彼と初めて出会った時、雰囲気のある人だと感じた。整った顔立ちには似合わない少し不満げに落ちた口角に、細められた眦は私を真っ直ぐと射貫いた。ただその姿以上に彼は芸能人みたいなオーラを纏っていて、一目見た時にとても惹きつけられたのだ。
「ねえ、そんなとこで壁の花になってるなんて、ホントに今日の主役なわけ?」
 嫌味ったらしくはっきりと彼は言う。確かに今日の主役は自分と言われればそうなのだが、実際のところは私の父が主役なのだ。父は商社の社長で、商社の創立記念パーティーという名目だが、実際は私の婿の候補の品定めといったところだろうか。
 いい加減諦めて欲しいが、周りの目も感じるとなれば父の面子を保つ為にも致し方ないことなのだろう。
「嫌味を言う前に、名を名乗るとかできないのかしら。神楽亜貴さん」
「僕の名前知ってるじゃん」
「だって貴方、昔からお父様に連れられてうち主催のパーティーに来てたから知ってるわよ。それに、話したことなんてなくても、貴方の活躍の話はかねがね聞いているもの」
 御曹司がこんな場所に来ていれば耳を塞ごうとする前に色々な話が飛び込んでくるものだ。彼のお姉さんのお話も聞いたことあるし、何なら彼の友人の話だって飛び込んでくる。彼の友人だってよく来ているのだ。今日は来ているのかは知らないが、恐らく招待客のリストには入っていた。都合をつければ来ることは可能だろう。
「今日はご友人は一緒じゃないの? それとも、はぐれてしまったかしら」
「……人混みが嫌で避けてきただけ。そしたら君がこんな場所にいるし、挨拶回りしてきたらどうなの?」
「残念ながら、挨拶回りは終わってるの。今日は取引先の方が多いから知り合いは少ないし、壁の花くらいがちょうどいいの。それとも貴方がお相手してくれるの?」
 給仕からシャンパングラスを受け取る。一つは神楽さんへ。もう一つを自分用に受けとる。にっこりと微笑むと彼はたちまちに眉間に皺を寄せた。
「お前がいるなんんて珍しいじゃないか」
 神楽さんが何か話そうとした時、後ろから声をかけられた。物腰の柔らかさと、優しいマロングレーの色合いの髪。桧山財閥の桧山貴臣だ。
「あら桧山君こそ珍しいわ」
「それに神楽、ここいたのか」
 桧山君とは、同じ大学の同級生だ。それ以前からも会社主催のパーティーで顔を合わせている中だ。神楽さんと知り合いなのは噂で聞いているにしても、異色な取り合わせに見える。
「桧山君間に合ったんだね」
「ああ。せっかくだし顔を出せたらなと。しかし、二人でいるとは予想外だ」
「神楽さんが声をかけてくれたのよ。壁の花になってたら怒られてしまったの」
 苦笑しながら桧山君に言うと、そうかと一言。神楽さんはどことなく居心地悪そうだった。私と桧山君が知り合いなことには然程驚かないくせに、揃うのは嫌なのか。如何せんまともに話したことがなかったので、情報量に欠ける。
「今日は、一段と綺麗な装いだからデザイナー心に気になったんだろう」
「相変わらず桧山君はお世辞が上手ね」
「いや、本心だったのだが」
「真面目に言ってくれるのは桧山君くらいよ」
「俺はまだ挨拶してくるとこがあるから二人でごゆっくり」
 桧山君はさらりとした無駄の動作でその場を離れていく。
「桧山君と知り合いだったの」
 シャンパンに口をつけながら神楽さんが聞いてくる。
「大学が一緒で、たまに同じ講義で一緒だったのよ」
「へえ。それよりも、そこのドレス○○社のだよね」
「ええ、そうよ」
 私は飲み干したグラスを斜めに傾けながら答える。
「そのドレス着るなら、髪型はサイドに流した方が綺麗なんじゃない? あと、パンプスももう少しヒールが高い方がバランスがいい」
 今まで気になっていたのか、神楽さんはずばずばと指摘してきた。今言われたとしても格好を直せるはずもないのだが、彼なりのこだわりなのだろう。
「……参考にするわ」
「君、まあまあ綺麗なんだから気にすればいいのに」
「えっ?」
 思わず空になったグラスを落としかける。すんでのところで伸びてきた神楽さんの手のおかげでグラスは無事だった。
「前、見かけた時にも思ったから言っただけ」
「前って、いつなのよ。私、今日初めて神楽さんと話しているわよね」
「僕は初めてじゃない」
 淡々と言う神楽さんは、新しいシャンパンを給仕からもらっていた。私は一体いつ会話したのか記憶を辿るにしても、全然思い出せない。
 特にうち主催のパーティーなら会話をした招待客の顔なんて忘れるはずがないのだ。それも、彼のような人ならば尚更のことだった。
「そんなことだろうと思った。君、半年くらい前に桧山君主催の立食パーティー来てたでしょ」
 神楽さんが言っているパーティーは桧山財閥主催のごく近しい人を呼んだ立食パーティーのことだ。昔からの付き合いや、同級生ということもあって呼ばれたが、その時は桧山君に挨拶をしてからはその他の知り合いと話していたばかりなはずだ。
「本当に覚えてないんだね」
「ごめんなさい。記憶力はいい方なんだけれど」
「別に……期待なんてしてなかったからいいんだけど」
 神楽さんの物言いにますます気になってしまう私は、どうしても思い出せないので、お願いをすると彼は面倒そうに話し出した。
「君、ちょっと急いでたみたいだし、僕の顔なんかろくに見てなかったんでしょ。△△商事に挨拶してる時に、挨拶してたんだけど、覚えてないんでしょ」
 神楽さんの言葉に私は血の気が引いた。まさか、挨拶をした人間の顔を忘れるとはとんだ失態である。そもそも、桧山君のところとなると、いる人達もそれなりの地位や関係を持った人達ばかりだ。
「今度から忘れてなければ、それでいいよ」
「でも、忘れてたのは私の落ち度だし、今日もうち主催なのに失礼なことをしてしまったわ」
「君にお礼は求めてないし、いらない」
 頑なに私の謝罪を受け入れようとしない神楽さんに、私はどうしても納得ができなかった。
「じゃあ、どうすればいいのよ。貴方明らかに不満そうじゃない」
「じゃあ、一週間付き合って」
「何に?」
「新作ドレスのモデル」
 彼がどんな仕事をしているかは流石に知っているが、どんな意図があるのだろうか。
「……わかったわ。ただ、仕事もあるからスケジュール調整しないと付き合えないかもしれないし、もしそれでも良ければお受けします」
 自分の仕事を投げ出すわけにはいかないので、彼のスケジュールとすりあわせを後日することになった。
 そろそろ人に呼ばれてるからと戻っていく彼は、ようやく満足そうな顔をしていた。得意げな顔をしている彼は少し幼い印象を受ける。これくらい無邪気な顔をしてくれれば、もう少しだけ取っつきやすいのにな、と思わずにはいられない。
「名前」
 彼との別れ際、不意に呼ばれて後ろを振り返った。
「じゃあ」
「え、ええ」
 すぐに踵を返して神楽さんは人混みの中へと戻っていく。再び壁の花になってしまった私は、熱くなる頬を隠すように新しいシャンパンを飲み込んだ。


2017/11/11