爽やかな風が教室に吹いている。休日練習の合間に取られた昼の休憩時間は、受験生である三年生が別室でテキストを広げたり、他学年はそれぞれに休んだりと様々である。
 名前は二年の部員たちとお弁当を食べ終わると、午後の合奏練習用に座席に置いていたクラリネットを片手に、校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下にいた。反響が大きい場所なので、ただの練習に使うわけではなく、休憩の時だけ訪れる場所だった。人があまり来ない場所なので、三年生の休憩を邪魔するわけでも、他の部員の休憩を邪魔するようなこともない。
 グレーのロングカーディガンのポケットからリードケースを取り出し、黙々とリードをセットして音出しを始めた。たっぷりと息を吹き込み、音階を奏で、慣れた動作でたくさんある穴を塞いだり開いたり。
 何度か音出しを行い、楽器が暖まったあたりで『SUNNY DAY』を頭から吹いていく。一年の時に入部してからことある事に吹いてきた曲だからこそ、譜面は覚えてしまっている。だから楽譜を持ってくる必要はなかった。
入りに気をつける場所も、メロディが途切れないようにパートで決めたブレスも、吹く度にお気に入りのフレーズも、何もかも身体が覚えている。
ただ今年は、メンバーもだいぶ違うし自分に求められている役割も去年までとは異なっていた。
 それでも、この曲がまた吹けるようになることは嬉しかった。
 去年、絶対に入部すると決めて入ったこの吹奏楽部で伝統的に演奏されている曲だ。入部する前から……それこそ、兄が所属していた何年も前から聞いてきたことのある曲だ。入部をしてから、何度も何度も練習を重ね、先輩からたくさん教わって、場数を踏んだ曲だ。やっぱり『SUNNY DAY』が吹けるのは楽しい。
 一通り吹き終わりそうなところで、パァンとはっきりとしたトロンボーンの音が名前の吹くクラリネットの音と一緒になった。
 吹きながら音のほうに身体を向けると楽しそうに併せてきた茜と一緒にラストに向かって演奏を続けた。
 そのまま最後の一音まで吹き終えると、どちらからともなくハイタッチをした。吹奏楽が再始動するまではなかった光景だった。
「名前やっぱりここにおったんやなあ」
「茜はどうしてここに?」
「そら、お前探してたんや」
 とはいえ、わざわざトロンボーンを持って名前を探していた様子から、ここで吹いているだろうことは最初から予想済みだったようだ。
「時間になったらちゃんと戻るのに」
 心配いらないよ、と素っ気なく返すのは止めた。茜は気を回して、周りをフォローしようと努めてしまうのだ。お節介というよりは、世話焼きが高じている。名前を含め、二年で去年から一緒のメンバーは世話を焼かれた経験は少なくない。
「まだ時間あるし、もう一曲くらいやる?」
「せやな。名前がこないだ吹いとったドラマのフレーズやろうや」
 こうなるといつもの流れだ。時々耳コピでとった音のフレーズを遊びで吹いたりしているのだ。
「私が言ったあと、茜ドラマ観た?」
「観たで。名前に話さなかったか」
「ええ〜、それ幹雄たちに話したんじゃなくて?」
 覚えがないな、とけたけたと笑いつつも、俳優がどうだった、展開がおもんくなかったなどと他愛ない会話を繋げながら、話していたドラマの耳コピでとっただけのサビのフレーズを吹いてみせると、茜が音を重ね始めた。探るように出す音に、つい笑ってしまった名前は音階を伝えた。
 ころころと転がすように、音階で歌うと、茜も納得したように合わせてくれた。
「どや、上手くいったやろ」
 にかっと笑った茜に、うんうんと擽ったそうに首を縦に頷いた名前は、次は一緒にやろう、というようにわかやすくクラリネットを構えた。
 トロンボーンを構え直した茜と合わせるように、ワン、ツゥ、スリーとカウントをして、互いを見ながら動作を合わせて音を奏で始めた。
 楽器は違えど、一年の頃から一緒に吹いているから、何となくクセは掴んでいるし、遊びの延長線で吹いている時の出来の良し悪しは割と後回しだ。
 何度か繰り返しフレーズを吹いたり、途中で何度も練習したことのある曲をやったりと、休憩の時らしい自由な時間だった。
「時間だし戻ろうか」
 腕時計を確認すれば、あと十分程度で昼休憩の時間は終了だ。
「次は、オレがなんか覚えてくるわ」
「そしたら教えてね」
 どちらかが新しいフレーズを覚えてきたら、休憩の時に教えてもらって一緒に吹いてみる。去年の練習の合間にできた習慣のようなものだった。
春休みの間も、育三と幹雄も巻き込んで遊んでいたくらいだ。今年は持ちネタがどのくらい増えるのやら。
「またここでみんなと吹けるの楽しいね」
 名前の微笑みに、茜も嬉しそうに笑って答えた。