ふたりの恋は、春のせせらぎのようにおだやかだった。 「我が愛、ブリュンヒルデ。その紅茶は当方が注ごう。おまえに火傷を負わせてしまっては敵わん」 「いいえ、これは私が……あらまあ、貴方。口元にクリームが」 「む?」 「こ、困ります……! そのような可愛らしいお姿で迫られては、困ります……から、ええ。紅茶は貴方にお任せしましょう。こちらを向いてシグルド。代わりに私はそのクリームを……拭いますから……」 「そうか。……ふ、悪いな」 彼らから三つ隣のティーテーブルに座り、ふたりの会話を片耳に聞いていた。 久々の休日。午後のおやつはほんのり甘い紅茶にバターの香ばしいスコーン。エミヤ特製のクロテッドクリームがまた格別だ。 シグルドが召喚されてから、ブリュンヒルデは増してたおやかな女性になった。これが愛するひとがそばにいることの心の安寧の表れなのだろうか。 殺すことこそが愛の証明なのだと、そう物騒なことを語っていた彼女は記憶に新しい。だからもっと、ふたりの恋は熱量ましましで、錆臭くて、いうなれば清姫が2人いるようなかんじなのだろうと思っていた。 それが蓋をあけてみればまったくおだやかで、波立つものなど何一つなく。それが泡沫の夢のまどろみのようで、少々面食らってしまったのだ。 「あぢっ」 紅茶をのんだ。上の空だったことが災いして、熱くて、舌を火傷してしまったかもしれない。スコーンをいただけば、口の端にクロテッドクリームがついて、「あちゃ」とそれを自分のナフキンで拭き取る。 いそいそと口元を拭いていると、ぬっと影がかかった。 「ご機嫌ようメートル! 隣いいか?」 そう尋ねながらも、答えを待たずしてナポレオンは向かいのイスに腰かけた。 独り言の絶えないテーブルに同情したのだろうか。いや、この男にかぎってそういうのはないだろう。……まあいい。 大砲に引けをとらない巨体にしては品のいい身のこなしも、皇帝であった名残か。ナポレオンは頬杖をつき、三つ先のテーブルに目をやる。 「う〜〜ん、いいねえ。おアツいねえ」 かたや一度は殺し殺された仲、かたや歴史に刻まれた大英雄。それでもふたりの姿は世間的な『恋人像』と大差ない。 あの異聞帯でのふたりもそうだった。 「ナポレオンさんは」 「そう硬くなるな相棒! ナポレオンでいい」 「……ナポレオンは、覚えてないんだよね?その、何も」 あのロストベルトでのこと。 うつくしい世界があったこと。 強くてよわい神がいたこと。弱いのにつよい人間がいたこと。 黄昏を戦ったこと。 「オレがここにいる」と、その台詞にわたしが何度も救われたこと。 それから、あなたが惚れたというクリプターのこと。 「そうさなあ。オマエさんがどんな答えを望んでいるかはちぃとわからんが、……いや、わからんでもないが」 「いやいや、ごめん。つまらないことでした。まあでも、いい世界だったんです」 「ほう? そうかい。その物言いは嫌いじゃあないね! ……だがまあ、その分お嬢さんには難儀な戦いだったろうよ。いやいい、皆まで言うな」 「でもわたし、とにかくうれしかったんですよ。あのふたりが……シグルドとブリュンヒルデが、寄り添って語り合う世界がすごくうれしかった。だから今も……」 せめて、ふたりにやさしい世界でよかった。 三つ隣のテーブルから、小鳥のさえずりのような控えめなわらい声が聞こえた。 ナポレオンは少し考えたあと、得意な顔になって言う。 「ははーん。オマエさんもしや……おいおい」 「ん?」 「スコーン、ぼろぼろこぼれてるぞ」 「へっ? うわ!」 上の空だった。見るとスカートにはスコーンの細かな食べカスが溜まっていて、そのままプリーツの部分を巾着状にたくし上げ布巾を取りに立ち上がった(道中「雑種ゥ! 嫁入り前の小娘がなんという破廉恥を晒しておるかこの莫迦者!」とやたらに叱られた)。 そのついでといっては何だが、今さらでもナポレオンの分の紅茶とスコーンを持っていく。そうすると男は出し惜しみなく喜んだ。 「いいねえ。いや、実にいい。本来オレたちにメシなんてものは必要ないが、食うと旨いものは旨い」 「……それ、ロストベルトのあなたも言ってたかも」 「だろう? ここはいいよ、メートル。立派なキッチンは生きることに前向きな力がある証だ。そして何より、旨い」 「ハハ、そうですねえ」 「くわえて惚れたお嬢さんと共にする食事ときた」 「ハハ……は?」 「頬が真っ赤だな。火傷でもしたか? おっとこいつは冗談。こいつ“は”、な。まあウブなところも可愛いじゃあないの。ますます惚れちゃうねえ」 ーーカルデアの英霊として現界した彼もまたそうであるのか否か。今後の彼の言動を注意深く観察して見極めねばならないだろう。 ← |