はじまりの日、その回想



ーーふたつの三日月に挟まれて、もう逃げられはしないのだと。




 三日月さんってホント綺麗な顔してますよねとお茶を注ぎながら言った。なんとなく、これといった意味もなく。
 三日月宗近は隣で大人しく茶を待っている。

「そうか?」
「うん」
「自分ではようわからん」
「そりゃ自分の顔ですもんね」
「触っても良いぞ」
「それはちょっとセクハラです三日月宗近」

 そうかそうかとうなずきながら朗らかにわらう。
 初めて彼と会ったのはいつのことだったか。すぐに思い出せないくらいなのだから、そう最近のことではないのだろう。
 ああ、たしか、桜が少しずつ咲き始めて、世間の色も心ばかり色づきはじめたあの季節。
 春。
 三日月宗近が顕現したのは、そんな麗らかな午後。
 ……じゃあ、日が沈むと二人で縁側に出て、お茶を飲むようになったのはいつの頃からだったっけ。さすがにこれは思い出せない。

「……これは」
「どうかしました?」
「主よ、よもやこれは昨日と異なる茶ではないか?」
「うわ、正解です。すごいですね三日月さん」

 じじいを侮るでないよと彼はまた朗らかにわらう。審神者もつられてわらう。ちなみに、じじいとひとくくりにできるほど三日月はただのおじいちゃんじゃない。

「どうです? お口に合います? ちょっと奮発していいの買ってきちゃったんですけど」
「ああ。まこと滑らかな舌触り。気に入ったぞ」
「良かったです。新茶はまた来年ですね」
「はて、もうそんな暦か」
「ええ、もう秋です」

 三日月はまた一口お茶をすすると、空を見上げた。
 今夜は新月で、塗りつぶされた夜空には星明かりだけが散っている。

「なあ主。そなたと俺が出会った日のこと、覚えているか?」

 瞳の中の三日月を細め、彼は問う。
 あ、わたしも同じこと考えてましたなんていう粋なことは言わないにする。基本的にこの男は唐突だ。べつにそれが嫌だというわけではないけれど。

「急にどうしました? やっぱり年を重ねると、物思いにふけちゃうときがあるんですね」
「はは。言うようになったな、そなたも」

 覚えてますともそりゃ。今じゃこんなですけど、初めて会った日といったら。

「そなたは、俺の瞳を見て『吸い込まれそうで怖い』と言ったな」
「はい、桜の木の下で」
「その昔も桜を眺める習慣はあったが、この時代の夜桜というやつはまた違った趣がある」
「ええ」
「あの夜もそれは見事な夜桜だった」
「まだほとんど蕾でしたけど」
「なのにそなたは俺の瞳を怖い、と……」
「三日月さん、それ結構引きずってますよね」

 綺麗すぎて近寄りがたい。むしろ近づいて、万が一触れたりでもしてしまったら彼の瞳に、そのすべてに吸い込まれてしまうのではないかと。それが三日月宗近の第一印象だった。非日常的な美しさを凶器のように感じたのだ。
 三日月はわらう。細くなった瞳には、今夜もあの日と変わらず三日月が。

「時に主」
「なんです?」

 審神者を見つめる瞳は、あの日から何も変わっていない。本当に、なんにも。今だって下手したら吸い込まれてしまいそう。
 審神者はさりげなく目線を夜空に向けた。

「今でも俺の瞳を恐ろしいと思うか?」
「さすがにもう怖いとは思いません」
「ほう。では、」
「好きってわけでもありませんけどね」
「……ほう」
「拗ねないでくださいよ。でも……そうですね。まあ、最悪吸い込まれちゃってもいいかな、くらいには思ってます」

 瞳に三日月を宿す男は、よきかなと満足そうにわらうのだった。