03

「し、仕方ないでしょう、まさか盗まれるとは思ってなかったし……」
「そういうのを油断っていうんだ、なぁ遊星?」
「……だな」
「ちょっと、遊星まで私の敵なの!?」


 喚く美咲を傍らに、遊星は工具を取り出す。それを見た美咲は一変、表情を曇らせて遊星の顔を覗きこんだ。
 まっすぐとした藍の視線はクレッセント・ナイトの傷へ向けられている。向けられているわけでもない視線はおぞましいほどに冷たく、美咲は自分の服の裾を握った。

 沈黙。彼は元々口数の多い方ではなかったが、二年前からそれは激減した。
 理由はひとつ。目的を果たすまでは、余計なことを考えない、という遊星の理念。
 もちろん美咲はそれを知っているのでとやかくは言わないが、美咲はそれ以外も――遊星自身すら気づいていないことに気づいていた。

 彼は、人と仲良くなるのが怖いのだ。二人も親しい友を失った彼は、自分の中で他人の存在が大きくなることを恐れている。
 親しい友を失う時に感じる絶望は、恐ろしく冷たい。気が狂う。事実美咲は狂った=B
 それへの恐怖が遊星から言葉を奪う。既に親しい仲となった美咲にすら壁を作っている。

 苦しかった。線を、壁を提示されるこの沈黙が。このままだと本当に遊星が遠くへ行ってしまいそうに感じ、堪らず口を開く。


「……どう?」
「……これくらいなら、なんとかなる。少し時間をくれ」
「ありがとう……っ!」


 遊星をぎゅうと抱き締めた。昔からのスキンシップの一環のようで、遊星は気にも止めないように傷の点検を始める。
 おそらく遊星は、その手が震えていることには気付かないだろう。これが確認だということも知らないはずだ。遊星は今ここ≠ノいる、という確認だということも――。

 震えた手を撫でるように風がそよいだ。同時にひとつ明るい声が落ちる。


「おかえり美咲姉!」
「あ……ただいま、ラリー」


 遊星を抱き締めてる美咲に更に重みがかかる。ぐ、と変な声が遊星から漏れたが特に気にしない。
 声のする方向を見れば、そこにいたのはあの時に美咲が助けた少年、ラリーがいた。美咲がラリーの頭を撫でてみればラリーは満足そうに唇を緩める。もう手の震えは無かった。
 そろそろ遊星の体制が厳しいものになりつつあったのでラリーを抱えて姿勢を変える。向こうの方で燿太がため息をついていた。



「美咲姉、後でデュエルしようよ!」
「んー、……遊星これからテストライディングよね? 遊星のそれが終わってからでいいかな?」
「勿論だよ!」
「いい子」


 微笑みかければラリーは得意げに笑う。眩しいな、と素直に思った。いつからこんな風に笑っていなかったのか、とも思ったが、それがとある事件≠ノ直結していたので考えるのをやめる。
 彼≠ェここにいればまだ自分はあのように笑っていたのだろうか、なんて考えが頭を掠めたが自分の心のため――そして隣にいる遊星のためにそれを顔には出さない。
 それに気づいたのか否か、渋い顔をした燿太は誰にも聞こえない舌打ちをして踵を返した。


「じゃ、俺は帰るわ」
「え、もう帰っちゃうの? 耀太兄さん」
「ああ。特に用があったわけじゃねえしな」


 実際には帰る≠フではなくデッキに戻る=Aなのだがそれをラリー達が知る由もない。
 帰らないでよー、とぐずるラリーの頭を少し乱暴に撫でたかと思えば、ほんの少しだけ口元に笑みを浮かべ、手をひらひらと振る。
 去っていく耀太の姿を見送った美咲はちらと自身のデッキホルダーを見つめ、目を細めた。淡い光がデッキを包んだ気がする。
 タイミングを見計らったように、遊星。


「出来たぞ」
「はやっ。流石サテライト屈指のメカニック」

「やめてくれ」


 褒められるのは、なれてない。
 少しぶっきらぼうにそう呟いて、遊星はそっぽを向いた。その横顔は少し赤く染まっている。
 クレッセント・ナイトを見てみれば傷痕は綺麗になくなっていた。本当に傷があったのかも分からない。


「……」


 宝の持ち腐れ、という言葉が美咲の喉に引っ掛かった。遊星の腕があれば、間違いなくシティで技術者としての道を歩めただろうに――と。
 無論遊星も好き好んでサテライトに住んでいるわけではない。自分の育った環境がサテライトだっただけ。ただそれだけで、遊星の道が閉ざされてしまっているのが残酷にすら思えてしまう。

 シティの話はあまりしたくなかった。
 置いてきてしまった親友のことも、自分を裏切ったらしい人のことも、あまり思い出したくない。重圧に負けそうだったから。
 失った友はそこにキング≠ニして君臨している。昔はその地位を目指したものだが、今はどうか分からない。ただ、その地位に君臨する友を目指してはいる。


「ねえ、遊星」


 ぽつりと溢れた言葉に、遊星はこちらを向く。ラリーはどうやら気づいていないようで、自分のデッキを嬉々として見ているようだ。
 どうしようもない不安が、遊星に『余計なこと』を強要することになる言葉を唇の端からぼろぼろと押し出していく。浅くなってきた息を整えるために深呼吸した。


「遊星は、私の側から、」


 口から押し留めた質問は、彼が消えてしまうことへの恐怖。
 非道い話だと心底思う。自分は親友を置いてシティから消えたというのに、どうして自分だけはこう失いたくないと願ってしまうのだろうか、と。
 理由は分からない。分からないが願わずにはいられなかった。自己中心的な考えが嫌で、声は殺す。
 しかしそれでも遊星は言葉の意図を汲み取ったようで、遊星にしては珍しく小さく笑ったかと思えば――

 美咲の額に唇をおしつけた。
 恋愛感情、ではない。もしそれが遊星の心の中にあったとしても、それに突き動かされた行動ではない。
 三年前、何が――否、どれ≠ェ原因かは忘れてしまったが発作的に起こった美咲の破壊行動。それを抑えた燿太がした行動だった。
 自分という存在がそこにいると、美咲に示す。手を握り体を抱え、自分という存在を美咲に教える。独りを嫌う美咲を理屈ではなく心で安心させるための、気休め的な行動。
 それでも、その行動は効果を成す。落ち着かなかった呼吸を整えて、遊星を見上げる。


「約束したはずだ」


 いつの約束だったか、そんなことすら思い出せなくなってしまっていた。それでも、確かに二人は約束を交わした。
 いなくなってしまった二人の友人の姿が美咲の脳裏を過った時、遊星は美咲を抱き締める。壊れ物を扱うような、そんな手つきだ。


「美咲を一人にはしない」


 頭上から降ってくる遊星の言葉に、美咲は安心したように瞳を閉じた。
 麻薬のように染みていく声。迷惑をかけてはならないと思っていても、美咲は溺れていく。



(馬鹿げてる? 褒め言葉だ)(誰にも分からないし分からせない)

僕らが生きた世界。