朝の始まりは、心地の良い声が鼓膜をくすぐり起こしてくれることから始まる。ゆっくりと瞼を開くと、見慣れた彼――隣に住んでいる一つ年上の幼馴染――燕青の姿。

「おはよぉ、もぐ子」
「おはよ、燕青」

上半身を起こし軽く伸びをすると、燕青は朝食を作るからと残し部屋を出て行った。まだ眠たい気持ちはあるが、起きて仕度を始めないと後が怖い。以前、二度寝をしたことがあるが、あの時は人生で一番怖かった。思い出すだけでもまだ眠気眼の状態だというのにぞわりと背筋が震える程だ。ふるふると頭を左右に振り、起きよ、と呟くとベッドから出た。
もぐ子が仕度をしている最中、台所では燕青がなれた手つきで朝食を作っていた。もぐ子の両親は既に仕事に出て姿はない。燕青に自宅の鍵を預けていることから、二人はもぐ子と燕青の仲を認めてくれているようだ。
物心ついたときから燕青とは一緒だった。何をするにもどこへ行くにも――少し過保護すぎるところが玉に瑕だが、当たり前のことだともぐ子は思っていた。どうしてそう思うのかと問われると困るが、こんなことを言うと笑われてしまうかもしれないが、きっと燕青とは前世からの縁でめぐりあったのかもしれない。言葉にしてしまうと恥ずかしいため、これはまだ燕青にも言ったことはないもぐ子だけの秘密だ。
気づけば燕青に惹かれ、恋をして、想いが一つになって早幾日――とは言うものの、今までと特に変わってはいないが、心の中で何かは変わった気がしている。
制服のリボンを結び、アクセサリー掛けに提げてあった宝物――幼い頃、燕青から貰ったおもちゃの指輪を通したネックレスをつける。校則云々とあるため、ネックレスは見えないようにブラウスの内側に隠して準備完了だ。
着替えを終えて部屋から出ると、良い匂いに誘われリビングへ向かう。ふわりと漂う香りにようやく目を覚ましたのか、腹の虫が元気に鳴った。食卓を囲み、朝食を食べる。料理に舌鼓を打ち、箸を動かす手は止まらない。テレビでは昨日のニュースが流れた後、天気予報が始まった。今日は雲ひとつない快晴だそうだ。気温も丁度よく、日向に出ると少し暑いかもしれないとアナウンサーは言う。
朝食を終えると、あっという間に家を出る時刻になった。お揃いのリュックサックを背負い、燕青は二人分の弁当が入った小ぶりのかばんを片手に持ち家を出た。
学校での生活は嫌なわけではない。高校に入って出来た、今は学年があがりクラスが離れてしまった親しい友人も居るし、休憩時間にする何気ない話も好きだ。苦手な教科で躓けば燕青に教えてもらえるし勉学で困ることもない。
学校での唯一の楽しみは、昼休みに燕青が作ったお弁当を手作りした本人と親しい友人とともにいつもの場所で食べること。あっという間に時間は過ぎ、待ちに待った時間がやってくる。家から持ってきていたメロンソーダ味の飴と貴重品、休憩時間中に買った飲み物を持ち、鼻歌交じりに約束の場所――屋上へと向かった。途中、親しい友人――紙パックのジュースとコンビニで今日は買ったのかサンドイッチとデザートにプリンを2つを手に持った花菜と出会った。2つも食べるの? と聞くと、うん! と元気に返事がある。ぶれないな〜と呟きながら屋上へと続く扉を開くと、さらりと心地の良い風を感じた。ふと視線を動かすと、こっち、と屋上では特等席でもある長ベンチを陣取った燕青の姿。特等席は陰に入っており夏でも暑さを感じず、逆に冬は風避けとなる壁が近くにあるからか寒さを感じず、時期によっては一部の生徒達の間で取り合いになることもある――らしいのだが、生憎、もぐ子と花菜はその戦いに巻き込まれたことはない。屋上へ行くといつも燕青が特等席に陣取りにこやかに待っていて、他の生徒の姿はないのだ。以前に花菜が不思議がっていたが、恐らく燕青の仕業もといお陰なのだともぐ子は知っている。しかし、声を大にして言えるわけもなく不思議だねとその時は合わせた。
もぐ子を真ん中に、右に燕青、左に花菜が腰掛ける。二人は弁当を、花菜はサンドイッチの封を切って、普段と何気ない昼食の時間が始まった。サンドイッチを片手にじっと二人の弁当の中身を見やり花菜はぽつりと一言。

「燕青先輩って、やっぱり料理上手ですよね……」

一口食べる? と卵焼きを差し出すと、花菜は頷きぱくりと口に含む。しっかりと租借し飲み込んだ後、じーっと弁当の中身を見つめながら素直に感想をこぼした。

「しかも美味しい……」
「とのことですよ、燕青シェフ?」
「呵呵ッ、お褒めに預かり光栄の極み」
「これを毎日食べてるもぐ子ちゃんが羨ましすぎる……」
「あっ。いくら花菜ちゃんと仲が良いって言っても、燕青は譲らないからね?」
「それは大丈夫。そんな気は微塵もないから!」
「それなら良かった!」
「女の会話って時々怖ェし人の心を無意識にえぐってくるよな」

もう慣れたでしょ? と言うと、お陰様で、と燕青は肩を竦めた。
すみませんと謝る花菜とは違い、これでもっと女子に慣れるべき〜ともぐ子は肘で燕青をつつく。燕青は愉快に笑った後、覚えてろよと低い声で告げたがもぐ子は聞こえていないふりをした。
昼食も食べ終え、ふうっと一息つく。隣では花菜が幸せそうに食後のデザートとしてとっていたプリンを頬張っている。既に一つ目は食べ終えており、二つ目に入ったところだ。もぐ子はスカートのポケットに入れていたメロンソーダ味の飴玉に手を伸ばし、封を開けてぱくりと一口。しゅわしゅわと舌の上でメロン味の泡が広がっていく。燕青は二人分の弁当箱を片付けていた。
ふともぐ子はあることを思い出し、ほわわんっと表情を緩めている花菜に尋ねた。

「そういえば花菜ちゃん、生徒会長とはどうなの?」
「んぶっ」

口に含んでいたプリンは驚きのあまりに喉を通らずちょっとだけ唇の端からこぼれた。急いでポケットからハンカチを取り出し、ごめんごめん、と謝りつつ拭ってやる。ジュースで流し込むと、花菜は少し涙目でもぐ子を見た。

「どうって……どうともないのだけど……」
「ええ〜? 本当でござるか〜?」
「ほ、ほんとでござる……ていうか何で佐々木先生のマネ……」

地理担当の佐々木小次郎のモノマネはもぐ子の十八番でもある。いやいや全然似てねぇよ、と燕青は突っ込むがもぐ子はスルーした。

「生徒会長と燕青って同じクラスだよね。何か良い情報はないの?」
「生徒会長の情報ねぇ……完璧すぎて隙さえない奴だからな、あの人……」
「おお、さすが生徒会長……」
「先輩と同じクラスの燕青先輩が羨ましい……」

ぽつりと本音をこぼした花菜を横目に、本当に何もないの? ともぐ子はもう一度燕青に尋ねる。軽く頭をひねったものの数秒と経たずに、ない! と燕青ははっきり言い切った。
親友である花菜は生徒会長兼剣道部主将のアーサー・ペンドラゴンに恋をしている。アーサーは秀才で、成績も学年で十番以内に入っており、情報通の燕青でさえ弱みや悪い噂等を一切知らない。ついこの間も、花菜は一人でアーサーを見に剣道部へ見学へ行ったと話していた。ただ、あまりにも人が多すぎて一瞬だけしか見えなかったとぼやいていたが。
もぐ子は常々、何か役に立てないかと考えていた。しかし、相手があまりに秀才すぎる。燕青にも相談をしたが、取り巻きが多く近寄り難く、同じクラスではあるものの無理だと手を挙げたくらいだ。いつもすぐ傍に燕青が居たもぐ子とは違い、近くで姿も見れない、話もできない――恋する女の子にとっては苦痛だろうと思う。励ます為に、今度の休みにでもどこかへ誘おうかとした時、がちゃりと音を立てて屋上の扉が開いた。

「――おや、」
「あっ」
「よお、生徒会長」

昼休み中は誰も来ないはずの屋上に姿を現したのは、生徒会長こと噂の主でもあったアーサーだった。もぐ子はまさかのことにぱちりと目を瞬き、燕青は陽気に片手を挙げて挨拶する。何気なく花菜を一瞥すると、プリンの容器と小さなプラスチックスプーンを手にしたまま固まっていた。

「珍しいなァ、生徒会長様が昼休みに屋上に来るなんて。昼はいつも生徒会室で飯食ってただろ?」
「まあ、ね。しかし、たまには私も息抜きをしたいときもある」
「息抜き……ねぇ?」

何かあったのだろうと察しはついたが、燕青はそれ以上探らなかった。アーサーは辺りを見まわし軽く首をかしげる。ここには自分たち以外誰も居ないと燕青は答えた。何故かと不思議がるアーサーとは逆に、もぐ子はハッとなる。
これは――チャンスではないか、と。
燕青、と小声で名前を呼び耳元で声を落として話す。あ〜、と燕青は相槌を打つと急いで小ぶりのかばんを手に持ち腰を上げた。同時にもぐ子に手を差し伸べ、同じく立ち上がった。

「それじゃあ生徒会長、ごゆっくり!」
「じゃあ花菜ちゃん、私達もう行くから。いろいろがんばってね〜!」
「――……えっ!?」

生徒会長ここ、と花菜の隣をぽんぽんと叩くなり燕青ともぐ子は手を繋ぎ屋上を後にした。
ばたん、と扉は閉まり屋上は花菜とアーサーの二人だけになる。花菜は驚きと混乱でプリンを手に持ったまま固まったまま、閉じた扉をじっと見つめていた。

「――隣、良いかい?」
「あ、わ、は、はい! ど、どうぞっ」

花菜の隣にアーサーは腰掛け深く息を吐いた。何を話すべきか、話したいことはたくさんあるものの思いつかず、けれども沈黙のままで居るのは嫌で花菜は咄嗟に声を上げた。

「あ、あのっ」
「何かな?」
「ぷ、プリン……食べますか?」
「……は?」
「何か嫌なこととか、疲れた時には、甘いものが美味しい……ので……」

小さなプラスチックスプーンの上にのった、差し出されたプリンを見つめ、アーサーは二、三度瞬きを繰り返す。しかし程なくして、ふっとふき出すとアーサーは大きく笑った。しばらく笑った後、ぱくりと差し出されたプリンを食べ、美味しいと笑った。
屋上に残された二人が良い雰囲気になっていることを、階段を降りるもぐ子達は知らない。何となくだが良好な関係は築けるのではないか女の勘は働いていた。それに、昼休みの間は他の生徒は寄り付かないし、特に心配をすることもなかった。

「ねえ、燕青。二人ってさ……お似合いだったよね」
「そうだな」
「ふふっ。早くくっつけば良いの、」

それは一瞬の出来事だった。偶然にも誰も通らなかった階段での、言葉をさえぎるようにしてされた不意打ちのキス。時が止まったような気さえしたが、小さくなったメロンソーダ味の飴をカリッと奥歯で噛み砕く。

「俺以外の男のことを考えた罰」
「……訳わかんない、」

けれどもそれは――つまり"嫉妬"してくれたということだと知り、嬉しさと、此処が学校だという背徳感と緊張感に、おのずと頬に熱は上る。軽く視線を動かし誰も来ていないことを確認すると、燕青、ともぐ子は呼んだ。

「私達も……そろそろ進展しないと――ね?」
「――! 呵呵ッ。ああ、そうだなァ」

目を細めるも、燕青はもぐ子の頬をあいている手のひらでやさしく撫でる。もぐ子が静かに瞼を閉じたのを合図に、燕青はもう一度、今度は優しくキスを落とした。ふわりと香ったメロンソーダの匂いは、甘い刹那を二人に運んだ。


君が私を女の子にした
(君と二人、ほんの少しの、甘いひと時を――)

愛子||170418(title=喉元)