緑、緑、萌ゆる



 若葉萌える初夏、5月。

 梅雨入り前にしては気温の高い本日は、春風に太陽の匂いが入り混ざって空気が美味しい。
 教室に入って、立香はわざわざ奥の方まで進み、窓際の席に座った。差し込む日差しが鬱陶しいと、大抵の者が避ける席だ。
 学校はいい。周りの子たちの気配とか先生の声とか、そういうのがすごくいい。
 特別なことなんて何もない、ただ続いていくだけの日常。ドラマチックな展開こそないけれど、クライマックスがないことだけは保証されている光景。
 とてもいいじゃないか。すっかり抜け落ちていた感覚──日常を思い出させてくれる。

 目を閉じて風を感じる。
 空の匂い、芳ばしいそよ風、柔らかな日射し。遠くから聞こえる話し声。廊下を歩く足音。さわさわと揺れるケヤキの木。飛んでいく鳥たち。
 いつもはノイズでしかないものたちが、心地よく感じる時間がある。
 風に吹かれ、生き物のようになびくカーテンに時折隠されながら、立香は想いを馳せていた。





 萌える若葉。
 立香のいる教室に日陰をもたらす目的で植えられたケヤキの木。
 その茂みのなかには、新緑に擬態した人影がふたつ。

「アンタほどの英霊が、たかが小娘一人に固執していていいもんですかねえ」
「そういう君も、執着されるのは人一倍嫌いそうに見えるけど」

 ふたつの影は、互いにはちっとも目もくれずに言った。もっぱら彼らの視線はカルデアの元マスター、藤丸立香を追っている。
 まったく縁もゆかりもない両サーヴァントは、「二人とも緑っぽいし」という到底魔術師とは思えない理由でともに編成を組まされることが多々あった。そういう次第でロビンとエルキドゥは腐れ縁のような関係にある。お互い、大して興味のある相手でもないのだが、こうなっては引くことのできない体質なのだ。

『オイオイ、なんですかいそれは。ママゴトじゃあないんですよマスター』
『君の采配には従うべきだと理解はしているよ。ああ、しているとも。でも君っていうひとは……なんだか。人間にしてはちょっと……合理性に欠けているというか……』

 と、何度もクレームを入れてきたのだが、「そう? でもわたし、緑って好き」とそれこそ合理性のごの字もないようなマスターのひとことで大人しくなってしまうこのご両人もまた合理性が身についていない。

「いいか? 俺は頼まれてるんですよ、司令官代理様にね。彼女を見張ってろって。対してアンタは暇潰し。よもやストーカー」
「あ、こっち向いた。あの子気づくかな。おーい」

 そもそもロビンは、神々の遺物などという大層なものに関わりたくはない。
 厄介案件は御免だ。
 こんな大昔のもの、どこに地雷があってもおかしくはない。
 だから一線は引いているつもりなのだが、気遣いの男ロビンフッドは、それでも他人を無下にはできないのだ。
 でも気遣うのって意外と疲れるし、あたり前に面倒くさい。だろ? だからやっぱり関わって欲しくないし関わりたくもないわけですよ。
 対してエルキドゥはそんなロビンに気づいてはいるものの、気にはしていない様子。

「だいたい、アンタみたいな規格外サーヴァントにこうもホイホイ出てこられちゃ、おやつ感覚で世界が消滅でも焼却でもしちまいそうでね。こちとらおちおち昼寝もできねえって話です」
「あらら、いなくなってしまった。……見失ったか。困ったな、この大地は凝固した砂利ばかりで些か相性が悪いのに」
「ああもう。ホ〜ントとちょこまか動きますねえあの娘っ子。こっちの身にもなってくださいっつーのっと。ほら、アンタも!」

 ロビンは素早く木のてっぺんまで登り、あたりを見渡す。一方エルキドゥは木の幹に手をあてて、立香の気配感知に努めた。

「何やってんのー、緑ふたりー!」

 下から声がした。葉がうっそうと茂っていて目視はできないが、おそらくこの声は。
 加えて「緑」とこの二人をいっしょくたにする者は、どれだけ人理を遡ってもひとりしかいない。

「おや?」
「おっと」
「コラー! 下りてこーい!」

 声にしたがって二人は下に飛び下りた。ロビンは鳥のように、エルキドゥは風のように。
 案の定、声の主は彼の日のマスター。

「声がすると思ったら、やっぱり君たちだ」
「こんにちは、立香」
「ん、こんにちはエルキドゥ」
「ああそうだ。君にこのポピーをあげるよ。どうぞ」
「わあ可愛い」
「ちょっと待った。オタクねえ。そんな怪しげなモン、やたらと貰ってくれないでくださいよ」
「怪しいの?」
「逆に怪しくないとでも? アンタは昔っから他人の善意に見境ないんですから気をつけろってあれほど……オタクも。その花どっから出したんです? え? その衣、四次元ナントカ機能でも搭載されてましたっけ?」
「気に入ったかい? この木の根本にポピーがたくさん咲いているんだ」
「わあ可愛い」
「確認ですけどお二方、俺の話聞いてます?」
「ああ……懐かしいな。君が人間の世話を焼くところを久々に見た気がする。記録しておこう」
「……随分とお口が達者なようで、本日は。よほど立香と会えたのが嬉しかったと見える」
「ははは、やだなあ。君もここへ来る前より8倍ほど言葉数が多くなってるよ」



 若葉萌える初夏、5月。
 ふわりとしたコーラルピンクの花弁を指で突つきながら、朝露のごとく日常に思いを馳せる。
ーーでもたぶん、わたしにはこっちのほうが性に合ってる。
 悔しいけど。懲りない自分に呆れながら「相変わらず仲がいいねえ、ふたりは」なんて上の空でこぼせば「それは……心外だな」「そりゃ心外ですね!」と同時に淘汰される。


 若葉萌ゆる、萌ゆる。