03

「お嬢、お荷物と、それに住むところは――」
「……大丈夫、です。
 耀太や、青嵐とともに……見つけますから」


 ヘリコプターを降りた其処はサテライト。
 思い描いていたよりも荒廃していた。数年前はここまでではなかった気がするが、よくわからない。見たのは港だけだったし、もしかするとあの頃も港以外はこうだったのかもしれない。第一、美咲の記憶すら曖昧だ。

 今までシティで暮らしてきた美咲に、どうしてこんな現実を受け止められるか。少しだけ怯えたような瞳が揺らいだことに、燿太は気づいていた。
 美咲はしばらくヘリコプターの操縦士を見つめていたが、やがてその小さな足がヘリコプターから少しだけ遠ざかる。


「お嬢、海馬様が"16の誕生日は時間を取れ"と仰っていました」
「……?」


 何があるのだろう。
 そんなことを考えていても、そのときにならないと分からないなんて百も承知済みである。聞きたいのはやまやまだったが、もはや子どもらしくそれを聞くことすらしなかった。
 美咲はひとつだけ息を吐き出して、一瞬空をあおぐ。それはあるいは、溜息だったのかもしれない。

 暗い。
 夜でもないのに、その空は暗い。
 灰色の雲に覆われた天空が、何処か汚ならしく思えて仕方がなかった。


「……行こう、耀太」
「いいのか?」
「……立ち止まってても家見つかんないしね、さすがに嫌だよ、野宿なんて。
 ……ありがとう、ございました」


 何がどうさすがに、なのかは分からないが。そんなのは俺だって人間なら嫌だと思うって、と燿太。
 そんな燿太の心情を知らず、美咲はヘリコプターに向かって見事なまでの一礼。
 それを見る耀太の目は心なしか光が籠っていないような気がする。

 顔をあげた。
 そのままサテライトへ踵を返し、息を吸い込んだ。このまま居残ると、ヘリコプターに乗って帰りたくなってしまうから。
 そんなことは許されない。瀬人の義娘として、瀬人に迷惑はかけられない。
 不味い空気が鼻を擽る。シティの空気も決して綺麗ではないが、ここよりは幾分かマシに思えた。


「荷物、持つ」
「いいの? ありがと」


 かけられた声に笑顔を返しながら、持っていたカバンを耀太に渡す。
 軽くなった身体を解すように動かしていると、ヘリコプターが飛んでいった。

 途端に、虚しくなる。襲い来る虚無感に、何だか泣きたくなった。
 シティには、いつ帰れるのだろう。否、帰れないのかもしれない。
 今までシティに住んでいて、そんな事例を一度も聞いたことがないのだから。

 今は燿太がついている。しかし彼は精霊で、燿太自身がそのことを気にしている。きっといつまでも甘えてられない。
 どうにかして一人で生きる術を見つけなければ――そう思って目線をあげた。


「……あれ」
「ん?」


 目に飛び込んできたのは、ひとりの小さな子供と数人の男達。子どもを取り囲むようになっているその塊は、はたから見れば浮いている。
 仲が良いようにはまったく見えず、むしろ小さな子供が責め立てられているような気がした。


「……治安わりぃな、本当」


 耀太が小さく呟く。
 その眼光が少し鋭いのは、気のせいなのだろうか。

 ――否。燿太は確かに眼光を厳しくしていた。美咲という大切な者をこの場に留めなければならないのに、このような事件を目の当たりにするとやはり、胸糞悪いのだ。
 それはほんの少しだけ、瀬人にも向いていた憤りだった。そしてそれ以上に、美咲を狙ったという全ての元凶にも。

 どうしようか。燿太はともかく自分のような子どもが乱入してもややこしくなるだけだろうが、しかし見捨てるのはしのびない。
 悩みに悩む。とりあえずと思って耳を澄ませると、彼らの会話が耳に入ってきた。


「盗んだんだろ!」
「違うよ!
 これはおれのカードだ!!」
「はっ、どうせそれも嘘だろ?
 じゃなきゃワンショット・ブースターなんてカード、お前みたいな餓鬼が持ってるはずがないだろうが!」


 カードを盗んだ、盗んでないという会話らしい。
 全力で子供は否定しているにも関わらず、なんと卑怯な奴等なのだろう。
 美咲が耀太に目線をあげると、耀太も美咲を見下ろす。
 やはり海馬コーポレーションに関わっていた者としては、見過ごせなかったのだ。


「ね、耀太」
「……まぁ、面倒ごとには首突っ込みたくねえが……。
 後であの餓鬼がボコられたりしたら気分悪いし、な」


 決して正義のためではない。
 そういいたそうな耀太は不器用なだけだと、美咲は知っていた。なんだかんだと言いながら、根は優しいのだ。だからこそ美咲は頼っていたし、おそらく燿太も自覚している。
 思わず口元が綻んだが、すぐに一文字に結び直す。
 十三才には見えないような気迫を帯びて――。

 それを見た耀太はあの集団へと足を向けた。
 さて、どうしたものか。
 小さくそう言った耀太はとりあえず、と


「すんません」


 彼らに声をかけた。
 すると子供を取り囲んでいた男達のうち二人の視線が此方へと向かう。
 なんとまぁ柄の悪い男達だ、とは思ったものの、耀太とてあまりかわらない。
 目つきの悪さだけで言えば多分遜色ないし、ついでに悪党と判断した相手には容赦しないということを美咲は知っているので、知らない人から見れば燿太も同等、寧ろそれ以上かもしれない、と心の片隅で美咲は思った。


「あのー、ソイツ嫌がってるように見えるんすけど。
 さすがに、子供相手に大の大人がそんなにいるのもどーかと思うし」
「あん?
 だったらなんだっていうんだ」


 ……多分話し合いは出来ない。
 直感でそう悟ったものの、耀太は説得を試みる。
 あまり美咲の手を煩わせ≠スくはないのだが、この説得が失敗すれば多分。
 そんなことを思い描くと、意図せず溜息が漏れてしまった。


「恐喝罪になりますよ、いーんすか?」
「んなもんしるか!」
「……そーすか。
 おーい、美咲」


 やっぱり無理だった、言葉を付け足すと美咲は小さなため息を漏らした。
 戦いは虚しいものだね、なんて歳不相応の言葉を放って耀太達に歩み寄る。
 ひた隠しにした威厳は、まだ誰にも気づかせない。
 言葉遣いは、自然と身についたもので。


「私たちは犯罪者になるつもりはありません。あなた達だってそうではないのですか?
 出来ることなら、その子への恐喝をやめていただければありがたいのですが……」
「はんっ、何抜かしやがるんだ餓鬼が」
「……交渉決裂、ですか。
 なら……仕方ないね、デュエルしましょう」
「はぁ?」


 訳がわからないと言いたげに、男達は顔をしかめる。
 それでも尚淡々と、感情を殺したような声音で話を続けていた。
 まだ気付かない。気づかせない。それは傲慢にも似ていた。が、決して驕りではない。


「デュエリストはすべてをデュエルで掴むものでしょう。
 私が勝ったら、その子への恐喝をやめてください」
「はん。じゃあ俺達が勝ったら?」


 男の問いに、美咲は微笑んだ。
 挑発するような――そんな笑顔。
 予想通りの問いかけに、美咲は簡単だ、とでも言うように用意していた答えを言った。


「なんでもいいですよ。
 私をさらっても、殴っても、売っても」


 負けるはず、ありませんから。
 小さく呟いた言葉はどうやら男の逆鱗に触れたらしい。
 満足そうに、美咲は言う。徐々に――隠したそれ≠滲ませながら。


「こんな私みたいな餓鬼に言われて、悔しいですか?
 なら、デュエルしましょう。……教えてあげます、罪には罰が必要ってこと」


 美咲のアクアマリンの瞳が、一瞬真紅に染まった――気がした。

僕らが生きた世界。