色がさまざまだから、移り気なのだと、叔母が教えてくれたことがある。
 最初は叔母の言う「移り気」がなんなのか理解できなかったけれど、今ならきちんと理解できる。子供に言うには、難しい語句を選ぶ人だったなと、しとしととした雨が降る静かな街を歩きながら、昔を思い出していた。


 最近会っていない、美しい叔母のことを思い出したのは、駅の花屋でそれを見かけたからだった。
 黒板調のボードには「ハイドランジア」と書かれていて、最初はなんのことか、わからなかった。絵が一緒に描いてあったこと、すぐ隣に該当の花が添えられていたから、スマートフォンで検索する必要もなかった。
 なんてことはない、それはアジサイのことだった。ハイドランジアなんて言うんだ、と思いながら真っ先に思い出したのは、叔母のことだった。親戚の中でも、母方の叔母は同年代の中だと少し変わった人で、独身貴族を謳歌している。
 好きな仕事をして、好きなことに自分の時間を使う、今らしい楽しみ方をしている人だ。そんな叔母との古い記憶は、アジサイをきっかけにしていくつかある。アジサイの記憶は私が植物図鑑を広げていた時に、花言葉を教えてくれて、その時に話してくれた内容だった。くすくすと上品に笑う姿を今でも覚えている。
 信号待ちをしながら、周りに誰もいないのをいいことに、上機嫌に傘をくるりと一回転。私だけしか知らない、叔母との秘密の会話は大学生になった今でもとっておきだ。
 雨の日が憂鬱だという人は多いけれど、私は静かに降る雨音を聞くが好きだから、外に出たくなる。ザアザア降りは、さすがに好きではないけれど、お気に入りの傘を差して歩く、静かな街は、いつもと違う表情をしているから好きだ。
 今日は、遙の誕生日プレゼントを選ぶのに、友人と待ち合わせをしていた。遙の誕生日は六月三十日。去年は友人達でサプライズをしたけれど、今年は何かちゃんと用意したいなと考えていた。
 ネットでなんとなく目星をつけてはいるけれど、実物をどうしても確認したくて、友人に付き合ってもらうことにした。お店に入るのには全く抵抗はなかったけれど、自分のセンスが大丈夫かどうかは、誰かに確認してもらいたかった。遙が気に入ってくれるか不安だったからだ。
 友人は「いいと思うよ」って事前にメッセージを送ってくれたけれど、実物を見たらイマイチなんてことはおおいにあり得る。
 待ち合わせ場所のお店の前に行くと、友人はすでに待っていて、私は手を振って彼女へ呼びかけた。
「ごめん、こんな日に」
「いいよ。七瀬君へのプレゼント、あのまま決めちゃえば良かったのに」
「変なのあげて困らせたくないもん」
 傘を閉じて、店内に入る。店員の「いらっしゃいませ」という声がして、いかにもお声かけしましょうかという風体だった。私は実物を確認したい商品が決まっていたので、そのまま目の前にいた店員に話しかけた。
 スマートフォンで該当の商品の写真を見せて尋ねると、店員はすぐにショーケースまで案内してくれた。
 私が探していたのは時計だ。遙は競泳をしているから、防水関連のアクセサリーでもいいかなと考えたのだが、余計なものを持ち込む性格ではないと思い直し、身につけてくれて、困らなさそうなものということで時計を選んだ。
 シンプルな文字盤の時計を見ながら、隣から覗き込む友人も「いいんじゃない」と言ってくれた。
 結局、買うまでネットであれじゃない、これじゃないと悩んだのが嘘のように、即決で買い物が終了してしまった。包装された時計の入った袋を受け取ったあと、友人がいつも以上にニコニコしていた。その姿に少しいたたまれなくなったのは、遙に当分話せる気がしなかった。
「改まって渡すの緊張するなあ」
「彼女なんだから不思議じゃないでしょ」
 ウィンドウショッピングをしながら言うと、友人は何でもないことのように言う。
「ていうか、もらえたら七瀬君も嬉しいと思うよ。忙しいのに、大事にしてくれてるよね」
 友人の言う通り、遙は自分自身のことが忙しいわりに、所々で気遣ってくれて大事にしてくれる。明確に大事にされていると気がついたのも、私が彼女に遙との話をしたからだった。
「うん。前に、もっと自分のことに集中してくれていいって言ったら、断られたんだよね」
「七瀬君っぽいね」
「私もそう思う」
 それと同時に、器用なことができる人だったんだと気づかされた。授業の様子や、一緒に過ごすなかで遙はある程度のことをこなせる人なのは知っていた。
 まさか、彼女に対しても細やかな一面があるとは、私も驚いたのだ。人間関係に対して、積極的なタイプではないにしろ、自然と周りに人がいるから、遙からすれば、自然なことをしているようにしか感じなかったのかもしれない。
 昔の遙を知っている、鴫野君や椎名君からは、あれこれ聞かされているから、不器用なところがあるのも知っている。そのことを加味しても、一般的に「彼女のことを大事にしてくれる」部類なのだ。鴫野君たちに言わせれば、頑固なところがあるからと、笑って話してくれたこともあった。
 ふらりとあてもなく、店の建ち並ぶ区画を歩いていると、今朝見たばかりのアジサイがきれいに並んでいる花屋があった。
「花なんて興味あったの」
「好きだけど、アジサイは朝、見かけて。……ねえ、花束って贈ったら変かな」
「女子はもらって嬉しいけど。まあ、七瀬君ならいいんじゃない」
「今、適当に答えたでしょ」
 冗談交じりに笑って話しながら、色とりどりのアジサイを見比べる。遙にあげるなら、青紫色のアジサイだろうか。叔母と昔話した花言葉を思い返しながら、改めてスマートフォンで検索をしてみる。
 検索窓に素早く入力して検索をかければ、ずらりと結果が映し出された。
 いくつかの記事に目を通してから、そのまま花を買おうとしたところで、店内の奥にあった商品が目をひいた。
 生花は、一時の美しさを堪能できるし、香りを楽しむこともできる。けれども、咲いている瞬間が美しく愛でられるのであって、永く保つことはできないものだ。遙なら大事に水やりもしてくれるだろうから、鉢植えのものを贈っても良さそうだった。
 それでも私が選んだのは、店内の奥にあった小さなケースに入った商品だった。
 プリザーブドフラワーは、長く楽しめるし、手間もいらない。合宿で家を空けることがある遙でも、邪魔にはならないだろう。
「すみません、奥のやついただけますか」
 店員に声をかけ、包装してもらう。手に増えた荷物を持ちながら花屋をあとにする。
「買う前、何検索してたの?」
「花言葉。大事な人にあげるものだから気になって。昔、叔母に聞かされたのと違ってて、びっくりしちゃった」
「へえ。どんなの?」
「昔は移り気って聞いたことあったんだけど、さっき調べたら、辛抱強い愛情ってのもあったんだ」
「それで選んだの?」
「うん。長い雨の中でもきれいに咲く姿が似合うけれど、梅雨の晴れ間でも、光があるところはきらきらして、きれいに見えるでしょ。遙に似ているなあって」
「惚気?」
「そうかも」
 照れ臭くなってきて笑って誤魔化せば、友人に幸せそうでいいねと、嬉しそうに笑ってくれた。
 遙に喜んでもらえたらいいなと思いながら、私は買ったプレゼントの袋の持ち手を握り直した。