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ナマエは息を切らせながら自宅に駆け込んだ。

勢いで入り口の飾り棚から物が落ちるのも気にせず、スタッフたちの差し入れの塔も崩して、乱れる髪もそのままに自室に飛び込む。”今”じゃないと、きっと思い出が邪魔をして、上手く出来ないという自覚があった。

ナマエはネックレスは沢山持っていたが、魔法に必要なペンダントは一つしか持っていなかった。
アズールはよく小物をプレゼントしてくれて、ネックレスもその内だった。でもナマエがペンダントを身に付けることを良しとしなかったのだ。ジュエリーボックスには一つもペンダントはない。

家を出てから、やっとお金に余裕が出た時に、記念にとペンダントを買って見せるとアズールは焦ってそんなものはもう必要ないだろうと手放させた。もし必要になったら自分が用意すると言って。
しがらみから解放されたナマエが、今度はアズールから逃げるのではないかとその時彼が危惧していたことをナマエは知らない。

でもどうしても、一つは手元に置いておきたくて鍵付きの引き出しに入れて置いたのだ。それがアズールとの思い出のためか、両親への恐怖の影か、何かへの保険のためかはわからなかった。

唯一のペンダントを握りしめる。
この中に自分を多く構成しているものが閉じ込められる。きっと、いや間違いなくおかしくなるだろう。
たとえ記憶を閉じ込めても、それによるズレは生じる。それがもし、自分の大部分を構成しているものならば尚更だ。ふとした瞬間に違うと本能が判断するのだ。

自分のことだから何かに魔法を使ったことはわかる。でもそれが何かわからず、掘り出してもいけない。
常にストレスを抱えて、心の支えをなくした人間がどうなるか、想像に容易い。

耐えられる覚悟はない。でも、彼の幸せのためならば何だってできるのがナマエだった。


「ペンダント・オブ――――」

ガンッ

魔法をかけ終わる前に、玄関が勢いよく開いた音がした。
ナマエの家を知っているのはアズール、ジェイドとフロイドだけだ。そして合鍵を持っているのも。
まさか、彼らが来たというのか。学園から外出届を取るには1日は掛かるだろう。それにアズールはオーバーブロットしていたから、寮長や副寮長がそう簡単に出られるとは思えない。仮に出ることができたとしても、離れにあるナマエの家へはかなりの距離を泳がないといけない。
だからこそ、無防備にも、すぐに行動に移したというのに。

「何で、何で…どうして…」
「ナマエ!!!」

アズールが額に汗を滲ませて、部屋の扉のすぐそこにいる。
どうして彼が此処にいるのか。彼が此処にいては魔法は成立しない。
七日間は忘れたい相手と顔を合わせてはならない。まさかその初日に本人がいる前で発動させるわけにはいかない。

♥


アズールは震えるナマエがペンダントを握りしめているのを見て、慌てて取り上げた。
そのままペンダントの蓋部分の金具をへし折る。逆に開かれたペンダントは、とても機能するようには見えない。

ナマエは絶望した。
このペンダントで、魔法を完成させなければならなかった。アズールにペンダントを壊されたということが、何より恐ろしかった。まるで彼に拒否された自分を見ているようだったのだ。
支えを失った蓋が床に落ちて、彼の足に踏まれる。自分の心が踏みにじられているような気がして、息がしづらい。
どうしてそんなことを。自分はまだ過ちを重ねているのかと、涙が出る。

ナマエの涙を見たアズールは狼狽える。
彼女は滅多に泣かないし、見たのも数回だ。それほどまでに追い詰められている。
何かよくないことをしているとは思ったが、まさかユニーク魔法を使おうとするとは考えが及ばなかった。どれだけ辛くともアズールの約束は必ず守ったナマエが、今破ろうとしていたのだ。

「…僕との約束、守れないんですか」
「ちがっ、違うの!!!あなたの為に――――」
「僕はこんなこと望んじゃいない!!!」
「っ!!」

アズールの怒鳴り声が響く。ナマエは思わず首をすくめ、目を瞑る。
何が正解だったのか、ナマエには見当もつかなかった。彼が怒鳴っているところはたまに見ることはあっても、自分が直接怒りを買ったことがなかった。
いつも、いつも正解を探していたのだ。彼のために。

「でも、私はあなたに必要ないのよ…」
「あなたの邪魔になるくらいなら、消えてしまいたいの…」

ボソボソとナマエが涙交じりに語る。お互い少し落ち着いたようで、沈黙が降りた。
ナマエの心は乱されたままだったし、アズールは思いもしなかったことが起きていてショックだったが、話し合いが必要なことはわかっている。
相手の考えていることは手に取るようにはわからないが、二人は片方ができないことをうまく補える関係だった。

「…僕の非は認めます。あの時の発言が、咄嗟に出てしまったものだとしても、傷つけた」
「……」

アズールはナマエの手をそっと取った。
ナマエの手は緊張で震えて冷たい。指と指を絡め、体温を分け与えるように包み込む。
ナマエは確かに傷ついたが、それはアズールのせいではない。自分に絶望したからだと伝えたかったが、喉は震えただけで、音を発してはくれなかった。

「僕は…ナマエに必要ないでしょう」
「え…?」

何を言っているのか、ナマエにはわからなかった。
必要ない?そんなはずはない。必要なければ自分は記憶を閉じ込めることに何も躊躇しないだろう。
ナマエが戸惑っているのを尻目に、アズールは続ける。子供に言い聞かせるような、優しい声だ。

「基本的にナマエに出来ないことなんてない。僕を大切だと言っておきながら、きっと僕がいなくとも上手くやっていけるでしょう?”自分を救うシンボル”さえいたら、どうにでもなるんです」
「そ、んなことは…」
「お守りみたいなものですよ。失くしたら変えを探せばいい」
「そんなことは絶対にないわ!!!」
「ナマエを救ったのがジェイドやフロイドなら、彼らにも同じようにしていたでしょう?…僕は、僕自身があなたに必要とされているとは思えなかった。」
「…だから、僕を見てくれないナマエなんて必要ないと、言ったんです」
「私はっ!!たとえ助けてくれたのがアズール以外でも!!!こんなに好きになることはないのよ!!あなたがあなただから、私は…」
「僕は…そうだとは思えませんが」

まるでナマエの感情そのもののように、周囲の気温が下がっていく。彼女の落とした涙が結晶化して、弾ける。
どうしたらわかってもらえるのかがわからなかった。相手がアズールであっても、この想いを否定されるのは許されなかった。自分が唯一望んで手にしたものだ。誰かに言われて抱えたものではない、唯一。

「…私は、あなたに助けられた私だから、そうじゃない場合なんてわからないし、それは私じゃない。わかるのは…私にはあなたが必要ってことだけなのよ…」
「僕は、ナマエが本当に必要としてくれているかはわかりませんが…、これから、模索していけばいいんです」


彼の指が、ナマエの手の甲を撫ぜる。ナマエは、やっと自分が生きていて良いと言われたようだった。

アズールを大切にするのと、全てを肯定するだけなのは違う。自分はアズールにとって必要とされてないと見なされるほど薄っぺらい感情で動いていると思われていたのだろうか。ショックではあるが、これからがある。アズールを忘れなくても良いという安心感が、涙腺を刺激した。
自分を構成する大部分を失わずに済んだのだ。

「ナマエは、僕にされて嫌なこととか、間違っていることをちゃんと教えてください。全部肯定するのではなく」
「…でも、アズールは間違ったことを言わないわ」
「間違ったから、こうなったんです。僕のために、そうしてくれませんか」
「…ちゃんと、考えて、もし間違えていたら、そうするわ」
「いい子です。僕の必要なナマエであるために…僕の側を離れないでください」
「…わかったわ」

頬に残った涙をアズールが親指で拭き取った。
間違えてしまったけど、アズールはナマエを必要としてくれている。やはり自分が正解を、上手に生きることができるかと問われるとそうだとは言えないが、それをアズールと一緒に模索していけばいい。

結局アズール離れはできなかったし、何もできないナマエのままで、一人で立つことはできないけれど、これで良かったのかもしれない。
ぼやける頭でナマエはそう思った。何も変わりはできなくとも、アズールと一緒ならできるかもしれない。彼自身が、一緒に模索すると言ってくれたのだ。これ以上心強いことはない。二人でうまく歩める道を探せば良いのだ。

「…僕を忘れるなんて、許さない」
「何か、言った?」
「いや、何でもないです。二人が心配するので、目元を冷やしましょう」

そういってアズールは前髪を撫でた。




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ツユシグレ