椿大介という男の子に初めてであったのは、高校一年四月だった。たまたま同じ委員会に所属することになり、隣の席だった同級生だから話したのがきっかけだった。
 おどおどしていたし、静かそうな感じなのに、グラウンドで走っている姿を見た時はすごく驚いた記憶がある。
 颯爽とグラウンドを駆ける姿に瞳が釘付けだった。
 その姿を見た時、椿君がサッカー部だと知った。強豪だと言われているうちの学校のサッカー部に所属。意外だと思った。私のクラスにいたサッカー部の男の子は皆、個性がはっきりしていて物おじしないタイプが多かったから、椿君がサッカーをしているなんてすごく驚いたのだ。
 校内で会うと椿君は照れ笑いをして手を振ってくれる。それに私は応じる。小さなやりとりだったけれど、それは高校三年間続いた。
 椿君は何だかんだ人の輪の中に混じっている男の子で、時々私が目を丸くするほどに不思議な魅力を持っていた。
 多分、無意識に人を惹きつけられる人なんだろうと、高校生だった私は考えていた。

 *

「人生って何があるか分かんないもんだなあ」
 大学にある食堂のテラスで思わず出た言葉に、隣にいた友人は怪訝そうな顔をした。私が見ていたのは、イーストトーキョーユナイテッドのホームページだ。実はこのホームページ、意外と更新頻度が高くて、広報の人すごいなと思っている。しかも内容が充実しているのだ。
 選手紹介のページを開いて、目的の選手のページをさらに開く。案外、細かい情報まで載っているのだ。少し困惑した顔で載っている椿君の写真に、くすりと笑みがこぼれる。
「この人、高校の同級生なの」
 友人に椿君の載っている画面を見せる。
 自慢とかそんなのではない。ただ、頑張っている彼をもっと色んな人に知って欲しいだけだ。
「へえ、プロなの? すごいね。しかも割とかっこいい」
「最近すごっく頑張ってるんだ。嬉しくてしょうがないの」
「……えっ、この人好きな人だったり?」
「違う、違う。椿君はそんな人じゃありませーん」
 純粋に応援したくてしょうがいない人だ。椿君の邪魔はしたくない。連絡はたまに取るけど、私は学生で時間が有り余っていても、椿君は時間に制約のある人だ。
 ゆっくり話したくても、いつがいいのか何となく聞きにくかった。
「その割には、幸せそうな顔してるけどさ」
「知り合いがこうやって活躍してくれたら嬉しいもん。幸せな顔にもなるって。えーっと、今月はホーム戦あるのか……。あとでチケット買わなきゃ」
 私が試合を見に行く程だとは思ってもみなかった友人は、面白半分に一緒にいきたいと言い出したので、購入するチケットは二枚に変更になった。
 友人が腕時計で時間を確認して私の横を立ちあがる。手荷物をまとめた友人は補講があるらしい。私は暇なので、待ち時間の間にメールを立ち上げる。
 チケットの購入先は椿君だ。いつも、見れそうな試合で購入できそうな時は椿君にお願いをしている。こっそり見に行くよりは、堂々と行けばいいという心理だ。
 内容は簡潔にチケットを購入したい旨を打ち込む。あんまり色々書くと、椿君が混乱してしまうのだ。以前、近場での試合のチケットを購入しようとして、連絡した時に色々伝えたらあたふたしてしまった。それ以来、私はなるべく簡潔に伝えるようにしている。
 本当は色々伝えたいことがあるけれど、椿君のサッカーの邪魔にならないように言葉を掛ける方がいいんじゃないか、って最近思ってしまうのだ。
 メールを送信すると、すぐにスマホが鳴る。びっくりしながら着信を確認すると椿大介の文字。
 珍しすぎて、思わず二度見してしまったがまぎれもなく椿君だ。大したことじゃないのに、応答ボタンに触れようとした指先が震えるとか、笑えない。声まで震えてしまったら、本当にどうかしている。
「もしもし」
『おっ、女子だ!? あっごめんね!』
「えっと、これ、椿君の……」
『そうそう。って、おい、あー! 椿なんてことを』
 電話口の声は椿君ではなかった。何かちゃらちゃらした男の人の声だ。私が困惑していることに気にしていないのか、電話口の遠くで賑やかな声が届く。
 男の人の声が少し遠くなってから、暫く無音が続くとくぐもった声がした。
『ごめん。さっきの人、悪い人じゃないんだけど』
 椿君の声だ。きっと、椿君のチームメイトだろう。苦笑しながら言うとこは椿君らしい。多分、気の置けない人が絡んでた感じだ。
「急に電話だったから何かと思っちゃった」
『同じチームメイトの人が勝手にかけてて、ごめん。えっと、さっき、メールくれたやつだけど』
「うんうん、ホーム戦のやつ。友達と行くことになったから欲しくて……」
『あの、もしよかったら手渡しとか……』
 て、手渡し!?
 椿君から出た言葉に信じられなかった。面と言ってしまうのはとても失礼だけれど、まさか、彼からそんな言葉が出るとは思いもしないじゃないか。
『別に、嫌だったらいつも通り』
「そんなことない。もらいたい」
 本心だ。できれば会って話がしたかった。椿君はいつも気を張って頑張っているだろうから、近い距離で会話をしたかった。
 高校三年間、大した会話はしてこなかったけど、卒業してもこうやって連絡をとっているのだから、それくらい許してもらいたい。
『……うん。ありがとう』
「ありがとうって……」
『また連絡する』
「了解。今日も練習お疲れ様。……じゃあね」
 言い逃げするように電話を切った。電話を切る瞬間、戸惑った椿君の声がしたけど、後で謝るので許して欲しい。
 鞄からスジュール帳を取り出し、ホーム戦の日に花丸マークを書く。どきどきしてしょうがない。にやける顔を何とかスケジュール帳で隠した。テラスに残っている他の学生に見られてたら相当変な人だろう。
 椿君が会ってくれるのが嬉しい。すごく単純だ。
 駄目だ、嬉しいけどものすごく恥ずかしい。久々に会うのだ。私の中のハッピーな思考回路が、お花畑を走っている。
「何話せばいいんだろ……」
 ぽつりと出た言葉は誰にも聞かれずにかき消えた。

 *

 友人に話の流れで椿君に会う話をぽろりと告げてしまったことで、私は今日の瞬間が緊張マックスになってしまった。
 椿君と私は何もないのだ。緊張することなんてないはずなのに、友人に茶化されるように、可愛くしていけなんて言われ、買い物にまで連行される始末。
 どうせ、会う場所なんていつもの決まったカフェなのにな。いつも、と言っても会う頻度はものすごく低いけど、それは黙っておく。そんな私の言葉なんて友人が聞いてくれるはずもなく、結局押し通されてしまった。
 いや、買った服は可愛いし、気にいったからいいのだけれど、自分だけおめかししすぎじゃないか、とか何とか言い訳が沢山出てくる。
 カフェの入り口で何度深呼吸をしたことか。
 意を決して私はカフェに入る。椿君はまだらしく、適当に案内されたテーブルは、店内の少しだけ奥まった席だった。
 静かに流れるフィーリング音楽が少しだけ私の緊張をほぐす。先にメニューみて考えようにも、何にも頭に入ってこない。季節のケーキセットとか美味しそうだとは思っても、イマイチ決めてに欠ける。流すように見ていると、長身の影。
「ごめん。待った?」
「大丈夫、さっき来たところだったから。えーっと、お疲れ様?」
 思わず疑問形で投げかけてしまったが、どう考えても椿君はお疲れに決まっている。いつもの言葉がうまく出てこないなんて……。この時ばかりは、勝手に盛り上がっていた友人を恨んだ。
「さきに何か頼む? 今日、暑いよねー。冷たい飲み物とかいいなあ」
「そうだね。名字さん、いつもアイスティーだっけ」
「そうそう。今日は違うのもいいかなとか。椿君よくレモネード頼んでるよね」
「俺、紅茶とかよくわかんなくて」
 はにかみながら椿君は私におすすめを聞いてくる。紅茶って身体に良いのか、そもそもレモネードでもいいのかとか、考えてしまう。全部、彼の血となり、肉となっていく。そう思うと、良し悪しを考えていた。
 注文を一通りして、お冷に口をつける。少しだけ冷静になれそうだ。
「名字さん、これ約束の」
「ありがとう。……いつも、お願いしちゃって、大丈夫?」
「全然。……えーっと、広報の人が嬉しそうに渡してくれるから。そうしてくれると俺も嬉しいよ」
「ならいいんだけど。今日、手渡しとか言うから、ちょっと緊張してて」
「えっ!? なんか俺、悪い事」
「違う違う。今日、私が舞い上がってて、それで友達とかが」
 何を話しているのだろう。どんどん、墓穴を掘っていってないか私。このままいくと、何だか大事なことまで流れでぽろっと口から出しそうだ。
 内心焦っていると、椿君がゆっくりでいいよと言ってくれた。
「ごめん。椿君に会えるの嬉しくて、それで」
「俺と?」
「うん?」
 そこまで言って、気がつく。ゆっくりでいいって椿君が言ってくれてるのに、私は結局、口走っていた。
 私がはくはくと口を開けそうになっているのに、目の前の椿君は顔を赤くしていて、多分、私も彼と同じだ。
「俺も、名字さんに、会えて嬉しい」
 限界だった。私はそっぽ向いて、両手で顔を覆った。
「……椿君ストレートすぎだよ……」
 何とか出た声は蚊の泣くような声だった。
 店員さんが注文をしたものを持ってくるまでそうだった私達は相当変な人に違いない。

2016/4/11