君は春夜に咲くドリーマー



「桜が満開になると、一面が桜色で染まると聞きました」

 そんな夢のような風景があるなら、先輩と一緒に行ってみたいです。
 隣に座る少女の笑顔は、ろうそくに灯ったあかりのようでもあったし、線香花火が散らした火花のようでもあった。
 立香からしてみれば、彼女のその横顔のほうがずっと夢のようだと思う。

 カルデアの展望室から見える雪景色はあまりに殺風景で、一面の白はどこか攻撃的だった。
 枯れた草原、凝固した土地、死のにおい。
 たしかに。これと比べれば、故郷の春はなかなか夢のような場所に感じる。
 展望室はそのすべての壁をガラスに変えられていて、外の様子が360度一望できるようになっている。
 透明な四面の壁。だがその恩恵はまったくもって活かされていない。わざわざガラスにすることもなかったのではないかと思う。
 結局どこを向いたって、何もないのだから。

 立香とマシュは展望室内の長椅子に座って、あたたかなココアをいただく。
 執拗に甘く、と思えばわりとあっさり甘みが消えていくこの飲み物は、精神を落ち着かせる効果があるのらしい。
 サーヴァントに食事は不要だなんてこと、さすがの立香も耳タコである。だが、こういう類いの食事というやつは、死なないためのエネルギーでなく、生きるためのエネルギーを与えてくれる、と誰かが言っていた気がする。
 マシュはフゥと一息ついて、遠い目で真っ白いだけの外を見ていた。遠い目のわりには凛とした瞳をしていて、その真っ直ぐな視線になんだかちょっとだけ泣きそうになってしまう。こんなところまで来たんだ、と。

「先輩のふるさとは、とくに桜が有名だそうですね」
「うーん。あともう1ヶ月もすれば咲くかな」
「素敵です」
「マシュ。このバタバタが落ち着いたらさ、うちにおいでよ。今年の桜には間に合わないかもだけど、来年でも、再来年でも」
「わあ! 素敵です!」

 無彩色しかない景色のなかで、マシュの声音には確かに色がついていた。
 比喩ではなく、彼女はまさに目をきらりと輝かせこちらを向く。

「先輩は春、お好きですか?」

 マシュにしては珍しく感覚的な質問だ。こういうときのマシュは、事実でなく真実を求めている。
 うーんと視線を動かし、わざとらしく考え込むフリをしてみたりなどする。

「春、かあ。まあいい季節だよ。過ごしやすいし」
「はい。先輩のお国の春は、平均気温、湿度、降雨量等、記録された数字だけをとってもその快適さがうかがえます。人々は春という季節を待ち遠しく思うものなのだと思っていました。しかしそのおっしゃり方からすると、先輩はその、あまり春を待ち望んではいらっしゃらないのでしょうか」
「えっ。ど、な、そんなことはないけど…」

 少しのあいだの沈黙が、まだ熱いココアをみるみる減らしていった。舌がじんじんと唸っているが、つい飲みつづけてしまう。

「えーと、……うん、その通りです。俺は春って好きじゃない。けどマシュの言うとおり、みんなが待ち望んでいる季節だから、ね。その、『春という季節に希望を感じなければならない』っていうアウェイな雰囲気が、どことなく嫌なんですよ」
「なるほど。そういうものですか」
「そういうものなんです」

 思えば、真夜中のカルデアのにおいは、春のにおいによく似ている。とくに、風の強い春の夜。すべての別れを予期させる。
 奪うのなら、もっと強引に奪ってくれと思う、あの生ぬるいにおい。

「よのなかに、たえて桜の、なかりせば、はるの…、春のこころ、は、のどけからまし」

 いまの生活を未だ性懲りもなく非日常とするのなら、もうほとんど霞がかってしまった日常の記憶。その霞の、ほんの些細なところを突っつくと、そんなフレーズが浮かんできた。
 浮かんだものは、そのまま口から流れていく。
「先輩?」とマシュは立香を不安げにのぞき込んだ。おそらくマシュにとっては、某復活の呪文のような、意味をもたない文字の羅列になるのだろう。
 底の見えかけている立香のマグカップが、マシュのマグカップにぶつかった。なみなみと揺れるマシュのココアが茶色い波紋をつくる。

「えと、授業でやったなと思って」
「授業、ですか」
「本当に夢みたいで、きれいだからさ、俺たちはいつでも待ち焦がれてる。それなのに、別れの挨拶もできないうちに散っていく。それこそ夢のように、匂いすら残さずに。ばかばかしいと思う? でも桜はそういうものだと大昔から決まってる。だけどそういうの、俺は嫌だ」

 マシュはふむと考え込んでから「先輩にしては詩的な見解です」としみじみ答え、「でも、そういうものですかねえ」とも言った。
 そのちょっと反抗的な言い方に、立香の口元はほころぶ。
 言葉尻こそ彼女に染みついた淑女らしいものではあるが、「そう」と理解できるだけの脳ミソを持ち合わせておきながら、立香の見解を一切受け入れる気はないようだ。その姿勢は意地っ張りな子供みたいで、淑女には程遠い。

「やっぱり見てみたいです。桜」

 うん、君はきっと見るべきだ。いや、君になら見せてもいいと思う。
 立香は再びマグカップに口をつける。

「我々の司る感覚のなかでも視覚、とりわけその色覚は、他の生物に類を見ない優れた性能を誇っています。だから、……だけど、と言うべきでしょうか。桜を見たらわたしは、きっと……」
「うん。きっと」
「先輩!」
「うん?」
「教えてください。先輩の目には、桜は何色に見えていますか?」

 いつの間にか空になっていたマグカップを横に置く。考えれば考えるほど、単純な答えにたどり着いた。
 明日死ぬかもしれないような場所に。枯れた草原、凝固した土地、死のにおいで溢れかえったこの場所に。あの夢の景色に匹敵するようなものなどあるはずもないけれど。
 たったひとつ。

 触れば桜の花弁のようにさらさらとほつれ、落ち、流れていく。

「マシュの髪と、同じ」

 そうか、君は。夢なんかになるつもりはないんだね。











「ああ! 見つけたぞ!」

 聞き慣れた声と足音が聞こえてきたら、朝が近づいてきた合図だ。
 束ねられて綿菓子のようになった髪を大きく揺らし、展望室へとやって来る。真面目だけど真剣ではない。そんな男がプンスコとご立腹のデフォルト音をまとっている。

「コラ! コラコラコラ! またこんなところで夜ふかしして、君たちは! ゲンコツだ!」
「げ、ドクター」
「げってなんだ! げって!」

「こんばんは諸君」とドクターに次いでやってきたのも聞き慣れた声と足音で、彼、もとい彼女は朝も夜もないかのような明快さでつづけた。

「あ、こんばんはダヴィンチちゃん」
「ああこんばんは。うんうんいいねえ。実にいい。いい挨拶はひとも英霊も、天才をも幸せにする!」
「君は真夜中でも元気だねダヴィンチちゃん。いやごめんちょっとうるさいからその元気他の誰かに分けてやってくれ」

 枯れた草原、凝固した土地、死のにおい。
 マグカップの底にできた茶色い染みを見て、不思議と心が満たされた。
 ドクター、ダヴィンチちゃん、そしてマシュ。
 この先で幾度桜が散ろうとも、夢なんかにしてしまうにはもったいない。

「まあ心踊る夜ふかしというのは、若者の通過儀礼のようなものだからね。とがめたりはしないけれど、それはそれとして君たちには明日がある。わかるだろう?」
「うん、わかります」
「よろしい、いい返事だ。なに、このヒステリー寸前の司令官代理様を送るついでさ。君たちにおやすみのキッスでもして、私も自室へ戻ろう」
「ああもう、ツッコむのも面倒だ。ほら、二人ともおいで。ここ冷えるだろう?」
「なんならみんなで眠る?」
「お前はもうさっさと寝てくれレオナルド……」

 十分にあたたまった椅子だが未練はない。空のマグカップを持って立香は立ち上がる。
 もちろん、隣の彼女の手をとって。

「行こうマシュ」
「はい。行きます、先輩」

 マシュは冷えてしまったココアをこぼさないよう慎重に持って、立ち上がるついでに一口飲んでから立香の後につづいた。
ーーええ、行きます。先輩が、マスターが、どこへ行こうともわたしはあなたから離れたりしません。わたしは散らないし、折り入った挨拶もいりませんし、いたしません。わたしはあなたの夢なんかになりません。

 夢になんか、なりません。







 人王との戦いを終えたマシュは、きっとこう返すのだと思います。
ーー散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき