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幸せのオメガ


幸せだった。


俺が神をやめて「シノ」となってから、少女と共に暮らし始めてからそれなりの年月が経つ(最早「少女」と呼べるような年齢ではなくなったが、それでも俺からしてみれば彼女が生きた年数は赤子程でしかない)。驚く程穏やかで長閑な日々。幸せな時間。いつまでも、ずっと、長く、永く、続いて…欲しかった。


「─────!」
『……? シノ?』


ピリリと張り詰める空気。どうしたの?と不思議そうに首を傾げる少女を抱き寄せ、俺は玄関を見据えた。外から声が──穏やかな雰囲気とはお世辞にも言えない声が──聞こえる。そんな不穏な気配に少女も不安そうな表情に変わった。彼女が俺の服をきゅっと掴んだ瞬間、轟音を立てて玄関のドアが開かれる。荒々しく足音を響かせ俺達のいる部屋に入って来たのは甲冑を身に付けた男達。


「鎧仗軍隊が此処に何の用だ?」


鎧仗軍隊(アーマーコープス)とは文字通り武装した軍隊の事で、神界に於ける司法警察機関のトップ、ジャッジメント直属の軍だ。その仕事は主に罪人の押送なのだが、


「元第945世界神『バルセロナ』。直ちにお前を連行する」


一度ジャッジメントからの政令が下れば、対象となった者の捕縛が可能となる。

人間の言葉には「疑わしきは罰せず」という言葉がある。それは「犯罪を行ったという事が証明されなければ有罪を言い渡してはならない」という人間の法律上の格言であり原則だ。だが此処、神界は違う。真逆だ。「罪という名の芽は種から消せ」、「疑わしきは罰せよ」の考えの下、微々たる疑惑を全て糾弾し殲滅する。……つまり、だ。


「火のない所に煙は立たぬ…俺からはその『煙』が湧いていると?」


俺は世間から、疑われている。

聡い少女は余りに芳しくないこの状況に不安と戸惑いの表情を浮かべる。神を辞め彼女と共に暮らし始めてから、俺は神界の所謂(まつりごと)に関わった事は一度たりともなかった。神として政府に携わっていた時なら兎も角、何故今になって疑いをかけられるのか。それがわからない程俺は莫迦ではない。


「『感情』とはそれ程までに恐ろしいものなのか?」
「……腐っても元神。更に同学は愚か、先学をも抑え新たな代の先駆者となった男…そんなお前が持つには余りに危険過ぎるものなのだ」


昔から俺は、周りよりも抜きん出た部分が多々あった。その才能は神となった時も例外なく発揮され、周りからは一目置かれるようになった。ただ坦々と頭を働かせるだけで完璧に事を終え、何の苦労もなく、少しの苦悩もなく、称賛され、尊敬され、期待されて来た。

これはその付けが回って来たのか。

出る杭は打たれるように。高すぎる能力は時として狐疑に移り変わり、それが罪に、そして罰へと繋がるのか。


「感情を手にしたお前は最早反乱分子。そんな奴を放っておく訳にはいくまい」
「反乱分子、ね……」
「そしてお前の捕縛と並行してそこの女も然りだ」
「……何?」


散々な言われように怒りを通り越して呆れが生じたが、鎧仗軍隊が続けて放った言葉に俺は眉根を寄せる。少女も驚愕で大きな瞳を見開いていた。


『え…私……?』
「お前は元々第945世界の住人。神界の者ではない」
「だから?それがどうした」


そんな事はわかりきっている…俺と少女が同じではない(・・・・・・)事など。

彼女という人間が存在していた第945世界は俺が創った世界。生きている間はこの神界とは決して関わる事のない、隔離世界。肉体が死ぬ事でようやく此方の空気に触れる事が出来る。だが彼女の肉体は死んでいない。死ぬ前に俺が神界に連れて来たからだ。

あの事件の後、俺の世界は均衡を保ち切れずに滅んでしまった。彼女の生まれ故郷はもうない。喪ってしまった場所に少女を還す事など出来る筈がないだろう?

そう、だから、


「お前は既に存在しない世界の住人」
「此処にある筈のない魂」
「存在してはならないもの」
「つまりイレギュラー」
「そしてイレギュラーとはまたつまり異端分子」

「異端分子は処分しなければならない」

「──黙れ、青二才」


それ以上は赦さない。
俺の前で彼女を消すなどとほざくな。


「彼女を此処へ連れて来たのは俺、そして連れて来いと命じたのは貴様らの直属上司だ」


先程から聞いてみれば、鎧仗軍隊の言い分は随分と個人的な意見だ。否、個人的と言うよりは誰かの私情と表す方が正しいか。……ジャッジメントではない誰か(・・)の私情。

彼女の保護を命じたのも、それを渋る俺を諭したのも、そして神の権限を剥奪された俺に二人で暮らすには十分な広さ(・・・・・・・・・・・・・・・)のこの家を与えたのも。全てジャッジメントだ。

そんな彼らが、俺などにこれ程までの事をしてくれた彼らが、俺を糾弾するのは…少女を殺すのは、矛盾が生じる。今までにない特例措置を施しておいて、今更。そんな事をしてジャッジメントに一体何のメリットがある?

ジャッジメントに何があった。
ジャッジメントに何をした。


「貴様らの主は誰だ、鎧仗軍隊」


誰だ。
俺を疑い、彼女を傷つけるのは。


「──全てはあの方が神界を統べる為」
「あの方こそが唯一の神」
「神界の王はあの方一人で良い」

「高々神が玉座を望むか……!!」


神の役目は神界の統率などではない。世界を創り、見張るだけだ…「結末」を迎えるまで。

世界とは即ちレプリカ。
レプリカとは即ち実験台。
実験台とは即ち最良を模索する為のもの。

つまり世界は神界の未来を決める選択肢。枝分かれする未来は不確かなものである。それを確かなものにする為に創られるのが「世界」。様々な分岐点を迎え、様々な方向へと進んだ先をシミュレーションするのだ…神界の為に。

だから神とは最良を追い求めるただの研究者に過ぎないのだ。


「この神界を治めるのにジャッジメントは不要との事」
「あの方の命により我々が処分した」

「神風情が他の者を裁くとでも言うのか?」

「そうだ」
「あの方こそがそれに相応しい」

第1世界神(ケレス)様こそが!!」


*****

オメガ…物事の終わり

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