうに見る二振りの顔を見て納得がいった。たしかに、今の格好では出かけるのに浮かれているように見えるかもしれない。
「違うわ。さっき、朝顔が咲いてたから同じにしてみたのよ」
「そうなの? 俺も、蜂須賀と同じように出かけるのかと思った」
「似合っているよ」
「ありがとう」
 加州も蜂須賀も似合っていると褒めてくれて、こそばゆい気持ちになった。よく、周りにももっと色々着ればいいのに、とは言われるが、毎日本丸にいるのだから過ごしやすい格好を優先してしまいがちだった。
「今日って主、時間ある?」
「ええ、大丈夫よ」
「じゃあ、爪も塗ろうよ。可愛いのあるんだ」
 主の肌は白いからどれにしようかな、と手を取りながら本丸までの道を歩いていく。玄関まで戻ってくると、お互いにまたあとでと別れた。
 一通りの日課を終えた審神者が歌仙と顔をあわせたのは、朝食も終わって器を厨に下げにいった時だった。普段なら遅くても大広間で会うのだが、ここまですれ違うのも珍しい。
「ごちそうさま」
「それ預かるぜ」
 水道で食器を洗っていた同田貫に手渡した。審神者は歌仙の姿を見つけたものの、忙しなく作業をしている歌仙に遠慮して厨を出ようとした。
「主」
 頭にかかりそうな暖簾を手で避けようとした時だった。声の主のほうへ顔を向けた審神者は、彼の――歌仙のやや困ったように眉を下げた迷いのある表情に、やはり会話をしたほうが良かっただろうかと数十秒前の自分を恨めしく思った。近づいてきた歌仙にそのまま手を引かれ、厨の外に出た。厨の中が、片付けをしていて賑やかだったからだ。
 廊下に出て、お互いに沈黙が続いた。
「歌仙、忙しいんじゃないの?」
 これは純粋な疑問だ。この時間が忙しいのは、審神者も歌仙も理解しているはずで、わざわざ自分を呼び止めさせてしまったことへの罪悪感と、まだ厨で忙しなく動いてる刀剣たちの様子も気になってしまう。
「少しくらいならかまわないよ。そうじゃなくて、朝一番に君の顔が見れなかったから、落ち着かなかったんだ」
 安心した、と続いた歌仙の声は、ようやく安堵した穏やかな声音だった。審神者は驚いた顔のまま歌仙を見上げてしまった。次からはすぐに歌仙に声をかけようと決めた。この初期刀は時々、過保護すぎるのだ。だが、その理由も審神者はわかっていた。
「さっき歌仙に声かけようか悩んでいたの。だから、嬉しいわ」
「君ねえ……」
 今度は呆れた声になった歌仙に、審神者はくすくすと笑い出した。ここまでくれば、いつもの調子に戻っていく。
「私、加州と約束してるから行くわね」
 するりと歌仙と別れた。
 加州のいる部屋を訪ねると、隣部屋の安定も部屋にいた。なんだかんだ言いつつ、この二振りは仲がいい。
「ごめんなさい。待たせてしまったかしら」
「全然。何色にするか決まらなくて安定と選んでた」
「加州が選ぶなら、何色でもいいわよ」
「もう、それじゃあダメなんだってば」
 加州は机に広げていたマニキュアを見せてくれた。色とりどりの小瓶が並ぶと、庭の花のようで花畑みたいにカラフルだ。
「加州と安定はどれがいいと思ったの?」
「俺は、着物に合わせて、これとこれ」
 加州の指先は二つの小瓶を選び取る。淡い水色と藤色のマニキュアだった。
「僕はこっちかな」
 安定は加州に対してやや濃い色の青色だった。
「やっぱり好きに塗ってくれていいわ。どの色もきれいだもの」
「主がそう言うなら……」
 加州と安定はマニキュアの小瓶を組み合わせながら、色を選びとってくれた。その様子を微笑ましく見ていたが、一色だけ目に止まった色があり、審神者は一つ気になった色をとった。
「それのほうがいい?」
 安定に聞かれた審神者は、あるお願いをした。
「これでグラデーションって作れるかしら」
「いいよ」
 審神者の意図を汲み取った加州はにんまりと笑った。楽しみを見つけた子供のように、審神者の手をとりながら手入れをしてくれた。
 両手の爪を塗り終えると、普段は彩りのない手元が華やかだ。グラデーションにしてもらったおかげで、薄らと移り変わる色味がきれいだった。
「ありがとう、ふたりとも」
「いいって、お安い御用だよ」
「僕らの好きにやったんだしね」
 そうそうと、息ぴったりの加州と安定にお礼を言って部屋をでた。自室までの道すがら、両手を眺めてみる。自分でネイルをすることはほとんどないので、朝顔のような色がのった爪が物珍しい。
「両手なんて広げてどうしたんだい」
「さっき加州に爪塗ってもらったの」
 目の前からやってきた歌仙に爪を見せた。
「爪にも花が開いたみたいだね」
「ええ、どこかお出かけしてみたくなるわよね」
 そんな審神者の言葉にお誘いをしてみた。本人は誘われると思っていなかった様子で、歌仙が拍子抜けした顔になる。てっきり、他の誰かと出かける用事でもあったかと思っていたのに。
「君の格好見たら誰だって気にするだろうに」
「そうかしら」
「少なくとも僕は、君の隣を歩きたいとおもったからね」
 この本丸で彼女を気軽に誘えるものは限られている。歌仙は自分がその筆頭だという自覚も、断れないことも自覚していた。
 審神者は相変わらず照れてしまうようで、慣れてほしいような気持ちと、いつまでも同じようでいてほしい気持ちのどちらもあり困ったなと、歌仙は微笑んだ。

 * * *

 涼やかな装いの審神者の足取りは軽く、歌仙も同じ速度で街を歩いていた。誰かに頼むつもりだった買い出しをついでの用事として出てきたので、目当ての店を見つけると真っ直ぐに進んでいく。店の軒先に飾られた笹と短冊の飾りつけが目に入り、今日が七夕なことに気がついた。
「おや、今日は七夕だったね」
「小さい頃にしかやったことないわ」
「短冊に願いを書くってやつかい」
「ええ。通ってた幼稚園でやったけど、書いたことは覚えてないの。きっとそんなものよね」
 審神者は頷きつつ歌仙に答え、ふたりは店内へと入る。小さい頃の記憶は、しっかりしたものと曖昧なものがごちゃ混ぜになっている。だから、字が書けるようになるか、ならないかくらいに書いた願いごとは覚えていない。もしかしたら母や祖母は知っているかもしれないけれど、わざわざ確認することでもなかった。
 先に用事を済ませるために、不足していた物を買い足し会計を済ませた。
「せっかくだから、書いていかないか?」
 審神者が買ったものを再度確認していると、歌仙はレジ横を指さしていた。レジ横に『ご自由にどうぞ』の文字とともに、色とりどりの短冊と、サインペンが置いてあった。
「今日、けっこう書いていかれる方々多いんですよ」
 レジにいた店員がにこにこと言う。審神者や刀剣男士たちしか利用しない店とはいえ、なんだかんだと書いていくらしい。店員の言葉に笑顔で答えながら、審神者は自分と歌仙の分の短冊とペンを取り、近くにある椅子に腰掛けた。テーブルも用意されており、近くには自分と同じように審神者と刀剣男士がいた。
「こっちは歌仙の分ね」
「ありがとう」
 書いた内容はお互い秘密にすることにした。お互いのことは、今さら隠すようなものでもないが、少しくらいそういった楽しみがあってもいいじゃないかとなった。どちらが言い出したわけでもなく、なんとなくそういう流れになったのだ。
 審神者も歌仙もあまり迷うことなく短冊へ文字を綴り、笹へと括りつけた。すでに笹のあちこちへと色とりどりの短冊がついており、様々な願いごとが書いてあった。どこの誰とまでは分からないが、何となく審神者が書いたであろうものは、見分けがついてしまう。同じ審神者だから気がついてしまうものだ。
「主、つけられたかい?」
「つけられたわ」
「それなら行こうか」
 自然と審神者の手をとった歌仙と連れ立って歩いていく。本丸の外でさえあまり手を繋いで歩くことはしないのだが、歌仙もわかっていてやっているようだった。審神者の大人しい様子を見かねた歌仙は口を開く。
「君は、当初の予定を忘れてしまったかと思ったけど、相変わらずだね」
 歌仙は苦笑しつつも声は楽しげだった。
「歌仙はそうやって私の反応ばかり楽しんでるわ」
「君じゃなかったら、僕はこんなに気にならないよ」
 顔を綻ばせる歌仙は、本丸にいる初期刀の顔をしていなかった。恋人へ向ける柔らかなまなざしをしていた。時折歌仙が見せるその表情に、審神者はどうにもむず痒く感じる時がある。恋仲になるまで気がつかなかったのだが、思い返してみればそれは以前から審神者に向けられていたのだ。
 どうして想いが通じ合うまで気がつかないでいれたのか不思議なくらいなのだが、宗三に相談した時に散々な言われようだったのを思い出した。気づいてからというものの、歌仙が決まってその顔を見せる時は、視線を合わせるのも緊張してしまうほどだ。
「私だって、歌仙のせいよ……」
「そう言われるのも、悪くないね」
 結局、こういう時は歌仙のペースに乗せられてしまうのだ。
 その後もいくつか店に入ったり、買い足したりして日が落ちる前には本丸に戻ってきた。
「歌仙、こっちきて」
 審神者は朝のことを思い出し、すでに花は閉じているかもしれないが朝顔を見せたいと思った。歌仙は審神者の後ろを何も言わずについていく。お目当ての鉢植えのところまでやってくると、しゃがみ込んだ審神者は歌仙が見やすいように鉢植えの向きを変えた。
「朝、歌仙に教えたかったんだけれど、会えなかったから」
「それで今日の格好だったんだね」
「すごくきれいに咲いたから嬉しくて。まだ蕾があるから、少し咲きそうよ」
 審神者が嬉しそうに話す姿が、たまに見え隠れする年相応の彼女らしさだった。
「明日だったら一緒に見られるかしら」
「うん、そうしよう。まだ鉢植えもあるからね」
「約束よ」
 優しく笑う審神者の言葉を聞きながら、歌仙は織姫と彦星のことを考えていた。一年に一度しか会えないという昔話だが、自分たちはいつも同じ本丸で過ごしている。それでも、いつもの時間に会えないなんてこともあるのだから、人というのは難しい。
 それでも約束をして会うのを楽しみにしている自分がいるのも確かだった。また明日、君と過ごす日がどんなものになるのか知りたくなる。彼女が幸せであることを願わずにはいられない。それができれば自分の隣でいて欲しいとは言わずとも、気がつかれているのだろう。そう思うのも悪くないと歌仙は思うのだった。

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