運命を感じたことは人生で二回ある。
両親を亡くして高校生ながらに花屋を切り盛りしていた私に近づいてきた神山と、神山の研究を手伝うという名の下に無申請で個性を使っていた私の下へ現れた赤羽根迅に出会った時。私はこの人に出会うために生まれてきたのだと思った。この人となら未来永劫幸せに暮らせるのだと信じていた。
そう、過去の話だ。
結論から言えば二人とも私を利用したいがために耳障りのいい言葉で操っていただけ。神山は自分の組織が作っていた違法な薬を広めるために、迅はその組織を潰すべく内情を掴みたくて私をうまく使っていた。若かったとはいえ、それに気づかず幸せを噛み締めていた私は実に愚かだった。運命だなんだと一人で舞い上がっていた様はさぞ滑稽だったことだろう。

『では、ホークスは連続強盗殺人犯である鷹見の息子ということは間違いないんですね?』
『はい。事実です。隠していて申し訳ありませんでした』

黒いスーツを身に纏ったホークスが腰を折って頭を下げる。その瞬間、テレビの中ではマスコミの焚くフラッシュで一杯になって画面を見る際の注意の文言が現れる一連の流れを呆然と見ていた。
ホークスという名で活動するこのプロヒーローは数年前身分を隠したまま組織壊滅のために私に近づき、赤羽根迅と名乗っていた。忘れもしないあの名前。事実、彼の個性である剛翼は赤い羽根でできており、代々継承されているものなのだと疑いもしていなかった。

「……名前も……嘘だったんだ」

半年前に博多の事務所に押しかけた時のことが不意に蘇る。『私に何か一つでも本当のこと言ったことある?!』怒鳴った私に対し、彼は首を縦にも横にも振ることはなかった。あれが真実だったのだ。赤羽根迅と名乗ってから私と過ごした日々は何もかもが嘘で塗り固められていて、真実など最初からどこにも存在していなかった。
テレビの中ではホークスの他に二人のヒーローも今後のことをあれこれと説明してはいるものの、全く耳には入ってこない。素性を明かしていなかったことを市民に謝罪したホークスを見て、私には一言だって謝ってくれなかったのにと虚しさが込み上げたからだ。

「……ばっかみたい」

ただ一言、謝ってくれたらそれでよかった。曲がりなりにも好きになった相手なのだし、捕まったこと自体は私が違法行為をしていたのだから恨んでなどいないし、私の気持ちを利用するだけして簡単に捨てたことに対してだけ謝罪があればと。
だけどそれは叶わなかった。彼はドアの向こうに人がいるのを気づいていたのかいないのか、私に対してたまに肯定や否定の返事をするだけでそうそう口も開かなかった。

「……」

壇上には上がらないものの、隅に女性がいるのを引きで映したカメラのおかげで見つけられた。長い髪を一つにまとめパンツスーツを見に纏った女性は包帯やガーゼで肌もろくに見えないけれど、間違いなくあの時博多で会った人物。久保まどか。ホークスが──本名は鷹見というらしいが──が好きなのはあの人であり、私ではない。
ソファーに放り投げていたリモコンを使ってテレビを消した。どのチャンネルもこの事件とそれにまつわるヒーロー達の会見ばかりで嫌になる。しかもその事件を起こしたのが半年前に入社したデトネラットだというのだから、ホークス達のことを考えるよりも私は明日からの生活に向けて余力を蓄えねばなるまい。

「こんな時に関西へ行くのは怖いかもしれないけれど……もしユリちゃんさえよければ、考えてみてくれる?」
「……ありがとうございます」

京都で大きな戦いが起きてから約二年が経った。ヒーロー達の尽力により敵勢力は根絶し、完全に元通りとは言えないまでも避難区域は解除され少しずつ経済活動も戻りつつある。そんな中、もう何年も前になるというのに花屋の時の客が連絡をくれた。海外移住を決めた知り合いが手放す花屋を代わりにやらないかという誘い。
こんなご時世に花屋をやったところで生活の保証はない。花を買う余裕のある人が何人いることか。とはいえ、何か他にやりたい事があるわけでもなし、身内も友人もいないのだからこれを機に関西へ行ってみてもいいかもしれない。そう決心した私は大阪の花屋の営業許可証に署名をした。

「いらっしゃいませ」

大阪という地にはとにかく驚かされた。特に人々の元気の良さは関東とは比べ物にならないくらいで、かつての日本同様に賑わっている。そのお陰でそれなりに花を買ってくれる層が存在し、この花屋を引き継いで半年以上経つが、赤字はほとんどない。今月も折り返そうという今日この日にあと少し利益が出れば月の後半は穏やかに営業ができそうなくらいには。そうはいっても既に営業終了ギリギリの時間だから、よっぽど買ってもらわない限りは難しいけれど。

「……何かお探しですか?」

入店してから数分、一つの花を見ては首を傾げ、また違う花を見ては難しそうに唸っている赤髪の男性に声をかけた。派手な髪ばかりに目を取られていたけれど着ているのはほぼ間違いなくヒーローのコスチューム──なのだろうが上半身にほとんど布面積が存在せず、目のやり場に困りつつ彼の赤い瞳に視線を合わせた。

「あっ……」
「?」
「可愛い……」
「はい?」

微かに開いた男性の口からギザギザの歯が見える。しかし何が言いたいのか要領を得なくて聞き返さざるを得なかった。

「あの!可愛い花を買ってきてくれって頼まれてて!」

打って変わって声のボリュームが急上昇し、彼は恥ずかしそうに頬をほんのりと赤く染めている。
こんなタイプの人が花屋に来ることなどそうないだろうし、花を買うことすら人生で数回くらいしかないかもしれない。恋人の付き添いか何かで時折見かける下着売り場にいる男性のように居心地の悪さを全身で表現している彼が面白くて、つい笑ってしまった。

「ごめんなさい、笑っちゃって。可愛いお花ですよね。花束か、鉢植えかは決まってますか?」
「……花束……だと思います!」
「渡すのは女性ですか?」
「そうっす」

ですよねと心の中で相槌を打ち、そういえば夕方に届いた切り花でまだ表に出せていないのがあったなと思い出す。

「お時間大丈夫ですか?」
「え?ああ、全然平気っす」
「じゃあ少しお待ちくださいね、今とびきり可愛いの取ってくるので」

花屋どころかあまり花にも縁がないらしい彼が女性に渡す『可愛い花』ならやはり王道にチューリップがいいだろう。合わせるのはこれまた王道にかすみ草でもいいし、色違いのチューリップも可愛らしい。スイートピーを混ぜてみたりラナンキュラスをアクセントにしてみてもいいかも。
あれこれと思いを馳せながらバックヤードで明日出す予定の花を十本ほどナイロン用紙に包み、店頭へと戻った。

「お待たせしました。メインはチューリップで、こんな感じとか……あとこういうのもいいかなって」
「はい……うん……はい」
「どれが良かったとかありますか?絞ってもらえたら予算と相談して──……お花見てました?」

チューリップと他のお花を合わせて印象の違う花束を紹介しているのにあまり感触を示さないどころか、彼の目線は私の手元より顔に来ている気がする。

「すんません!俺あんま花ってよくわかんなくて……作ってもらったやつ全部可愛いと思ったんですけど」

ハッと姿勢を正した赤髪の男性は礼儀正しく頭を下げていて、まだ彼とは二十分そこらしか話していないというのに人となりが十二分に伝わってくる。ヒーローには全くいい思い出などなかったが、彼は私の知っているヒーロー達とは違い真っ直ぐなのだなあと思いつつ、私に人を見る目などないのだから余計なことは考えるまいと思考を追い出した。

「それは……ありがとうございます。じゃあ王道にかすみ草にしませんか?ピンクに白ってやっぱり『可愛い』ですし。お客さんがこれ渡したらきっとその方も喜ばれると思いますよ」

じゃあそれでという彼からの返事を受け、予算を聞いて花束を作っていく。チューリップとかすみ草の花束をこんな時間に作るなんて中々ない経験だ。
普通この組み合わせなら入学や卒業など節目の祝いに贈るようなもので、こんな二月の夜中に買って帰るのは少しおかしい気もするが、実直そうな彼にはピッタリだと思ったのだ。変に気取った花束よりも、お手本のような可愛いこれが。

「あ」
「?」
「いや閉店時間すげえ過ぎてますよね。すんません、俺がすぐ決めらんないから……」

レジ横に置いてある名刺を見たのだろう、既に三十分以上過ぎている閉店時間の延長に対して申し訳なさそうに赤く短い眉毛を下げている。ただの冷やかしならば話は別だが、彼は頼まれごとに一生懸命向き合って花を買いに来てくれたのだ。謝ることなど一つもない。

「いえいえ。可愛い花束考えるの、私も楽しかったですから。差し上げるの彼女さんですか?メッセージカード付けます?」
「えっ?いや、俺彼女いな……じゃなくて俺の彼女に渡すわけじゃないんで、えーっと……」

勢いよく否定したかと思えば、自身の発言の間違いに気づいて恥ずかしそうに言い直したり。最初は上半身の露出の多さに少し驚いてしまったけれど、その印象とはまるで違う言動のギャップがあまりにも可愛らしく再び笑ってしまった。あまり顧客相手にこんな笑い方をしては失礼だとわかってはいるのだけど。

「カードは後で書いても大丈夫ですよってお伝えください」
「はい……なんかすんません……」

仕上がった花束とメッセージカードを入れた封筒をそれぞれ渡して店のドアを開けた。もうすっかり暗くなっている時間だというのに、街灯も店のネオンも煌々と輝いていて第二の昼の時間のようにも見える。

「お買い上げありがとうございました」
「俺の方こそ色々ありがとうございました!……あの、俺、次は自分の買いに来ます!」

またも礼儀正しく腰を折る彼にこちらも会釈で返した。
本当に彼が再びこの店に来てくれたなら何を勧めようか。ヒーローという職業は未だに多忙を極めていることから水やりの手間が少なくて済むようなものがいいかもしれない。彼の髪型に似ているサボテンとか。あるいは、多少の手間はかかるが疲れた心を癒してくれそうな色鮮やかなお花とか。
大体こういう発言は社交辞令で終わることがほとんどなのだが、どうしてだか彼の発言なら信じられる気がした。私に人を見る目なんて全くないというのに。




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