Origin

*濫觴


『生まれて来て、ごめんなさい』


少女はぽつりと呟いた。彼女の涙で濡れた虚ろな瞳に映るのは、床に倒れている血に塗れた女。

女は既に事切れていた。


『ごめんなさい』


少女は再度呟く。左手に持つ真紅の滴る包丁が、嫌に重い。

自分が。そう、他でもない自分が、この女を殺したのだ。

少女と女の周りに散乱する物が、先程までの乱闘の激しさを。少女の体にある無数の傷が、少女の無抵抗さを。そして、大して傷もない女の左胸のみからの(おびただ)しい出血が、どれ程刹那的な出来事だったかを。

それぞれ物語っていた。


「ぁぁぁああああ゙あ゙!!」


突然、少女の背後から男の咆哮が聞こえて来た。少女が咄嗟に振り返ると先程叫んだ男が怒りと憎しみの籠った形相で此方に向かって来ていた。男はそのまま少女を押し倒し、彼女の首に手を掛ける。


「テメェが!!テメェがアイツを殺しやがったのか!!」


アイツ、とは少女のすぐ側で事切れている女の事。首を絞められていてはうんともすんとも言えないのだが、と少女は呼吸も出来ない状態であるにも拘わらずそんな事を思う。そしてそんな心中が態度に出ていたのか、はたまたただ単に怒りで思考する事を放棄したのか、男の力は段々と強くなって行く。


「誰が今まで面倒見てやったと思ってる!?」
『ッが、あ、』
「頼んでもないのに生まれて来やがったテメェらを!!一体!!誰が!!」


「テメェら」。その言葉を聞いて少女は『嗚呼、そうだ』と薄れゆく意識の中思った。

()はどうなっただろうか。
無事だろうか。

大大大好きな、自分の、


『こっちこそ頼んじゃいねぇよ』


ドッ、という鈍い音が聞こえた後、男の手が緩み少女は咳き込む。彼女に跨っていた男は横に倒れ、ピクリとも動かなくなった。


『クソ親父が』


底冷えする様な声で男に向かって侮蔑の言葉を吐くのは一人の少年。彼は傷だらけの身体で傷だらけの少女に近付く。


『ごめんな、遅くなって』


そう言い、少女の顔にかかる長い前髪を優しく払う。少女は側に倒れる男を見た。……死んでいる。ナイフで後ろから心臓を一突きだ。


『何で、君まで……』


彼がこんな事する必要はなかったのに。 ……汚れるのは、自分だけで良かったのに。


『何、で……っ』
『何でじゃねぇだろ』


少女の大きな瞳から涙が零れ落ちる。顔に飛び散った血が混ざって血涙となったそれを、少年は優しく指で拭った。


『俺が勝手にやった事だ』


お前のせいじゃない、


『俺が、俺の為にな』


あくまで自己満足なのだと言う少年。

彼はいつだって自分を守ってくれた。自分は……彼を守れた事はあっただろうか。今だってそうだ。彼を守ろうとして、女を殺した。だが結果的に、彼に男を殺させてしまった。

本末転倒ではないか。


『ごめん…ごめんね……』
『謝るなよ……』
『ごめん……』


負傷した左腕を庇いながら少年は少女を抱き締める。負傷した右腕を庇いながら少女は少年を抱き締め返す。


嗚呼、眠い。
二人はとても眠かった。
怪我で血を失い過ぎたからだろうか。

とても、眠かった。



しばらくして、通報があったのか警察が駆け付けた。家の中は物が乱雑に散らばり、至る所に血が飛び散っている。そしてリビングのドアを開けると、そこには他の部屋とは比べ物にならない程大量の血と男女の遺体が転がっていた。恐らくこの家に住む夫婦だろう。

調べでは夫婦には双子の子供がいるが虐待していたらしい。近所の住民によればこの家からは常に悲鳴や怒声が聞こえており、子供は見かける度に新しい傷が増えていたとの事。

だが現場には子供の姿など微塵もない。外に出かけているのかと警察は思ったが靴は玄関にある。それにリビングの床には血によって付いた小さな足跡があるので、夫婦が殺害された時は彼らはいたはず、そして外に出て行ったのなら玄関から出て行く足跡があるはずだ。しかし何処を探してもそんなものは見当たらない。

まるで神隠しにでもあったかの様に。
二人の子供は姿を眩ましていた。


その後詳しい調べにより、リビングには夫婦の血液だけではなく彼らの子供のものと思しき血液も発見された。これだけなら誘拐目的による夫婦殺害事件として調査が進められたのだが、続いて発見されたのが凶器に付着していた指紋。殺害に使用されたと思われる二つの刃物───包丁には双子の妹の、ナイフには双子の兄の指紋が、しっかりと残っていた。夫婦を殺害したのは彼らの子供だったのだ。しかし、警察が最も驚いたのはそこではなかった。その二人が、両親を手にかけたとされる兄妹が。



まだ10にも満たない少年少女だった事である。



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濫觴(ランショウ)……物事の起こり。起源