人類史最後の砦。 そこで戦うマスターにしては、彼女はいささか欲張りな少女だった。 ディナーひとつとっても、数種のおかずを「全部!」とプレートいっぱいに盛ってくることなど珍しくはない。 カードゲームの最中も、彼女はそれらしく悩んだ末に結局「全部!」と答えるのが関の山で、それではゲームにならんだろうに。 こと戦闘に関しても、彼女はすぐ「全部!」と言う。すべてを救うのだと、大して悩みもせずに言ってのける。代わりに我々が頭を抱えることになるのだが、最後にはやれやれと彼女の見ている世界にフォーカスする。 “選ぶ”ことを放棄しているというのか。 だとしたら由々しき事態だ。彼女はただの阿呆だということになる。 だが違う。これが彼女の本質なのだ。真実だと言い換えてもいい。 彼女は「すべてを選ぶ」という選択をする。 支離滅裂だが筋は通っていよう。 非効率だが阿呆ではない。 そしてなかなかに面白い。 シャドウ・ボーダーでの生活が始まってからも、至って当然に彼女の欲張りは健在だった。 だがまあ、この絶望的な状況下で悲観をみせない。その点に関しては評価しておこう。 彼女はいささか欲張りな少女だった。 だから彼女は、たったひとり、私が傷を負ったこと。すべてを選べなかったこと、すべてを守れなかったことに今ごろ不貞腐れているはずだ。 「ホームズ」 外から声がした。 海風のような声。もとより馴れ合うつもりはないのだと、しかし寄り添ってはいてくれるこの声音が私は嫌いじゃない。 彼女は不器用なりに誠実な人間なのだ。 「入ります、ホームズ」 返事をしないことが了承の合図だった。まだあまり大きな声は出せない。 入室した少女はベッドサイドの腰掛けに座った。 正しくはそのような気配があった。 極力身体を動かすなと、というか車内に巨人やらが侵入してこないかぎりピクリとも動くんじゃないぞと釘を刺されている。 安心してくれたまえ諸君。動こうにも動けない。 とくにこの右腕だ。確かに痛い。痛いことまでしかわからないのだが、痛い。痛いのだから、まあ、そういうことなのだろう。 しばらくのあいだ沈黙が部屋を占拠した。音といえば私の乱雑な呼吸音(呼吸もまだいつも通りにできないのだからまったく不便な状況だ)だけ。 入室してから無言のままだった彼女は、ひとことだけ呟いた。 「ホームズ」 それだけでは何もわからないだろう。 今この目は、耳は、鼻は、口は、上手く事を為さない。 もっと君のことを知りたい。無論、今の君のことを、だ。 君は今どういう顔をしている? 何を見て、何を聞き、何を感じている。 のっそりと眼球だけを彼女に向けると、なんとも渋い表情をした少女が目に入った。 ……渋い、とはさすがにナンセンスか。しかし生まれてこの方死体としか向き合ってこなかったのだ。許してほしい。 だからマスター。君はそんな顔をするべきではないんだ。 「ホームズ」 「……そう何度も呼ばずとも聞こえているさ」 「き、聞こえてる……?! 喋れるの?!」 「かろうじて、だが」 彼女はワァ! と宝石の山でも見たかのような感嘆の声をあげたが、その意気はすぐに消沈した。 ……怖い思いをさせてしまったのだろう。 しかし、ひとこと謝罪の言葉でもかけみたまえ。このマスターのことだ。怒りがまわって、ギリギリのところを繋ぎとめている私の霊基がとうとう壊されかねない。冗談だ。私にもいささか余裕がうまれてきたのらしい。 「ホームズ」 「すまない。まだよく、君の姿が見えない」 「……ホームズ、頬に触れても?」 「私の? ……かまわないがね。ミイラに興味があるのならご随意に」 「今日もブラックジョークはキレッキレだね」 「ハハ。右腕もキレッキレだよ」 「お前ねえ……」 顔をしかめながら、それでも彼女は私の頬に触れていることをやめなかった。何かを確かめるかのように、私の頬に触れつづけた。 生きているさ、そう易々と消えはしない。 彼女の温度はひどく甘い。 熟しすぎたプラムのようで、甘く、甘く、甘ったるく……うむ。男としては不自由なこの身が悔やまれる。 「……ホームズ。なんか変なこと考えてるでしょ」 「そう見えるかい」 「今日ばかりはだめ、だからね」 「おや、棚からぼた餅」 「なに言ってんです。クスリですよ、クスリ」 「ああ、そっち……」 結局マスターは、いつまで経っても手のひらを置いているだけだった。 少女のしなやかな指は、撫で回すでも引っ掻き回すでもなく、私の頬を包んだまま。 無論、身動きのとれない私は彼女の手を握り返すこともできず、気のきいたことを言いながら抱き寄せてやることも、彼女の真意を計ることすらできやしない。 「君、何かあるのなら発言を。私は推理で計り知れない事物に滅法弱いのらしい」 「はいはい」 「……なんだね、君。その表情は怒っているのか?」 「………」 「悲しみ? 哀れみ? 憤り? ……それとも、私に恋こがれてる?」 少女はむすっと唇を尖らせながら「全部です」とそっぽを向いた。 さぞ欲張りな女だろう。 ← |