結局何でも良かったのだ。彼がいないなら私はせいせいするし、彼も私がいない方が気楽で、遊びやすくて、仲間とも連絡が取りやすいだろう。
 そんなこと、彼と別れる前からよく、わかっていたことだった。ちょっと馬鹿な私が悪かったのだと思う。
 泣きながら別れを切り出してあっさりと終わった私の恋愛は、朝になってさらに酷に突きつける。鏡の前で髪の毛をセットしながら改めて、最悪だと認識した。
 酷い顔なのは承知で化粧をして、なんとか着込んだオフィスカジュアルに、申し訳程度につっかけたローヒールのパンプス。家の鍵を締めて、ため息ひとつ。もう何度目のため息かわからない。
 腕時計で時間を確認すれば、コンディション最悪の割にいつもより早いではないか。これならいつもより二本早い電車に乗れる。
 頭の中で、仕事とプライベートは別だと言い聞かせながらとにかく足を進めた。何も考えず職場に向かえばいいや、そう思っていた私は必死だった。
 住み慣れた下町を歩いていると、赤崎が前方で顔をしかめながらこちらへと向かってくるのが分かった。彼のホームは私が通り過ぎてきた方角なのだ。きっとこれから練習なんだろう。彼は近づいてくると、「ヒッデェ顔……」と言う。そんなこと、言われなくても知ってる。
 もう、洗面所の鏡の前で立派に証明済みだ。
「なんで、こんな日にアンタに鉢合わせしなきゃなの……」
「いや、こっちのセリフだから」
「おあいにくさま、私これから仕事だから行くよ」
「んなこと、知ってる。……どうせ飯食ってねえだろ」
 ほら、と手渡されたおにぎりにびっくりして条件反射で突き返してしまった。長年の付き合いだ。そのおにぎりは、本来彼がエネルギー補給する為に必要なことくらい、理解するのに時間はかからない。
「アンタ、なにほいほい渡してくんの!スポーツ選手なんだから、これ、練習後に食べるやつでしょ!?体、大事にしなさいよ!?」
「うるせぇな。……予備だからやるんだよ。つうか、そんな元気なら大丈夫だな」
 もう一度、渡されたおにぎりに呆然としていると、赤崎はさっさと練習場の方へと行ってしまう。あの、野郎……!と思うよりも、不意打ちの優しさにむかつきながらも、食べなきゃだなと思ったのだった。




 今日一日、散々職場で大丈夫かと聞かれながら、何とか過ごした私の体力と精神力はほぼ限界だった。就業後に今度飲み行くかと同期と話していると、スマートフォンがけたたましく鳴った。
 同期に断りをいれ、お疲れ様と言いながらスマートフォンへ視線を移す。
 着信画面に写った名前に驚きつつも、電話に出る。
「もしもし」
『よお。あのあと飯食ったか?』
「子供じゃないんだから、ちゃんとご飯くらい食べたって。……あと、朝はありがとう」
 通話を片手間に退勤の準備をする。エレベーターを降りて、会社を出れば冬一歩手前の空気が清々しい。
 帰路を急ぐ人並みを縫うように歩きながら続く通話。赤崎が長電話なんて珍しいにも程がある。
「そういえば、この間テレビで見たよ試合」
『あー、お前見てたんかよ』
「試合がある日に遠回しな連絡してきたのそっちじゃん」
 思い出しついでのように、試合の話を振ると饒舌に話すから、赤崎は本人が思うよりもサッカーバカだと思う。最寄り駅の改札までたどり着き、慣れた動作でパスケースを取り出していると、スマートフォンからの声が嫌にリアルに聞こえた。
 パスケースを取り出してからふっと顔を上げると、えらく不機嫌そうな顔をした赤崎が改札から避けた脇にいた。
 通話を切ってから思わずでた言葉はあんまりにも間抜けだ。
「なんで、いるの……?」
「……まさか、お前メール見てねえな」
「え、ええ!!?」
 不機嫌そうな顔から呆れた顔になった赤崎に慌ててメールを確認すれば、夕方改札で待ってると短い文面。お昼ごろに来ていたようだった。見事に未開封となっていたあたり、メールが来ていたこと自体に気がつかなかったらしい。定時を知っているとはいえ、残業していたらどうするつもりだったのだろうか。
 申し訳なさが、さあっと脳内を駆け巡った。
「ご、ごめん、今見た……」
「まあいいけど。飯食いにいくぞ」
 さらっと言われて、拒否権もなく連行されるのは今に始まったことではない。もう、慣れっこだ。ただ、今日はちょっと優しさが滲み出すぎて気持ち悪い。
「失礼なこと考えただろ」
「……さあ? どうでしょう?」
 電車に乗り込んでから言われた一言に、バレやすすぎだろうと思ったが顔に出てたらしい。赤崎の手が私の方へと伸びてきて、これは小突かれるなと思っていたら存外に優しい手つきで頭を撫でられた。
 今日は、不意打ちが多すぎて、本当に私の目の前にいるの赤崎は、私の知っている皮肉っぽい赤崎なんだろうか。
 目頭が熱くて、何も言い返せなかった。
 しばらく乗り継いで、地元へとたどり着けば、2人で何度も行きなれてるレストランへと向かう。料理もリーズナブルで、美味しい。おまけに、お酒をちょっと飲んでもそんなに金額がしなくて、下町の雰囲気も残ってるとこが私も赤崎も気に入っているレストランだ。
「今日の赤崎優しすぎて、ちょっと気持ち悪いかも」
「……そりゃ、好きな女がしょげてるとこなんか見たくないに決まってんだろ。普通に優しくするって」
「は。……赤崎、アンタ何言って」
 レストランの扉をを開けながら言われた一言に脳内がぐるぐるとした。
 彼は今、なんて言った?
 そんな、まさか。今日は、振り回されっぱなしだ。赤崎が優しい、なんて有り得ないと思っていたのに。
「お前の泣き顔なんか、俺の前だけで充分なんだよ」
「なにそれ、もう」
 私の目を見て言う彼の前で今度こそ私は泣いてしまうのだ。
 また私の頭を撫でる。
 そういう不意打ちどこで覚えたんだ。

2015/11/02