02

 全てを理解した頃には終わっていた。
 身体に振動を感じて、美咲は重い瞼を開く。見慣れない景色に、座り慣れない椅子。頭を動かして隣を見れば、そこにいたのは見慣れた赤い髪の義兄だった。
 美咲のその様子に気が付いたのだろう。耀太の視線がこちらを向く。太陽のような黄金の瞳は、美咲の不安を少しだけ取り除いた。


「……おはよう、耀太」
「オハヨーサン。ここがどこだかわかるか?」


 言われて、あたりを見渡した。すぐそばにある窓は、近くに空を映している。決して広いとは言えない空間に、耀太と並んで座っているようだ。
 真正面を向けば、父の部下で何度かあったことのある男が前を向いて座っている。その先にはやはり窓があって、横の窓と同じように空を投影していた。
 そして、自分が意識を失う前の事を思い出す。確か自分は、誰かに追われていた。親友と呼ぶべき少年と、それを従わせていた人間たちに。それから、自分の家に部屋に逃げ込んで、耀太と会話して──サテライトに行くことを、提案されたのだ。
 美咲はそれを了承した。未知の世界へ行くという恐怖はあるが、そうするしかなかったから。
 そこで美咲の意識は途絶えて、今に至る、ということは。


「……ヘリコプターの中?」
「正解。相変わらず理解が早ェ奴だな、お前は」


 呆れ半分、と言うような様子で応える耀太を見て、なんとなく気が重くなってしまった。彼に悪気があるわけでもないし、その行動自体が悪いものでもない。ただ、本当にサテライトに向かってしまっている、という実感が沸いてしまって、気分が沈んでしまっただけだ。
 それを悟られないように、とすぐに話題を振ってみる。そんなことをしたって、この義兄にはばれてしまうのだろうけれど。


「私の用意は誰が? 服は青嵐がやってくれたって言ってたけど……」
「美翔。気にくわねえが」
「耀太って、本当に美翔のこと嫌いだよね……」


 やだやだ、と大げさなリアクションをしながら耀太はあっけらかんと応える。恐らく、美咲の不安をこれ以上煽らないように、と必要以上に明るく接してくれているのだろう。ぶっきらぼうな性格をしているが、そういうところは気が回る人だ。
 ……本当に彼が人であれば、どれほど頼りになっただろう。そんなことが頭を掠めて、思わず歯噛みした。

 耀太は人間ではない。
 カードに宿るデュエルモンスターズの精霊、と呼ばれる人ならざるもの。それが耀太だった。
 本来の彼は素質ある者にしか目に映すことが出来ず実体すら持たない、いわば幽霊のような存在である。しかしどういったわけか耀太は実体を得て、美咲の義兄と偽ってこの世にとどまっている。
 それはきっと、あまり歓迎されるべきことではないのだろう。幽霊ではないにしても、彼はこの世の理を捻じ曲げてここにあるのだから。
 それでも美咲は彼を咎めることが出来ない。彼という存在に助けられてきたのは紛れもない事実で、きっと耀太がいなければ自分はとうの昔に潰れていた。それに──彼がここにいるのは、ほかならぬ自分のせいだ、ということを理解しているから。

 ふう、とほんの少しだけ息を吐き出して気が付いた。機内に緩やかな風が吹いている。窓を開けているわけでも、扉を開けているわけでもないのに吹くこの風は、人工的なものでもなかった。
 何が起きているのかと考える間もなく美咲にはそれが理解できてしまった。故に美咲は口を開く。


「青嵐?」
『青嵐お兄ちゃんでぇすよ。美翔が苦手なのはわかるけど、もう少し仲良くしてもいいんじゃないのか、と俺は思う』


 ふわりとさわやかな風が吹いた。それと同時に美咲と耀太の脳内に声が響く。前にいるヘリコプターの操縦士には聞こえていない。
 名を呼べば声の主は応える。ついでと言わんばかりに耀太に投げかけられた言葉に、耀太は眉間の皺を深めた。

 声の主、青嵐も耀太と同じような存在だ。今は実体を伴っていないが、その気になればいつだって実体を持って自分たちの目の前に現れる。今はヘリコプターの機内で、狭いからという理由のみでここに現れはしないのだろう。


「ないな。アレを主とは認めねェ」
「耀太……」
『気持ちはわかるけどなあ……』


 そんなに美翔が嫌いなの、と目線で訴えれば耀太が表情に浮かべたのはバツが悪そうな顔だった。そんな顔するなら声に出さなければいいのに、と青嵐が茶化した気がしたが知らないフリをする。
 『彼』は美咲にとって一部だ。それを否定されるのは少し物悲しい。しかし、耀太が『彼』を嫌う理由はなんとなくわかる。故に、声をあげることはできなかった。
 そういうことも、耀太はわかっているのだろう。だからか、はあ、と大きくため息を漏らしていた。


「……あー。なあ、あとどれくらいで着く」
「まもなく」
「だとよ。用意しとけ」
「あっ、う、はい」


 用意、と言われても何をすればいいのだろう。困惑したような顔をすれば、青嵐から『心構えとか?』とアドヴァイスが来た。
 心構え。具体的にはわからないが、確かにしておいた方がいいのだろうと思う。なにせ今から自分たちが降り立つ先は、美咲にとっては全く知らぬ土地なのだから。


「……どうやって、暮らせばいいんだろうね」
「ある程度の資金は養父アイツが持たせてくれてる。定期的に資金援助はしてくれるらしい」
『わあー、至れり尽くせり』
「それでも……」


 それでも、今までとは勝手が違う。
 今までは絶対的な保護者の元、衣食住が約束された生活をしていた。それが突然、衣食住の不安定な土地に飛ばされることになるのだ。不安にならないほうがおかしい。
 資金援助はしてくれるといっても、それが間に合わなくなったらどうすればいいのだろうか。無駄遣いをするつもりはないが、それでも不測の事態というものは往々にしてやってくるものなのだということを、美咲は嫌という程理解していた。


「……まァ、何かありゃ俺と青嵐とで守ってやるよ」
『ちょっと、僕のこと忘れてない』


 もう一つ、新しく声が聞こえてくる。それと同時にヘリコプターは着陸準備にはいってしまって、結局その声に応えることはできなかった。
 胸の奥が苦しい。何か始まりそうな、そんな予感に苛まれて、美咲はぎゅっと拳を握った。

僕らが生きた世界。