17

 記憶が二人の脳裏を駆け巡る。
 遊星は兎も角として美咲にとっては決して長くはなかった。しかし、大切な大切な、ジャックと共に暮らした頃の様々な記憶。
 楽しかった記憶と、辛かった記憶と、嬉しかった記憶と、悲しかった記憶と。それぞれの記憶が二人を──否。ジャックを含めた三人を徐々に蝕んでいく。


「……ジャック」


 美咲のアクアマリンが揺らぐ。何年も背中を追い続けてきた──王は彼はそこに。
 実のところ美咲は、追いつこうと思えばいつでもジャックに追いつけた。義父に連絡を入れてヘリコプターで迎えに来てもらえば、いくらでも。それでも美咲は、遊星のそばにいることを選んだのだ。

 美咲よりもずっと彼を追い求めていた遊星は、見上げたその先に立つ旧友の名前を呼ぶ。その声に、感情という感情のすべてを押し殺して。
 叫びたい衝動に駆られるも、それを理性の全てを使って押さえ込み、静かに、静かに。


「ジャック」
「久しぶりだな」


 絶対王者はそこに、そしてこのシティ君臨する。圧倒的な力を持って、王者というプライドとともに。
 月を愛おしそうに眺めるその瞳は、何処か恋い焦がれた人を見る目のようでもあった。


「あの月をみていると、お前たちがくるような気がしてな」
「……」


 答えない。否、答えられない。
 二人とも、語りたい言葉がありすぎるのだ。二年もの間彼らは、ジャックへの言葉を溜め込んでいたのだから。
 それはさながら決壊寸前のダム。そしてそれは、ジャックに出会うことで完全に破壊された。押し寄せる言葉に、二人はかけるべき言葉を見失った。


「いいD-ホイールを作ったな」


 静寂の中、淡々と語るのはジャック。おそらくそれは遊星が作ったD-ホイールである遊星号に向けられているのだ。尚更、美咲は何も言えなくなってしまった。
 半ば独り言のようだったジャックの言葉に、遊星はゆっくりと口を開く。


「前に作ったものは、お前が持っていってしまったからな」


 遊星の声が、震えた。怖かったのだ。実際に会ってみると、別世界の人間に思えてしまって。遊星ですら、そう思ってしまった。
 そしてそれは、美咲も。分かっていたし理解もしていたはずなのに、そこにいたジャックは何か別の存在に感じた。自分たちと一緒に過ごしていたあのジャック・アトラスは、どこに行ったのだろう。


「……ジャック、……カードは?」


 ちがう、そんな事を聞きたかったわけではない。美咲は自ら発した言葉に苦い顔をする。
 ジャックが美咲を一瞥する。紫の視線を受けて身構える美咲だったが、ジャックは至極冷静に応えた。


「《スターダスト・ドラゴン》と《ブラッディルナ・ドラゴン》か?」


 降ってきた低い声に、美咲は無言で頷いた。
 しばし無言。代わりに聞こえたのは足音。遊星のものでも美咲のものでもない、重々しいものだ。

 美咲の隣に赤い色がふわりと靡く。美咲はその姿をすぐ認めたようだが、それにまだ慣れていない様子の遊星は姿を目線で追い、ゆっくりと口を開いた。


「……燿太兄さん?」


 昼間とは全くと言っていいほど違う雰囲気を纏って、燿太がそこに立った。月に照らされる彼はほんの少しだけ透けて見えた気がする。それが本当かどうか、遊星に知る術はない。

 燿太は真っ直ぐジャックの姿を見据え、やがて一枚のカードを取り出した。そこに描かれるのは、一体の赤い龍。白い縁の中に燦然と描かれた、《幻想太陽龍》の姿。


「……よぉ、久しぶりだなジャック。俺が誰だか──まさか忘れたわけじゃあねえだろう?」


 燿太は静かに、そのカードを自身の胸元に掲げる。《幻想太陽龍》は、燿太の本当の姿。それをまるで旧友に──ジャックに、これは自分だと知らしめるように。
 しかしジャックは微動だにしない。まるで、今更何を言っているのか、と言いたげな視線を向けるだけだ。


「……あったことあるみてぇだな、その反応は。俺たちの、《弟》に」
「《弟》……?」


 反応する遊星を一瞥。そしてゆっくり人差し指をジャックへと向け、口を開いた。が、言葉が発されることはなかった。
 ふわりと風が薫る。闇に同化する事を忘れたかの様な、鮮やかな青色が揺れた。それはもう一人の「兄さん」のもの。


「……青嵐、兄さん」
「よー、遊星。悪いけど雑談はまた、な。今はちゃんと、弟のこと返してほしいからさぁ」


 語尾を伸ばして答えているものの、そこに隙なんてものは存在していない。ただ、今度こそ不思議に思ったのは遊星だけではなかったらしく、ジャックが口火をきることで静かな空気は一変した。


「……弟?」
「んあー? なんだ、聞いてねーのか?」
「あいつはそんなまめな性格してねェだろ。真夜(マヤ)、つったら分かるか」
「……ああ、あいつか」


 その三人の会話に遊星は思わず疑問符。聞いたことのない固有名詞に眉間にシワを寄せて、しかし話に水をささまいと黙っていた。
 遊星が美咲を盗み見る。そこに立つ美咲は、伏目がちに自分の手元を見つめていた。
 ジャックは不快そうな顔を見せ、耀太と青嵐を交互に見る。そして言葉を、ゆっくり、ぽつりと落とした。


「《ブラッディルナ・ドラゴン》は返す気にはなれん」
「……んだと?」
「これを持っている間は、……否、これを持っている間しか美咲は俺を見てくれはしない。
 《あいつ》が死んだあの日から、美咲はオレを見ようとはしなかった。
 どんな非難の眼でもいい、どんな非情の眼でもいい、……どんな憎悪の眼でもいい!
 それで美咲が俺をみると言うのなら、俺はこいつで美咲を縛ろう。
どれだけ無様な王者になったとしても! 俺は!! こうしなければならない!!」


 ジャックの手に、月に照らされたカードが輝く。美咲がずっと彼に《預けて》いた、美咲のもう一体の龍。
 ぎっと唇を噛んだ美咲に変わって叫んだのは今まで黙っていた遊星だった。


「ジャック! お前は、まだ美咲が《それ》に縛られているというのか!?」
「ああ、そうだ! 遊星、お前も気づいているだろう!?
 現実から目を背けるな! そいつの心にはまだあいつがいる、そいつの目にはまだ、俺たちを介して《あいつ》が映っている!!」


 ジャックの言葉に、遊星は竦む。確かに、薄々気づいてはいたのだ。
 美咲は、自分たちの姿の向こう側に《彼》を見ている。自分たちがリーダーと慕ったあの男を。自分たちの生き方を導いたあの男を。──自分たちと道を違え、命を落とした、あの男を。
 ジャックの言葉に熱がこもる。ヒートアップしていくそれを止めたのは──。


「お前は思わないのか! そいつに、美咲に自分自身を見てほしいとは──」
「……うっせーなぁ、ジャック」
「!?」


 ジャックの言葉を止めるように、美咲が口を開いた。しかしその口調はいつものものではなく、声のトーンが数段階下がっている。開かれた瞳は炎を灯すかの様な真紅だった。
 鋭い目線は、確かにジャックを射抜く。刺さるのは、視線だけではない気がした。


「久々に会ったら会ったで……、いちいち《あいつ》のこと思い出させてんじゃねーよ。発狂寸前だったから、思わず変≠っちまったじゃねーか」


 けらけら笑って、美咲は──否、美咲の姿をした《少年》はその場でおどけてみせる。
 なんだ、なにがおこった。そう言いたげな顔をする遊星とジャックに、態とらしく《少年》が指を鳴らした。


「あ、そいやー、お前ら二人には自己紹介してなかったっけ? 何回かなった≠アとはあったと思うけどー、つか《あいつ》とクロウの前では完全同調した気もするけど、ああ、そっか。長く付き合いすぎて忘れてた」

「なった=H」


 確かに、美咲の雰囲気が変わることは多々あったが、それはすべてデュエル中だった。しかしそれらはすべて荒々しい──というよりは、退廃的な雰囲気を纏っているし、そもそもそれはデュエル中だけの話かと思っていたのだが──。


「じゃっ、改めてじこしょーかい!
 俺の名前は宝生 美翔。美咲の中にいる……んと、悪魔? 人格? そーゆー存在ですどーぞよろしく。
 普段は基本出てこねーようにはしてんだけど、美咲が発狂しそうになってたり……まぁ俺がデュエル中にブチ切れたりしたら出ちまうんだよー。で! 今はジャックが余計なこと言っちゃったから出てきちまったてへぺろー」
「てへぺろじゃねえ、引っ込め」
「うっわーひっどー、燿太くんひっどー。久しぶりに会話しにきたあるじの第二人格にその言いようはねーだろ」
「お前が出てたら俺らに支障が出るんだよボケ!」


 ガツンと《少年》美翔──カラダや見た目は美咲のものである──の頭をぶん殴る燿太。
 ひぎっ、と小さく声を出して頭をさすって、美翔は頬を膨らます。その様子だけを見ると、普段の美咲とはあまり変わらないようにも思えた。


「いやー、元はと言えばジャックが悪いんでねーの? だって真夜もってったのジャックだし……なー遊星?」
「……えっ」
「いやいや、ビビんなよ! 俺だって美咲の一部なんだぜ? 美咲愛してるんなら俺だって愛してくれよー」
「あい……っ!?」
「あー美翔! 美翔くん! これ以上困らせんなよな、多分これ以上は美咲が罪悪感感じるから!」
「ぶー」


 その場の雰囲気に合わないほど戯けて見せた美翔に、遊星は困惑した。
 デュエル中にブチ切れたら出てくる? なら、美咲のデュエル中に度々現れるあの悍ましい雰囲気を纏っていたのは、彼だというのだろうか。今の彼の言動からは、到底思えなかった。

 ──しかし、そんな空気の中、美翔は目線を鋭くし、笑った。
 美咲がデュエル中によく見せた、あの、感情の篭らない目と、笑顔で。


「じゃあ……そろそろ、《ブラッディルナ・ドラゴン》、返してもらいましょーか」


 右手をドローの手にしてジャックの方向へ。それが淡く光って見えるのは幻覚か否か、知る術はない。
 先程まで戯けていたとは思えないほど真剣に響く声は、確かに美咲のものなのに、別のものに感じてしまう。


「俺たちの手──俺は勝手に《精霊の手》って呼んでんだけど。カードを信じる事でカードに精霊を宿らせることのできる力を持ってんだよなー……。
 青嵐も耀太も、美咲の心から生まれた人間の骸だ。さみしい、苦しい、そう思う心が、こいつらを生んだ。
 ……《ブラッディルナ・ドラゴン》も、そうだ。ジャックの手に渡ったあとでも、そいつの所有者は変わらず美咲で。その力は――離れていたって作用すんだよ」


 突然、ジャックの隣に闇色が揺れた。驚き、遊星とジャックがそこを見ると、髪の長い男のすがた。
 青嵐や燿太とは全く違う、なのにとてもよく似たオーラに身を包んだ彼は、いい意味でも悪い意味でも人間離れしている。
 は、と遊星は気づく。否、いやでも直感した。彼は──。


「……!?」
「……久しぶり……耀太、青嵐。……そして、……迎えにきてくれて……ありがと、マスター。それに、美翔」


 落ち着いた声が、その場にいた全てのものの心を和らげる。美翔は目を伏せ、笑った。
 やっと見えたな、なんて口の中で呟いて、美翔は力を抜き──


「おわっ!?」
「美咲!?」


 その身体が斜めに倒れた。咄嗟に手を伸ばした青嵐までもが倒れてしまうが、彼のおかげでなんとか地面と接吻することはなかったようだ。
 美咲の肩を揺さぶってみても反応はない。それを見た闇色の髪の男がひとこと。


「……心配しないで。……二人とも……ねてるから」
「……ほんっとわかんねえ。
 あー……ええっと。遊星、ジャック、水さして悪かった。詳しい説明はまた今度な。その……デュエルするならデュエル場行けよ。俺、美咲のD-ホイールでこいつ連れていくから──」

僕らが生きた世界。