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どうにかあの風邪は気合で一晩で治したものの、あの、雲雀さんから保健室でキスをされてしまった日以来、私はどうにも応接室に行けずにいる。行けずにいる、というよりも、行かずにいるという方が正しいかもしれない。そうしてもう1週間が経つわけだけれど、意外にもあちらからの音沙汰はなく平穏な日々を過ごしている。私が行かないでいるわけだけど、割と本当に驚き。あの風紀委員長様ならいきなり手伝いに来なくなったとかなろうものなら、愛用のトンファーを構えて教室に押し掛けてきてもいいものだろうに。まあ、そのくらいどうでもいいと思われてるんだったらその方が都合が良い。このまま忘れてくれたら一番だ。

──と思っていたけれど、まあ、そんなわけは無かった。

「離してください」

思った以上にそう言った私の声は冷たくて、その声に反応するかのように私の手首を掴む彼の手に力が籠った。さすがに少し痛い。
放課後、音沙汰がないことを当たり前に思って警戒も然程していなかった私は、図書室で宿題をした後、呑気に人もまばらになった校舎を教室へと向かって歩いていた。途中、雲雀さんが私を待ち伏せているかのように廊下に腕を組んで、壁に凭れて立っているのが目に入って、一瞬躊躇ってから知らないふりしてくるりと背を向けた。
まあ、それが間違いだった。
瞬く間に背後に来た彼に肩を掴まれ、ぐいと振り向かされるとそのまま壁に押しやられた。その瞬間は、あ、壁ドンというやつだ、なんて呑気に思っていたけれど、目の前の彼を見て息を呑んだ。
なんて顔してんの。
怒りに満ちたような、寂しさが混ざったような、何とも言えない、いや、正直情けない顔をしていた。

「なんで来ないわけ」
「呼ばれてませんし」
「風紀委員を寄越していたけど」
「忙しかったもので」

何度か風紀委員の人が私を呼びに来たことがあったけれど、用があるからと適当に逃げて、後半にかけては来るだろうタイミングをはかって教室に居ないようにしていた。それも余程気に障ったんだろうか、私の返答にまたもや彼の目に何とも言えない色が交じる。

「何がしたいんですか、雲雀さん」

私の問いに、瞬間的に口を開けた彼が何も発することなくそれを閉じる。そして苛立ちを募らせたような表情で、「わからない」と呟いた。

「でも、イライラする」
「何にですか?」
「君が来ないことに、君が、僕を避けることに」

イライラする、と吐き捨てた彼は、その感情がどういったものからくるものなのかは理解していなさそうだ。申し訳ないけれど、それは私には都合がいい。自覚しないでくれるなら、それが一番いい。

「そんなに仕事溜まってるんですか?」
「まあ、ね」
「草壁さんがいらっしゃるでしょう」
「……」

あ、黙った。
偉そうで、落ち着いてて、大人びて見える彼だけれど、子供らしいところもあるものだ。
俺様ならぬ僕様なのに、なんでか私はあまり横暴さを感じない。いや、そりゃあ少しは感じるけど、こんな意地悪な返しをする私に、馬鹿正直に「なんて返そう」って考えている顔を目にしてしまうと、どうにも調子が狂ってしまう。
ひとつ小さく息を吐いてから、目の前の情けない歳相応の表情をした彼の頭に手を伸ばす。意外にも、いや、予想通り伸ばした手は払い除けられることもなく、ふわふわな黒髪に触れて、優しく撫でた。

「もう、ああいうことしないなら行きます」
「ああいうこと?」

えっ、そこ聞き返すの。
キス、といえば簡単なのに、そんな言葉に恥じらいをもつような歳でも無いはずなのに、どうにも気恥ずかしくて、「あの、保健室の!」と半ば自棄に言い放つと、ああ、と理解してくれたようだった。

「わかった」
「本当に?」
「キスすることで、君が僕を避けるならしないほうが得策だからね」
「……そっすね」
「なにその返事」
「いや何でもないです」

ひねくれているというか、鈍感というか、合理的というか、全部というか。

「とりあえずこれで仲直りですね」
「まあ、そういうことになるね」

仲直りという言葉に、分かりにくい彼にしては分かりやすく安堵した表情を浮かべていて、かわいいなとは口に出さない代わりに頭を撫でた。