内緒のブラウニー


最近、ナマエはよくアズールの部屋に遊びに来ていた。
以前は、アズールがよく彼女の部屋を訪れていたのだが、薬品等を扱っているときは相手ができないからと、書類関係や事務作業などを持ち込むようになった。
中身は見えないように魔法がかかっていてわからないようになっているが、アズールとやり取りしながら作業をしているのを見るに、さして重要なものではないだろう。

ナマエの周りには、おそらく分類別に本が置いてある。それは見ても良いし、きっとアズールのためにもなるから、待っている間暇なら読んで良いと言われていた。アズールはそれを一つ手にとって、椅子に腰掛ける。
本を開くと付箋がいくつか貼ってあった。

何故人体に対する魔法の効果のページに永遠に伸びるツル植物の切り抜きが挟まっているのだろうか。

*


「…ナマエ?」

ナマエがうたた寝をしているのを見るのは初めてだった。
眠たそうにしていることはあっても、実際にこうしてうつ伏せになっている姿は見たことがない。

好奇心に煌めく瞳は長い睫毛に隠れ、小さく形の良い唇は少し息を漏らしている。
授業中、歩き回って揺れる髪は今は寝息に合わせて微かに上下するだけだ。こうしていると、よくできた人形のようであった。

アズールはナマエの寝顔をじっと見ていたことに気づいて、慌てて目をそらした。
そらしてから、少し考える。

ナマエとは、いわゆるお付き合いをしている仲だが、手を繋いだことはあってもキスをしたことがなかった。
ハグをして、その流れでと思っていても、気恥ずかしさが勝ってしまうのだ。いつもする直前で、咄嗟に話題を変えたりしてどうにか流している。

アズールだって健全な男子学生であるし、できればしたいけれど心の準備がうまくいかないのだ。
苦渋の策だと、ジェイドに頼って帰って来た答えは、”雰囲気に任せる”、”緊張しないこと”、”そもそも僕たちは彼女と勝手が違いますから彼女に任せればよいのでは”という妙に模範的で冷めたトーンの返答だけだった。
途中で入ってきたフロイドが、オレが聞いとこうか?と言ったときは慌てて止めたし、じれってーからオレがしてきたらいい?と言われたときは思わず首元をひっつかんで勘弁してくださいと言ったのだ。

今なら、緊張せずに口づけができるのでは、と悪魔がささやく。
失敗したって幻滅されないし、練習にもなる。一度してしまえば緊張も薄れるだろう。寝込みを襲うのは正直どうかとは思うけれど、割と本気でアズールは悩んでいる。

こんなチャンス二度とないだろう。
彼女が眠っていることなど早々お目にかかれないし、もしかしたら自分に回ってきたチャンスなのかもしれない。
与えられたチャンスを逃すのは、馬鹿のする事だ。

「…今からするんだ、する……」

意気込んで、やってみせると口に出した瞬間緊張が頂点に達した。
こんなところで緊張に敗れるわけにはいかないのだ。少し震える指先で、アズールはナマエの髪を耳にかけた。
耳の下に手を添えて、あと三十センチ、二十センチ、十センチ―――

「ん、アズール…?」
「うわっ」


アズールは焦った。もしかしたら見られたかもしれない。とりあえず離れるべきだと咄嗟に判断する。
後ろの一人がけソファーに腰掛けながら、冷静を装ってナマエに話しかけた。

「ゴホン、ナマエが寝ていたので起こそうとしていたんです」
「あ、そうだ。アズールのところへ来てたんだった…」

どうやら誤魔化せたようだと息を吐く。
何も知らないナマエは不思議そうな顔をしていた。

*


少し寝たおかげでうとうととしていた頭ははっきりしたが、一度気分転換をするかと、ナマエは大きく伸びをした。

アズールのところで寝てしまうなんて、よっぽど疲れていたのだろう。
普段人前でこうも眠たくなることはないから、もしかしたら彼からマイナスイオンとか、そういう系統のものが出ているのかもなと馬鹿馬鹿しい事を思った。

それより、目が覚めた時に彼の顔がすぐ側にあって驚いた。髪を耳にかけて頬に手を置いて、まるでキスするかのように―――ように?

ナマエは広げていた本を杖を一振りして片付ける。アズールが冷や汗を流しているのを尻目に、冷めた紅茶を飲んだ。
こちらを見ているアズールは、珍しく取り乱した様子だ。いつもならゆったりと腰を深く下ろしているのに、中途半端に体重を預け、どこかソワソワとしている。あれで繕っているつもりなのだろうか。

とりあえずアズールのカップも空になっていることだし、おかわりでも入れるかと腰を上げる。何度もお邪魔しているおかげで、道具の場所ははっきり頭に入っていた。

ふと、目を泳がせているアズールを見て悪戯心が動いた。


アズールは、ナマエはきっと自分のカップがカラになっていることに気がついているから、今から新しい紅茶を入れるだろうと思っていたので、彼女がこっちに向かってくることを疑問に思った。
自分の予想は間違ってないだろうし、こちらに向かってくるということはアズールに何か用があるのか。

困惑しているアズールの後ろにナマエが回り込む。
腕が首に回され、後ろからハグをしているような形で、アズールの心臓は止まりそうだった。
顔を上げることも、下げることもできずに固まり、かろうじて目線を下にやって、これは現実だと思い知る。

いつもならそういう雰囲気になればしていたのに、あちらから急にハグをされることなんて初めてで、どうしたら良いかわからない。立て続けにアズールの心臓に悪いことばかり起こるものだから、これ以上負荷をかけないでくれと思った時だった。

目隠しをして、彼女がささやく。

「いくじなし」
「!?」

耳に触れるナマエの吐息と唇の感覚、最後にうなじ辺りから軽くリップ音がして、アズールは驚いて椅子から落ちた。
茶葉を取りに行くナマエの笑い声はご機嫌だ。




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ツユシグレ