アザミの告白
いつもと変わらない朝。
ナマエは朝起きて一番に顔を洗う。布団から出るのに少しかかるが、出てしまえばその足取りはしっかりしたものだ。
鏡に映る自身の顔をあ見て、自分自身はこうも変わりがないのに、環境は大きく変わるものだから魔法界は不思議だとぼやけた頭で考える。
彼女の朝食は二週間で献立を組み、飽きた日は大食堂で買ったものや、料理の上手い生徒にお裾分けをもらったり、教えてもらったりと割とレパートリーがある。
いつも通り、朝食を作ろうと台所に行こうとしたのだが、あるはずのないものが目に入った。
ナマエの部屋は、完全防犯が成されている。人が入るとチャイムが鳴るし、もし許可してない人が入ろうものなら相手を吹っ飛ばす。ここに来てからは、オンボロ寮に住んでいることさえ知らない生徒も多く、一度も防犯機能が作用したことはない。以前の学校では二度ほどあったが、あっという間に捕まり、知らぬ間にその生徒はいなくった。
だから、寝ている間にデスクの上に手紙など置いてあるはずがないのだ。
仮に手紙だけ入れようとしたとしても、弾き返すはずなのだ。
何故、今更自分の魔法に欠陥があったのかと手紙を手に取る。
不思議なことに宛先のない、煤の匂いがする手紙だった。
何がどうなって自分の元へ届いたかはわからないが、大切な弟から手紙が届いていた。
端の方は、焼いた後のようになっていて、少し崩れてはいたが、十分新しいものだ。彼の書く字は少しクセがあって、SISの字に懐かしさがこみ上げる。
ナマエ・ブラックとして生まれてから、彼女が泣いたことなど数回しかない。
一度目は上の弟、シリウスが生まれた日。二度目は下の弟であるレギュラスが生まれた日。そして出て行ったシリウスからの手紙を見て安心して涙が溢れたくらいか。
まさか二度も弟からの手紙で泣くことになるとは思っていなかった。
下の弟、レギュラスは死んだと書いてあったが、きちんと呪文が発動してナマエがここにいるのだから、きっと生きているはずだ。彼は賢い子だから、息を潜めて生き延びているはずなのだ。
一つ気がかりがあるとすれば、ナマエの訃報が彼の耳に入っているかどうかだ。もし彼が知れば、きっとナマエが事を起こしてこうなったということがわかってしまう。そうすれば最悪、命を落とす可能性がある。ナマエが庇ったから、自ら進んで死を選ぶことはなくとも、姉が死に、生を脅かされるということで精神的に追いやられる可能性がある。
今からどうすることもできないが、もしできるのであれば、どうやって届いたかわからないこれと同じように、手紙を送りたい。
ただ穏やかに生きていたナマエに、一つ目標ができた。
ナマエが涙を拭っていると、準備のためのアラームが鳴る。
慌てて手紙を鍵付きの引き出しにしまって、着替えをしなければならない。今日は朝食抜きとなりそうだ。
「…ナマエ、その顔は?」
「はい?」
いつも通り準備をしようとクルーウェルのところへ向かうと、顔を合わせてすぐに顎を掴まる。
ナマエとクルーウェルにはだいぶん身長差があるものだから、首がほぼ垂直になり、側から見るとかなり間抜けだ。
「目が赤い。仔犬どもが分かるほど近づくことはないと思うが、バレると厄介だ。今日は大人しくしておけ。埋め合わせは明日ショッピングに付き合うことだ。わかったな?」
「…はぁ、わかりました」
あっという間に事が決まってしまった。確かにこの程度であればバレないとのこのこやって来たが、万が一バレて、相手がややこしかった場合。秘密にすることを条件に取引するものや、周りの目をはばからず大声で話しかけてくる面子が数人ナマエの脳裏をよぎる。
彼に甘えて休みを取った方が懸命であると納得して、ナマエは持って来た荷物をまとめた。
「すみませんね、急におやすみいただいちゃって」
「以前は一人でしていた事だ、お前は気にせずその目を治して俺のショッピングに付き合う。その時に話は聞こう」
「そんなに大した事じゃないですよ。ちょっと…向こうを思い出すものが出て来ただけです」
「話せば考えもまとまるし落ち着くと言っていたのはお前だ。俺は授業に行く」
クルーウェルはこちらを見向きもせずに去って行った。
以前、彼と授業の合間に話していた事を持ち出され、ナマエは何も言えなかった。
確かにそう言った覚えがあるが、まさかあんなポツリと出した一言を覚えているとは思わなかった。
ともかく、せっかく彼が気を利かせてくれたのだから、目元を冷やして、極力生徒に合わないようにするかとナマエは寮へ向かった。
オンボロ寮は、そう呼ばれるだけあって建物も周りの環境も人の手があまりついていない。
部屋に戻るときっと、また泣いてしまうだろうから、ナマエは寮の前の階段に腰掛けた。
空を見ていると、不思議なもので心が落ち着く。言葉の一つも届けられないことにひどく泣きたい気持ちと、もしかすると弟たちとコミュニケーションが取れるかもしれないという期待がぐるぐると回る。
穏やかというわけではないが、澄んだ気持ちになるのは、一度落ち着いた証拠だろうとナマエは目を閉じる。
「ナマエ、授業はどうしたんだ」
「君は…」
切り替えて、いざ顔を洗いに行こうとしたのに、出鼻をくじかれた。
お揃いの濡れ鳥羽の髪に、宝石のように輝く瞳。こちらの者でないナマエでさえ彼の魔力は強いものだとわかる。
彼女の前に立っているのはマレウス・ドラコニア。実力が一人歩きして周りに集まる者は限られ、集会には必ずと言っていいほど来ない。
「また忘れられたんですか」
「違う。それよりお前はどうしたんだ」
ナマエの質問に食い気味に返答が来た。彼が一人でいるとき、ナマエはよく話しかけた。必ずと言って良いほど彼を探している人間がいるので捕まえておかねばならない。
それとは別に、一人でいる彼の背中が、末っ子がナマエや兄は学校に行けるのに自分はまだ行けないのかと呟いた背にそっくりだという理由もある。
おかげでマレウスがいないときは一番にナマエの元へ駆け寄る生徒が出てしまったが、今更止めるのもということで昼夜構わず彼の大声を近くで受ける日は多い。
「君に似ているといった弟のことを思い出してね」
「…そうか、じゃあ僕は何もできないな」
「ふふっ、なんだか君の姉になった気分ですよ。あの子もそうやってそばに居てくれることがあった」
「…そうか」
二人でオンボロ寮の前で地べたに座って肩を並べる。そうそうあることじゃないが、なんだか懐かしさがこみ上げてナマエは目頭が熱くなる。
目を細めて上を見るナマエの目元に、マレウスがそっと手を被せた。
「もどかしいが僕ができることはない。こうしてそばにいることくらいだ」
「十分、十分ですよ。ありがとう」
彼女は一粒雫を落とした。