喧騒の町渋谷から、そこだけまるっと隔離されてしまったかのような木陰のベンチはわたしたちの特等席だ。 いや、正直特等席と銘打つほどでもない。 こんな平日の、こんな真っ昼間に、こんな大都会のど真ん中にあるベンチを利用する人間なんてたかが知れている。たとえば売れない作家とか、ギャンブル狂いとか、まあそこらへん。 夏だ。 朝の天気予報を見て「風呂じゃん」と呟く。まさに1日中湯船に浸かっているかのような猛暑日が、もう何日もつづいている。 蜃気楼にコーティングされた渋谷の町はコントラストがやけに強い。早歩きで去っていく人々を見送りながら、溶けかけのアイスキャンディを急いで口に含んだ。 背後にある茂みでは蝉たちが絶えず鳴きつづけ、それが一層ねっとりとした暑さを強調させる。 「蝉って7日間しか生きられないらしいですよ、夢野さん」 隣で、やはりアイスキャンディを舐めながら町をながめている男に話かけた。 我ながら話の腰もへったくれもない。ひとりごとに近いようで、そんな問いかけは他人にとっちゃ災害だ。 「そうかい」 「はい。いいですよね、蝉」 「……そうかい?」 「7日間の世界ってどんなふうに見えるんだろう」 「言葉足らずなひとですねえ。あなた、詩人に向いていますよ」 わたしたちと町行く人々が交わることは一切ない。 ちょっと声をかければ振り向いてもらえる、そのくらいの距離にいるのに、何億光年も遠くにいるような感じがする。 わたしたちは誰からも見向きもされない。ようは空間が違うのだ。物理的距離ではない。 皆が重装備で右往左往するあっちの世界にどうにも気後れするわたしは、こちらの世界に避難した。おそらく隣の彼も。暑いことに変わりはない。ただ『何を選んだのか』という、それだけのこと。 「どうにも暑いな」 「そりゃそんな服着てればね。見てるこっちも暑いですよ」 「脱いでいいかい?」 「よかったじゃないですか夢野先生、とうとう新聞にお名前が載りますよ」 「アイスキャンディ、売り切らなきゃいけないんだろう? もうひとついただくよ」 「いただくよじゃないですよ。売り物なんですけど」 「いちご味」 「またいちご〜〜」 こうほいほいとアイスキャンディを出せるのはわたしが某猫型ロボットだからではなく、クールボックスを肩から下げて、アイスキャンディを売る古きよき風情あるアルバイトの最中だからだ。 阿呆かと言いたくなる。いや実際上は阿呆だし、阿呆だからわたしは今こうして、勤務中にもかかわらず日陰でだべっていられるわけなのだが。 オフィス街なので子供はいない。というかまともな子供は学校に行っている。いたところでこんなに暑けりゃ、財布からワンコイン取り出す気力もないだろう。 とにかく大都会東京。行き交う人は山のようにいれど、かなしいかな。アイスキャンディを求め歩く者は一人もいない。 「ようお前ら。こんなとこで何やってんだ? ……お! 美味そうなモン食ってんじゃねえか!」 いた。 ひょっこり現れた人相の悪そうな男は、否、悪そうというか実際いろいろな機関団体から追われることもあるそうなのだから確かな悪い男だ。 そんなことなどもろともせず、男は飄々とやって来た。 わたしと夢野さんに物々しい男の影がぬっとかかる。 「おや帝統、いいですね。ずっとそこにいてください。あ、もうちょっと左。そう」 「有栖川さんも食べます? アイスキャンディ」 「いいのか?!」 「うん。いちご味はもうないけど、ソーダーとロブスター味ならある」 「お前は?」 「わたしのはソーダー、夢野さんのがいちご」 「そんじゃあロブスターで」 「ギャンブラー発揮するなあ」 ザリガニマークのアイスキャンディを渡し横にずれてやると、有栖川さんもどさっと重たそうな音をたててベンチに座った。このひともまた大層暑そうな服を着ている。 「お前いいやつだな。名前は」 「小生の名は幻太郎だけれど」 「ちげえ。お前だ***」 「ん? わたし? ***」 「いやちがう。会話下手か? 名字じゃなくて名前だよ」 「***」 「***か、よしわかった***。俺のことは帝統と呼べよな」 「……急になんですか、有栖川さん」 「帝統と呼べ***。今日から俺とお前はともだちだ。いいな? そういうことだから幻太郎も仲良くしてやってくれ」 「はあ」 ベンチに深く座って渋谷の人混みを傍観していた夢野さんは、とうとうこちらに視線を流した。わたしと有栖川さんを交互に見やる。いつもと変わらない文学者然とした視線が、わたしと有栖川さんを3往復くらいした。 それから、食べかけのいちご味を無理矢理有栖川さんの口に詰め込む。「んぐっ?!」と唸る有栖川さんをとくに気にかけることもなく、クーラーボックスからソーダー味とロブスター味を両手に取り、一舐め、二舐め。 「あなた方といると、世界が幾分面白くなったような気がしてしまっていけませんね」 「………」 「………」 蝉の鳴く声が一段と大きくなった気がした。 わたしはとくに言うこともなかったので、再び町行く人々をこれといったあてもなく見ていた。いちご味をくわえさせられたままの有栖川さんも、まあそんなかんじ。 蝉の鳴く声が一段と大きくなった気がした。 「……まあ、嘘ですけどね」 「わっ、デレた」 ← |