ジェイド・リーチ
私は気がつけばホンソメワケベラの人魚になっていた。
まず人魚の身体に慣れるまでかなりの時間を要した。
二足歩行で生きてきたのにいきなりヒレで泳げと言われても無茶振りにもほどがある。
気合と根性で完璧に泳げるまで、エレメンタルスクールに入るギリギリまで特訓をしていた。
ようやく普通の人魚として生きれると思った手前、両親から告げられたのが自信がホンソメワケベラの人魚ということだった。
そもそもホンソメワケベラとは何か。
クリーンフィッシュ、お掃除魚。寄生虫を頂くべく様々な魚に付いて回る魚だ。
私達家族とチョウチョウウオの家族が同棲しているのはお互いの理があってのことだった。
寒さにはとんでもなく弱い私たちが生き残るには誰かに頼らねばならない。
前世で言う"金魚のフン"の真似事をしないと生きていけないのだ。
何とも生き辛い人魚である。
寄生先は早く見つけるに限る。一人では冬を越せない人魚なのだ。
入学初日、なんとなく見覚えのある二人組を見つけて衝撃を受けた。
あの二人を知っている。いや、数年後の姿ではあったが間違いないと震えた。
そしてすぐに計画を思いついた。
見目は良いが力のない私は上手く溶け込まなければ間違いなく虐められる。間違いなくあだ名は寄生虫だ。
彼らを親とすればまず虐められることはないだろう。そもそもできれば近寄りたくないものの方が多いはずだ、なにせ海のギャングである。
上手くいって仲間内に入れられたら最高、失敗したところで彼らは嘲笑うだけではないかと考えた。
そう、どっちもヤバイことに定評がある双子のリーチ兄弟である。
そもそもフロイドは興味がコロコロ変わる性格であるし、ジェイドは一点集中だがつまらない者を相手するくらいであれば他の面白いことへ目が向くだろう。つまりローリスクハイリターン。
失敗したら次のカースト上位を探せばいい。そもそも同性でないし興味を持たれない場合も十分ある。
ダメで元々、当たって砕けろ。
「あの、こんにちは。ナマエっていうんだけど、あなたたちは?」
結論を述べると、恐ろしいほど企みは上手くいった。
「いいな、みんなは同じ学校へ行けて」
「仕方ないでしょう、あなたは雌ですし」
「そ〜そ〜、帰ってきたときにたっくさんお土産買ってくるからさぁ」
「絶対よ!私も雄だったらよかったのに…」
卒業式の日。アズールとは家路が別れるため双子と並んで帰る。
最終日だというのにあっさりと学校は終わり、お世話になったミドルスクールを背に泳ぐ。
「ナマエは家の手伝い?」
「そうね、余程なことがなければカフェのスタッフね」
「休みの間くらいなら顔を出して差し上げてもよろしいですよ」
「すごく恩着せがましい…」
ナマエの家は小さなカフェで、今までも何度か手伝いで店に顔を出したことがあった。
前世もあって、実家を継ぐというのもなぁ、外でガッツリ働けたら最高なんだけどとは流石に誰にも言えなかった。
金を頑張って稼いで、上手く脚を作って外で過ごすのがベストではないかとナマエは考えている。
両親のように他所の家族に寄生するのも気がひけるし、陸に上がればそんなことを気にせずに済む。
「さっさとお金貯めて、適当に陸で男見繕うかな…」
「は????」
「…オレ知らね〜」
「え?」
先ほどまでフロイドのいた所に目を向けると、もぬけの殻である。
今の一瞬でどこ行ったんだろうね、とジェイドに聞こうとして背筋が凍った。
ジェイドはフロイドに比べて表立って厄介を起こすことは少ないし、比較的穏やかだと思っていたナマエはこの時それが勘違いであったことに気付く。
笑みを消し瞳孔が開いた目で自分の顔を見るジェイドに、戸惑いながらナマエははくはくと口元を震わせた。
「今何と?」
「え…と」
「ナマエは少し勘違いをしているようですが」
「は?」
首元にジェイドの両手が添えられる。
首を占めるかのように纏わりつくそれには力こそ入っていないが、どちらが上であるかを明確に表していた。水流の音がごうごうと、やけに大きく聞こえる。
冷えた指先に怯えながらナマエは相手の目を恐る恐る見上げた。
「ナマエは僕たちの元を離れられると思っていたんですか?」
「…」
「散々借りを作っておきながら?いらなくなればハイさよならと。随分都合の良いことですね」
「う…」
「僕はナマエがどちらかの番いになるだろうからと黙認していましたが」
「!?」
思いもよらない内容にナマエは目を向いた。
いやいやいや、そりゃあ利用させていただきましたけども!?でもそれは取り巻きとしてであって、身を以て知っているヤベェ奴と誰が番いになるって!?と叫びたかったが首元の手が一つでも間違えばあの世行きだゾ☆と告げている。
「フロイドは乗り気じゃなかったので、僕が貰ってもいいですよね」
「ヒッ(いいわけあるか)」
「いいですよね?」
「い…いですぅ…」
あの時の選択があっていたのかそうでないのか、ナマエはずっと考えていた。後の祭りではあるが。
あれからジェイドの行動は早かった。
お互いの両親に番いであることを告げ、くれぐれも店頭に出てる間余計な雄が付かないよう言い聞かせた。
そして勿論ナマエにも規制が付く。
「ではまず他の雄とは連絡を交換しない」
「ハイ」
「僕と必ず連絡を取ること。ちなみに裏垢作ってもすぐにわかりますからね」
「…ハイ」
これが入学当初の話である。
今現在、彼が卒業してナマエは諦めの境地にいた。
水中洞窟に人の姿で閉じ込められたら誰でもそうなるだろうと思いながら、酸素供給機を睨む。
"水中洞窟"、名前の通り海中にある洞窟のことだが、人が生き続けるには酸素が足りない。
どういう仕組みかはわからないが、魔法具である酸素供給機を携えて此処を紹介された時、「人生終わった」と感じたのは間違いなかった。
「この酸素供給機が万が一にも止まった時のみこの薬の使用を許可しますが…そうでない時に使用した場合、どうなるかわかりますね?」
「ハイ…」
ナマエは一度、ジェイドの在学中に脱走を試みたことがあった。
当時は監禁もされておらず、実家の店番として働いていた。適当に男を引っ掛け家出をしようとした結果、見事作戦は失敗、卒業後は一切の関係を絶たれた。
あれ以来一層監視の目が厳しくなったのは言うまでもない。
想定外だったのは、案外洞窟暮らしが悪くないということだった。
洞窟の中は必要なものは揃っているし、ジェイドが仕事のない日は好きな所へ連れて行ってくれる。
思い描いていた未来とは大幅に違うが、これはこれで良かったのではないかと最近ナマエは考えていた。
唯一文句があるとすれば、ここ数日帰宅の際にナマエの脚に人魚の姿で触れられることである。
所謂夜のお相手は人間の姿でするのだが(お互い暫く子を設けるつもりはないのでただの快楽を貪る行為である)、それとは別に人の姿で入り口に脚を漬けていると、帰宅の際ジェイドが人魚の姿のまま太ももに手を沿わせるのである。
お互いに無言で、見られたままじっとりと這う手にどうも居心地が悪いのである。
その時の姿は"蛇に睨まれた蛙"という言葉が相応しいのかもしれない。
「ね〜いつになったらナマエに会えんの?」
「しばらくは無理ですね、子が出来た頃でしょうか」
「めっちゃくちゃ先じゃん」
「ナマエがまだ要らないと言うものですから…」
人魚にとってセックスは子を成す為の行為であり、快楽を貪るそれは人魚ではなくヒトの考えである。
海から出たことのない幼馴染がどうしてこうも歪んでいるのかはわからないがジェイドにとっては好都合であった。
快楽漬けにできたらそれでよし、無理であっても子が出来れば身内に甘いナマエである、見捨てるなんてことは到底無理だろう。
「ナマエもさっさと諦めればいいのに」
「諦めているとは思いますがどこかで希望を持たれたら堪りませんし」
最近帰る度に人魚の姿のままナマエに触れるのがジェイドの楽しみである。
何も言わずに手を這わした時の困惑、うっすら見える恐怖にあと少しだと確信する。
自分に心を許す必要があるが、上下関係はハッキリとさせないといけない。万が一にも以前のようなことが起きないように。
「そのうちマジフトチームが出来るくらい子供作ってナマエと連れて来ますよ」
「早めにしてよね〜」
言葉通りになるのはそう遠くない話である。