04
「ふんふんふふーん……」
何処かで聞いたようなクラシックを口ずさみながら美咲は自身の同居人遊星に与えられたスペースの一角でデッキを広げていた。
天界<Vリーズで統一されたそれは何処か神々しく、思わず恍惚のため息。と同時に、口の端が意図せずにつりあがり、それを抑えるために平静を装おうとするが、効果はない。
「ふふー……」
『美咲、ちょっと気持ち悪い』
「いきなり悪口!?」
隣の居住スペースにいる同居人たちに聞こえないように声を潜めながら、美咲は現れた青い人型精霊――青嵐の言葉に突っ込みを入れる。燿太と同じく、三年少し前からひとつも変わっていない見た目はやはり整っている。
青嵐の言い分は多分、間違ってない。いくら美咲が生粋の決闘者で、決闘やデッキが大好きで、カードに宿る精霊が見えるとはいえ、端から見ればカードを眺めながらニヤニヤしているだけの奇人なのだから。
ついでに言うと、同居人たちは多分精霊の存在を知らない。尚更である。
『まぁ、そこまで好きでいてくれるのは嬉しいけどさ』
「え、何、急に。青嵐デレ期?」
『馬鹿言うなって、俺は美咲に対してはいつだってデレ期だぜ?』
あぁそういやそうだった。ほんの少しだけツンデレの気質があるのは耀太の方だった。
そんな耀太からしてみれば失礼なことを呟いてデッキのカードを一枚取り出す。
白い縁のカード、シンクロモンスター。
そこに描かれる青い龍、刻まれる《アキュートストーム・ドラゴン》の名前。
この世に二枚とない、美咲の主力である天界三龍≠フうちの一枚。
もっとも――天空三龍の、闇の龍は今や美咲の元には存在しないのだが。
「……ほんと、信じられないわー」
『え、なにが?』
「んや……龍の姿の青嵐はカッコいいのになぁ、と。いやまぁ今もかっこいいんだけどね?」
『……こんにゃろう』
長い金色の髪を揺らして、デッキを一旦仕舞う。
エクストラデッキに入れなければならない《アキュートストーム》は、そのデッキの一番上に置いた。青い龍の絵が煌めく。
「……大丈夫。きっと今日も平和に、過ごせるから」
ぎゅっとデッキを握りしめて、小さく呟いた。
――それは、美咲の儀式。
三年前の雨の日に、起こった悲劇を引き金にした儀式。二年前の旧友が去った日にも欠かさなかった、儀式。
もう二度と、悲しまぬようにと――ただそれだけを願いながら。
青嵐はそれを見つめて、複雑な顔をする。
守れなかった、過去を思い返して。
美咲を――壊してしまった、その過去を。
【なぁ美咲。地獄から蘇った俺を見てお前はどう思う? 怖いか、それとも醜いか? 恐ろ、俺を。そして――その心に刻み込め】
【――貴様らを裏切る俺を、許すな。シティで君臨する俺を、許すな。美咲、お前は俺を恨んで……そうして、俺に会いにこい】
彼らの言葉が青嵐の脳裏に蘇る。場所も時期も状況もまったく違うというのに、その二つの言葉は同じように美咲を壊す。
彼女がそれを覚えているかどうかは分からないが、覚えているだろうと確信していた。というよりは――覚えていないはずがない=Aと。
忘れようとしても、忘れられるはずがない。それほどまでに、その二つの言葉は――その二人の存在は、美咲を蝕んでいるのだから。
「……ふふ、なんだかしんみりしちゃったね」
『……え、あ? いや、うん?』
ごめんね、と言わないのはおそらく、美咲の気遣いだ。
彼女がああやって平和を願うときは、青嵐は間違いなくあの日≠思い出すから。美咲が壊れていくに至った、事件の日を。
守れなかったのは自分のせいだ――。
そんな自責の念に刈られぬように、と。それが美咲の気遣いで、また、青嵐もそれを受け入れていた。
本当は誰のせいでもない。強いて言うなら運命のせいなのだと、青嵐は知っている。知っているが、それでも責めずにはいられなかったのだ。だから美咲はこうして、青嵐にも気遣いを示している。
「……」
『……』
二人の間に軽い沈黙が訪れる。
デッキに帰ればいいのだが、そういう気分にもなれない。今美咲から目を話すのが何と無く憚られた。
今美咲を一人にすれば、彼女はどうなってしまうのだろう――そんな漠然とした不安が、青嵐の心を乱す。
しかし美咲はそんな青嵐の胸中知らず、落ちるまぶたと必死に戦っていた。特にすることもないので睡魔が襲ってきているのだろうか。
さて、この状況をどうするものか、と青嵐が悩み始めたときだった。
「……あ」
目を完全に開けて、自分がいたベッドから立ち上がる。
スペースを区切るためだけに張ってあるカーテンを開けて顔をのぞかせると、そこにあったのは赤いD-ホイールと人影。
赤いDホイールの持ち主がぶおん、とエンジンを蒸かせば、同居人たちも彼に気づいたようで、勢いよく振り返った。
「あ……帰ってたのか、遊星」
「遊星おかえりー」
声をかけられたDホイールの持ち主――遊星は、同居人三人とラリーを一瞥した後、少しだけ表情を曇らせる。
どうしたの、と不思議に思った美咲が遊星の視線をなぞれば、そこにあったのは一台のパソコン。
画面の中ではデュエルが繰り広げられていたらしいが、それも終結したようだ。
一人の男が画面の真ん中に堂々と立ち、インタビューかどうかも分からないやりとりをしていた。
「ち、違うんだ遊星、美咲姉!」
「……え? あー。大丈夫だよ、私は。……ジャックのこと、別にどうこう思ってないし」
龍≠ヘ返してほしいけどね! なんてわざと明るく振る舞えば、ラリーや同居人であるナーヴ、タカ、ブリッツは罰が悪そうに顔をしかめた。
後ろで青嵐の口から小さなため息が漏れていることを知るのは美咲だけ。
画面に映るその人を、人々はキングと呼んだ。
名は、ジャック・アトラス。
エンターテイメントのデュエルを常として、認めた相手以外には最初から全力を出すことはしない。
圧倒的パワーでデュエルを蹂躙する彼は、現在キング・オブ・デュエリストとしてシティに君臨していた。
しかし、彼の出身地はここ、サテライト。シティの中でその事実を知っているものは、おそらく1%にも満たない。
何故ならサテライト出身というだけで差別を受けるシティで、彼は出身をシティの長官の元でひた隠しにしているからである。
そしてジャックは幼少期から独立までを遊星が暮らしていたマーサハウスで、また、独立してからもなお、遊星や美咲と共に暮らしていたのだ。
しかしそれでも――ジャックは遊星や美咲の元を去った。
それも、彼ら二人にしては裏切り≠ノ等しい形で。
何故ならば、ジャックはデュエリストには魂と同等であるカードを二枚奪っていったから。一枚は遊星の、もう一枚は美咲のエースカード。
そこまでして、ジャックはシティに君臨している。
彼がなぜその道を選んだのかは、誰も知らない。が――分かるところも、多少あった。
狭いのだ、このサテライトは。
彼が王者として君臨するには――狭すぎたのだ。
シティとサテライト。その二つの街を知っている――正確にはサテライトもシティの一部であるが――美咲に、彼をどうこう言うつもりはない。