通学途中にある大木は小学校の頃から見慣れた金木犀の木だった。特別気にしたことは無かったが、アイツが金木犀の香りが好きだと言っていて今年妙に意識していた。少し空気の澄んできた季節、小さな橙の花弁が咲き始めててふわりと鼻腔を擽った。
一緒に帰れたら、この香りも共有できるのだろうか。部活ばかりで一緒に過ごす時間が短くなるのは仕方ないことだと思う。小さく溜息をついて、駅へ向かった。早朝は人がまばらで電車内の人も少ない。今日の練習のことを考えながら座っていると、別車両から入ってきた姿。
「おはよー。幸男くんの姿見つけてこっち来ちゃった」
 いたずらっ子みたいに笑って、空いていた隣へ彼女は座る。いつもならもっと遅い電車に乗っている彼女が何故乗っているのかといえば、単純に補習を受けるという理由だった。この間のテストの結果があまり良くなかったらしい。
「早いなら、迎えに行ったのにな」
「幸男くんは練習なんだから、部活優先!」
「……はあ、そうじゃなくて。いつも帰ったりできないんだからたまには甘えろって言ってんだ」
 そうじゃない、俺が彼女と一緒にいたいだけだ。彼女が言わないのはいつものことで、俺に迷惑をかけたくないと気をつかっているのを知っている。悪いと言ってもう一度だけ彼女に自分の意見を伝え直せば、彼女はカバンをぎゅっとつかみ直して顔に押し付けていた。
「そんなこと言ったら、私もっとわがままになるよ?」
 くぐもった声でおずおずと言う。そんなことくらい困らないし、一緒に行こう、帰ろう。
「お前は我慢し過ぎるから心配なんだよ」
「でも、こっそり練習は見に行ってたんだよ。知ってた?」
 にやりと言う彼女に、びくりと動揺した俺は分かりやすすぎる。基本的に練習中は誰がどこにいるかなんて、そこまで把握はしていない。
 部員と監督しか見ていないし、女子が見てても黄瀬のファンが多いせいかこっそりと見に来てた彼女なんて、わかってなかった。
「怒んないでね、私が見たくて見てただけだから。それに、部活してるとこ見ると幸男くんがすごい頑張ってるの知れるし、そういう幸男くんが好きなの」
「お、おう」
「……照れてるでしょ」
「急にそんなこと言うからだろ」
 素直に赤くなる顔を見られたくなくて、横にそっぽ向きながら口元に手を当てた。彼女のこういう真っ直ぐなとこが好きで、女子があまり得意じゃない俺にはすごく照れくさい。背中の真ん中あたりがむずむずするのだ。話題をすり替えるように今朝見かけた金木犀の話をする。
「今日帰りに見ていけば多分まだ咲いてるだろうから」
「うん、行く!」
「じゃあ暖かくして待ってろよ」
「オッケー」
 ちょうど降車駅になり、電車を降りる。改札を抜けると、同じ海常の制服を着た生徒が増えた。彼女が隣を歩いていて、慌ててノートを開き出していた。今開いてるページが出題範囲らしい。
「また補習だったらどうしよ。そしたら休み時間に幸男くんの教室いくね」
「朝だけで頑張れよ。昨日勉強したんだろ」
「したけど、万が一があるじゃん」
「ったく、俺が問題出してやるからそれ答えろ」
 はーい!と上機嫌に返事したのを聞いて受け取ったノートを見ながら問題を出す。ノートは勉強した後がありありと見られて、問題も意外とすらすら答えている。そんなには長くはない学校までの徒歩の道のりを歩いて校門をくぐる。
 体育館と下駄箱へと別れる場所まできてノートを彼女へ戻した。
「合格したらあとでココアな」
「え!?」
「で、不合格だったらデコピンしてやる」
「ひどいなあ……もう」
 膨れっ面する彼女に苦笑しながら、頭を撫でた。そこで俺たちは別れた。
 もちろん、彼女は一発合格でココアをあげて、帰りは一緒に金木犀を見に行った。隣の暖かさを感じながら、彼女が好きだという金木犀の香りを確かに感じるのだった。

2014/11/15