08

 ――美咲は夢を見ていた。あたたかな夢など、そんな優しい夢ではない。

 悪夢。
 例えるならその言葉が適切だった。街のすべてが消えてしまう、そんな悪夢。
 紫の焔に包まれ、機械のような兵器に破壊されていく街を、美咲が呆然と見つめる、絶望的な光景。横たわる死体が誰のものかは分からない。ただ、ひどく苦しい夢だった。

 この地域には昔、ゼロ・リバースという大きな災害があった。美咲はそれを体験しているわけではない。
 否、実際には体験したのだが記憶にない、というのが正しい認識だ。美咲が生まれて間も無くゼロ・リバースは起こった。
 この光景がゼロ・リバースと関係あるかどうかは分からない。だが、美咲は夢の中でただ漠然と思った。

 この夢は、ただの悪夢ではない、と。


「……っ、う」


 夢の泡が破裂した。跳ねるように飛び起き、辺りを見渡す。とりあえず、あの悪夢が現実のものでないことに安堵した。
 自分が暮らしていた部屋とは違う壁と天井。見慣れたぬいぐるみは枕元に存在しない。
 何故自分がこんなところにいるのかが分からない。混乱しているのか、と結論づけて、落ち着くために記憶を探った。

 義父から「サテライトへ行け」と告げられ、ヘリコプターでサテライトに降り立った。そしてそこで大人たちに囲まれる少年を助けるためにデュエルして――


「……ああ、また、出てきた≠だ」


 自分が気を失った理由が判明し、溜息。
 美咲の中に巣食う闇≠ヘ、もう受け入れている。だがそれをコントロール出来ないのは困ったものだ。
 闇≠ヘ、美咲の負を全面的に担っている。怒りだとか悲しみだとか、半分ほど欠落しているそれを持ってるのはその闇=B
 勿論美咲自身それを感じないわけではないが、感情が昂ぶると闇≠ノ喰われ、意識を手放すハメになる。
 おそらくここには、闇≠ェ何かやらかした後、意識を失った身体を燿太が連れてきたのだろう。

 それにしても、ここは何なのだろうか。
 見慣れない部屋に、質素な布団。こんなものを与えてくれる知り合いなんてものは、サテライトには――否、どこにもいないというのに。
 ようやく落ち着き出した美咲を襲うのは不安感だった。無理もない。どれだけ大人びた態度を見せると言っても、十三の少女なのだから。
 そんな美咲を知ってか、室内に吹くはずのない風が美咲の頬を撫でた。


『よっと』
「あ……う」


 美咲の目に映ったのは青髪の精霊――青嵐の姿。人間態の彼の姿は、身内としての贔屓目無しでも整っていると美咲は思う。
 知っている彼の姿を見て、頭の中にかかった靄が少しだけ晴れ、思考が鮮明になる。
 ここはどこ? と美咲の声にならない質問を汲み取り、青嵐は口を開いた。


『お前が助けた男の子が教えてくれた……ええっと、孤児院みたいなものだってさ』
「……あの子が?」


 美咲が驚いたように聞き返すと、青嵐は頷く。
 正直、複雑な気分だ。見返りを求めて助けたわけではない。が、結果的にそうなってしまったことにひどく罪悪感を感じる。人から優しくされることは、立場上慣れていない。

 ふわり、と浮き上がった青嵐を目線で追う。その先にはお世辞にも綺麗とは言い難い、木で出来た扉。


『とりあえず家主に挨拶に行きな。そこに耀太もいるからさ』
「……うん」


 青嵐に促されて、美咲はベッドから立ち上がった。ひたり、と床の冷たさが靴下越しに広がる。
 木の扉は存外軽かった。扉をゆっくり閉めて青嵐を見れば、彼はふよふよと浮きながら廊下を進んでいく。
 廊下の突き当たりから漏れ出す光に導かれるようにして、歩みを進めた。


「だー、ひっつくな餓鬼どもがっ!」
「よーたくんあったかいねー」
「よーたくんじゃねえ燿太兄さんと呼びやがれっ」


 声が聞こえた。沢山の笑い声と、燿太の楽しげな声。青嵐の説明の通りであれば、おそらく孤児院の子どもたちの声だろう。
 思わず、扉を開ける手が止まる。耀太が楽しそうなのを邪魔することが憚られた。
 いつも自分の側にいる精霊の燿太。彼が精霊≠ニしての柵を抱えず笑う声がいつも以上に明るくて、いたたまれなくなる。青嵐が声を掛けた気がするが、聞こえない。
 扉にかけた手を下ろした、その時


「おい」
「ひゃあっ!?」


 後ろから声がかけられた。気配もなくかけられた声に跳びはねる。そのまま扉に頭を打ち、悶絶。
 バカになったらどうしてくれるんだとか、言いたいことは多々あったが美咲はおそらく自分に非があったことを認めてとりあえず謝ろうと顔をあげた。
 そこにいたのは――


「……蟹?」
「……いきなり、失礼なやつだな」


 蟹――ではなく、蟹のような独特な髪型をした少年だった。
 多分歳は美咲と変わらないか、ひとつふたつ上くらいだろう。変声期なのか、声が少し低い。
 無愛想に口元を結びながら、少年は手をさしのばした。


「何をしている?」
「何って……。耀太……知り合いがここにいるから」
「あぁ……、お前が耀太兄さんの連れてきた人か」


 耀太兄さん? 聞きなれない響きに美咲は笑いを喉で殺した。まさかあの燿太が、本当に兄さんと呼ばれているなんて、と。
 ムッとしたように眉間にシワを寄せた少年は、差し伸ばした手を更に美咲の体に近づけながらすぐに元の無表情に戻った。


「ラリーを、助けてくれたんだな。……ありがとう。あいつは、昔からああだから。――立てるか」
「え、あ……うん」


 手を握り返して、美咲は立ち上がる。歳はあまり変わらないが、温かくて大きな手だった。
 ぐっと強すぎない力で引っ張られ、一瞬よろめくものの、少年のもう片方の手が肩に添えられて倒れることはなかった。


「デュエル、好きだって」
「あの子から聞いたの?」
「あぁ」


 確証のない問いかけに、すぐ答えは返って来た。それは美咲の予想とまったく同じもの。
 ふと、美咲が少年の腰を見るとそこにはデッキホルダーが携えられていた。黒いそれは所々ひび割れていて、しかしとても大切に使われているようだ。


「デュエル好きなの?」
「デュエルは、よくやる」
「そうなんだ」


 感情の表れにくい顔だったが、デュエルの話題を出した瞬間に瞳が輝いた。
 そして美咲は確信する。彼はきっと、デュエルを楽しむデュエリストなのだろう――と。


「ここに住むのか?」
「どうだろう。耀太が決めると思う」
「もし住むなら、」


 その時はよろしく。
 そう付け足して、少年はドアノブに手をかけた。
 しかし扉を開けずに、少年は美咲を見る。まっすぐとした蒼い目が、美咲を捉える。


「名前は」
「私? は……美咲。
 宝生、美咲。」
「宝生……否、美咲でいいか。俺は、不動 遊星だ」
「ふどう、ゆうせい……」


 どこかで聞いた響きだと、美咲は彼の名前を口で復唱する。
 それを思い出すことはなかったが、美咲は笑顔を浮かべて遊星を見返した。


「よろしくね、遊星」


 無愛想な彼の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。



 ――この出会いが偶然か必然か、知る術は無い。しかし、この出会いが二人を、否、世界を変えていく。
 すべての歯車は噛み合い、そしてゆっくりと、しかし確実に回り始めるのだった。

 夢の中で美咲は叫んでいた。
 何度も何度も、幾つもの名前を。その中に彼の――遊星の名前があったことを思い出すのは、当分先のことである。



(そして私はこれから沢山の出会いと別れを体験する)

僕らが生きた世界。