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ある筈のないフィロソフィー


神に哲学はいらない。


ジャッジメントに神の権限を剥奪して貰った俺は、少女と共に神界で静かに暮らしていた。穏やかに流れる時間。その平和な一時はとても心地良い。いつまでも続いて欲しいと願う程に。


『ねえ、神様』
「何だ?」


家具の置かれた広い部屋。神をやめた俺に宛てがわれた新しい家の一室だ。ソファーに座り共に読書をしていた時、少女がふと俺に話しかけた。


『「Ask, and it shall be given you.」って知ってる?』
「確か人間が作った(ことわざ)だったか?」
『うん。日本語だと「求めよ、さらば与えられん」』


流暢な英語が彼女の口から発せられる。その内容は人間が作った諺で、俺はなんとなく知っている程度だったが(因みに世界を創る際人間の言語も神が創るので、彼女の世界を創った俺が人間が使う言語を全て話せるのは当然である)その日本語訳を聞いて大体わかった。


「宗教的な言葉か」
『そう。神様はこの言葉…どう思う?』


随分と難しい事を訊く。感情豊かな人間が作った言葉の意味を、つい最近感情を覚えたばかりの俺に「どう捉えるか?」とは……。そもそも宗教すら馴染みがない。宗教とは神又は何らかの超越的絶対者、或いは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰や行事(と人間が作った辞書に載っていた)。つまり宗教=神を崇めるものと言っていい。そして「彼女の世界」の「神」とは即ち俺。……人間は俺をどう崇めていたんだ。無神論者という言葉もあるくらいだ、神は想像上の存在であって実在しないと言う人間もいただろうが。


「それは俺が創ったものではないからよくわからないな…その言葉のままじゃないのか?『信じれば救われる』のような意味だと思うが」


言語と大まかな言葉を創ったのは俺だが、そこから派生した方言俚言や宗教等の言葉を創ったのは人間。俺からしてみれば造語だ。最早人間が使用する言葉の殆どがそれに当てはまる。神は「耳で聞いて理解出来ぬ言葉は不要」という考えを持つが、どの神でも自分が創った世界の人間は新たに言葉を創り出すらしい。不思議な話だ。


『あははっ、神様もそう思っちゃう?』
「違うのか?というか『神様』はよしてくれ。俺はもう神じゃない」


俺の答えを聞いて少女はおかしそうに笑った。未だに俺の事を「神様」と呼ぶ(初対面時にそう名乗ってしまったから仕方のない事だが)彼女にやめるよう言うと『じゃあ「シノ」』と愛らしい笑顔のまま呼び方を変える。


「何故『シノ』?」
『漢字で神は「シノ」とも読むから。それでさっきの言葉の意味なんだけど、』


軽く流された。

神様改め「シノ」となった俺は、少女の笑顔と初めて与えられた「名前」というものにむず痒さを感じながら言葉を待つ。彼女の言い方からして、俺の答えは正解という訳ではなさそうだ。


『シノは教えてくれたよね。神様はよっぽどの事がない限り自分の世界に手を出しちゃいけないって』
「ああ。俺達が干渉するのは均衡を保つ時のみ。それ以外は『不必要』とされる」
『それを聞いてね、思ったんだ』


手元の本に視線を落とし、綴られている文字を白く細い指でなぞる。俺の世界で自分の身に起こった事を思い出しているのだろうか。両親を、兄弟姉妹を、祖父母を、ペットを…婚約者を。自分に関わった者を次々と殺されて行ったあの頃。それが神に愛されたが為の悲劇だったとは、露にも思わなかった事だろう。


『信じるだけじゃ、駄目なんだよね』
『信じるだけで何もしなかったら何も変えられない』
『救われる訳ないよ』
『だって、』

『「神様は見ているだけ」なんだから』


私の場合は違ったみたいだけど、と苦笑しながら言う少女。その姿は酷く哀しげで、儚い。……そんな顔は見たくない。俺は彼女の頭を自分の胸に抱き寄せる。抵抗もせずされるがままの少女は俺の服を掴んだ。


『私達人間の言葉…というか喩えなんだけど、「悪魔は囁くだけ」っていうのがあるんだ』
「……成程。悪魔が囁くだけなら神は見ているだけ、か。正にその通りだな」


未来がわかっても、苦しんでいる者がいても。助けられない。助けてはいけない。神はただ、全てが過ぎ去るまで見ている事しか出来ないのだから。

哀しい、辛い、悔しい、やるせない。

感情を覚えてしまった俺は今まで何とも思わずして来た事が信じられなかった。どうしてこんな事を平然と……。感情を覚えた時点で俺に神の仕事が勤まる筈がなかった。


『Ask, and it will be given to you;
seek, and you will find;
knock, and it will be opened to you.』


歌うように紡ぎ出される「新約聖書」─マタイによる福音書─の一節。それは決して大きなものではなかったが、彼女の声は耳から身体全体を伝わり浸透する。


求めよ、そうすれば与えられるであろう。
探し尋ねよ、そうすれば見出すであろう。
門を叩け、そうすれば開かれるであろう。

この世では常に、求める者は得、捜す者は見出し、門を叩く者は開けて貰えるからである。自分から行動すれば、人々も神も必ず応えてくれる。何かを欲するのなら、それを求めて自ら積極的に動く姿勢が大事だという事。


「……自分から行動しなければ、何も得られない」
『だって結局…変えるのは自分なんだから』


なら俺は、どうすればいいのだろう。

屈託がなく無邪気に、時に儚く切なげに、正反対の表情を浮かべる少女。今や滅んでしまった俺の世界を愛し続ける彼女の笑顔を護るには。幸せにするには。

その為に俺がすべき事とは、一体。


「(お前を愛してる)」


愛している。護りたい。幸せにしたい。その為にはたとえどんな事であろうとも。


***


『シノって…ニート?』
「何だそれは?」
『「Not in education, employment or training」!そして単語の頭文字を繋げたのが「NEET」!つまり職業に就かず、教育・職業訓練も受けていない若者の事だよ』
「人間からしてみれば俺は若者と呼ばれるような年齢でもないんだがな」
『……そっか、私がいた世界が出来る前からいるんだから…実は私なんか目じゃないぐらい年配……?』
「そうなるな」
『外見詐欺め!』
「詐欺をした覚えはない」
『外見の年齢と精神の年齢が一致しない事を外見詐欺って言うの!』
「お前もそうなるぞ。神界に『老い』という概念はないんだ」
『何ですと』



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フィロソフィー…哲学

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