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──……深い黒。それはさながら果てのない闇のようだった。
 美咲はただ一人、その黒に身を預けている。何故自分がここにいるのか、美咲には分からなかった。

 目を開けているのか、閉じているのか。
 浮いているのか、落ちているのか。
 笑っているのか、泣いているのか。
 生きているのか──死んでいるのか。

 それすらわからない暗闇に、ふわりとひとつ、鮮やかな色と優しい音が現れた。


「……、……美咲」
「!」


 聞こえたのは、覚えのある声。自分が何度も精神で聞き続け、何度と頼った、その声。ぼんやりとしたその色は、やがてはっきりとした輪郭を持つ。
 短い金色の髪に、真紅の目。性別は男だが、まるで美咲の闇の部分を写したかのような退廃的な雰囲気を帯びている。そしてそれは実際そう≠ネのだ。


「……美翔?」
「あ、やっと起きた」


 呼んだのは、自分の人格の名前。人格、と称するのはおそらく的確ではない。こうやって意思疎通出来る時点でそれは違うのだが、あいにくこれ以外の呼び名を知らないのでこれで妥協していた。
 色を持った少年──美翔は優しく笑う。その表情は何処か憂いて、美咲はほんの少しの疑問を抱いた。
 しかしそんなことはどうでもいい。問題なのは、自分と美翔がこう、精神内とはいえ、顔を合わせるような形であるのかにあった。


「なんで……ここに……?」
「さぁ……? 残念ながら俺にもわかんねーの。まるで誰かに呼ばれたみたいで──」


 その時、突風が吹き荒れる。この場が外なのか中なのか、はたまた現実なのか夢なのか異世界なのか分からないが、とにかくその風は美咲の切り札の一枚である《アキュートストーム・ドラゴン》が起こすようなものではなく、もっと荒々しく、美咲らの皮膚を切り裂こうとするかのような強さだった。

 目を風から守るために、あるかも分からない腕を顔へと寄せた。そうすることで腕が視界に映り、はじめて、腕が──身体があることを認識できた。


「な、なに……!?」
「敵意はねえ……な。来るぜ、美咲」
「来るって、なにが……きゃあ!?」


 轟、と凄まじい音がして、それ≠ェ姿を現した。
 輪郭のハッキリしない赤く輝く胴体に、凄まじい威圧を孕んだ目。全体像がひとつもつかめないが、感じることはただひとつ。この龍には逆らえないという、確信だけ。
 その姿を確認した美翔が小さく、言った。


「……古の、赤き竜……?」
「……なに、それ」
「多分……こいつの名前? 分からねーけど……なんか、知ってる」


 その美翔の言葉が一番分からない! そんな悪態をついてみても美翔はその赤く光る存在を見つめ続けたままで、答えは返ってこない。
 それどころか、その赤い存在は自分の言いたいことを告げるために口を開いた。


【──命令ヲ】
「……はぇ?」


 声が、響く。それは鼓膜を震わさず、直接脳内に響くようなものだった。
 何が起こってるの──そう問いただす前に、声は続ける。


【──契約ヲ交ワシタ者ヨ】
「契約……? なによ、それ……」
「……」


 じぃ、と美翔の目が存在を睨む。しばらく黙ったのち、ゆっくりと声は述べた。


【──時ガ来レバイズレ知ル事トナル】
「……流石になんの説明もないのはねーんでねえの?」
「そうだよ、なにも分からないのに……!」


 美咲も気休めながら反論を試みる。しかしその二人の声に答えを返す事はせず、声は自身の役目を果たすだけで。


【──世界ノ破滅ヲ防グタメニ】
「世界の破滅……?」


 まったく話の道筋が見えない。自分で答えを見つけろ、ということなのか。
 美咲にはまったく理解が及ばないが、聞いたところで答えが返ってこないのはさっき証明されてしまったのでもう半ば諦めていた。


【──騎士ヲ、】
「騎士?」
【──ソシテダーク……ヲ…メ……】


 徐々に遠くなって行く声。どういうこと、と美翔を見てみれば、その姿は少しだけ透けていっているようで。
 ああ、タイムリミットなのだな、と理解した時にはすべてが消えていた。








「──っ!!」


 跳ねるように飛び起きた。流れた冷や汗を右手でぬぐい、そのまま手を見つめる。
 赤く、暖かく、寂しい存在。それを自分は知らないが、美翔は何故か知っていた。ということは、自分と何か関係があるのだろうか?
 そんなことを考えていたのだが、その場所の異変に気づいて美咲は顔をしかめる。


「……ここは?」


 高く真っ白なそれは、美咲のまったく知らない天井。そして遅れて気づく、掛けられた布団に疑問を抱いた。
 一緒に来た遊星は? どうして自分はこんなところにいて、第一ここは何処で……。
 様々な疑問が頭を巡り、混乱してしまう。落ち着かせるために小さい息を漏らして目線を自分の腕に向けた。


「お目覚めですか」
「!」


 突如聞こえた声。
 思わず美咲は勢いよく顔をあげて、声のする方向をみた。そこにいたのは小さい頃──自分がKC社長の子供として過ごしていた頃にに幾度か見た人物。そうでなくても、シティやサテライトの住民ならば誰でも知っているであろう、そんな存在。


「……ゴドウィン…長官?」
「お久しぶりですね」


 シティのトップ──レクス・ゴドウィン。ただ穏やかにそこにいて、美咲の側へと歩み寄る。
 角ばった顔を動かし、口だけの笑いを溢した。勿論、それだけで美咲の警戒が解けるはずもなく、眼光を鋭くしたまま、開口。


「……どういうことでしょうか? ここは何処なんです?」
「少々手荒にはなりましたが、貴女がいるべき場所──すなわちここにご案内をさせていただきました。連れてきたのはそこにいる者です」


 ゴドウィンが目を向けた先には、帽子を被った──フェニックス。帽子の奥から青い目がほんの少しだけ輝いた気がした。


「どうも」
「……あなたは」
「《ファンタジアソル・ドラゴン》に聞けば分かるとは思うけど、一応自己紹介を…」
「! あなた、燿太に何かしたの!?」
「落ち着いてよ。別に手出ししたりはしてないさ。僕がしたのは同じようにモンスターエフェクトで彼の実体化を解いたことだけ。
僕のことはどうかフェニックスとお呼びを、美咲」


 正直、フェニックスから言われた言葉が飛び抜けすぎていて、その後の名前やその言い分などが頭に入ってこない。モンスター効果で──実体化を消した、そんな飛び抜けた言葉のせいで。
 それはすなわち、美咲の手の力を打ち消しているようなもので。モンスター効果にそんなものがあったかどうかなんていちいち思い出せないが、そんなのはあり得ないはずなのに。

 そんな美咲の心中知らず、フェニックスは怪しく笑って続けた。


「彼──遊星だっけ。キングとデュエルしているところを発見されたよ。今頃マーカーでも受けてるだろうね」
「……!」


 マーカーを受けてる? それはすなわち、遊星がセキュリティに捕まったということを意味していた。
 ぶるりと、美咲の身体が震える。重たい身体を無理やり動かして、無意識のままにつぶやいた。


「……行かなきゃ」
「……何処に?」


 フェニックスの冷たい声が、美咲の心に突き刺さる。だが、美咲は怯む訳もなく。それは確固たる意思で、変えるつもりは微塵もないのだから。


「……遊星のところ。約束したから、行かなきゃ」
「……お前、思ったよりバカなんだな。お前はシティの人間で、遊星はサテライトの人間なのに。なんでお前はあんな奴のところに行こうとするの? 僕は認めないぞ、アイツに会いに行くなんて」


 挑発するような声に、嘲笑うかのような笑顔。それを半ば睨むようにして、美咲は拳を握りしめ息を吸う。大きく吐きだし、声も共に。


「黙れッ!」
「っ!?」


 予想していなかった美咲の声に、フェニックスが一瞬ひるむ。それを見逃さなかったらしい美咲はそこに畳み掛けるように、続けた。


「あなたに何がわかるの……サテライトを知らないあなたに、何を語れるというの! 何も知らないくせに……遊星やみんなを、サテライトを貶さないで!!」


 それはもはや、懇願と叫びに近かった。サテライトの住民を無下に扱われ、いなくなってしまった《彼》を、守るための懇願であり、叫びだった。
 気迫に負けたらしいフェニックスは目線を美咲から反らす。そのままゴドウィンに一瞬目線を送り、負けましたと小さく呟いてから言った。


「長官」
「仕方ありませんね、そこまで言われてしまっては。美咲、貴女は収容所に“特別講師”として向かってもらいます」
「……は?」


 間の抜けた美咲の声に、フェニックスは一瞬笑いを溢した。これがフェニックスの、本当の笑顔なのだろうか。
 そんな考えも一瞬に、ゴドウィンを見直して疑問符を浮かべる。


「簡単なお話を囚人の前で話していただこうかとおもいまして。KCの──義理ではありますが、娘を囚人として扱うわけにはいきませんからね。その顔に傷をつけるわけにも」
「……えっ?」
「感謝すればいいんじゃないの? マーカー無しで収容所行けるなんて長官とセキュリティだけみたいなもんなんだし」


 まったく意味が分からない。そう言いたげな美咲にフェニックスは微笑み、美咲の座るベッドへと歩みを進める。美咲はまだ何も理解していない。


「教育プログラムで演説をする事を条件に、収容所に行くことを許可するって事」
「は……はぁっ!? なんで!? わ、私普通の一般市民なのに……!?」


 美咲が一般市民かどうかはこの際置いておこう。こんなにもすんなりといくものか、と素っ頓狂な声を上げて、目を見開いた。


「今から手続きを行います。カードは……あなたの切り札ごと預かっております、フェニックスから受け取ってください。Dホイールはお好きにどうぞ」
「……切り札?」
「ああ、これのことか?」


 フェニックスが手にしたカードが美咲に向けられる。白い縁にのカードに描かれた龍は闇と見まごうもので、それは──


「……返してッ!!」
「わあっ!?」


 殆ど奪い取るようにしてカードを手中に収める。そこに並ぶ字列を見て、小さく息を吐き出した。


「なんであなたが《ブラッディルナ・ドラゴン》を持ってるの……?」
「ジャックが持ってたんだけどさ、遊星との戦いであいつ意識飛ばして。それで見つけたし、お前のものだし? 渡しておこうと思うけど……いらないなら別に返してくれてもいいよ」
「……」


 複雑な気分である。あれほど求めていたこのカードが、こんな形で手に戻ってくるなんて思ってもいなかった。
 甘んじて受け入れるべきなのだろうが、自分の手で取り返したかった──どうしてもそう思ってしまう。
 美咲を一瞥し、踵を返す。小さく口を開いて、美咲を立つように促した。


「こっち。早く来ないとデッキ渡さないからな」
「ちょっと!?」


 先々行くフェニックスの背中を追いかけながら美咲は遊星の無事を祈る。胸元に手を当てた瞬間、美翔の心配するような声が聞こえた──気がした。

僕らが生きた世界。