一人歩き、二人止まり

 何夜こうして歩いていたのか、私には分からない。否、歩いていたという表現が正しいのかすら、私にはわからなかった。
 ただ、そうしないと捨てられてしまうのだけは、嫌という程分かっていた。

 復讐。それがわたしたちを──父さんを、トロンを縛っていた鎖の名前。父さんをトロンへと変えてしまったその原因への復讐。それだけが、私たちを繋ぎ止めていた。
 私たち兄妹は名前を捨てて、心を殺して、たくさんの犠牲を出して、自分が自分じゃなくなっていく感覚に歯軋りをしながら、それでもカードを剣として振るい、その復讐へ身を投じた。


「……疲れた、なぁ」


 でもこんなのはいつか終わりが来ることで、私たちの復讐劇にも終わりはやってきた。
 九十九 遊馬。彼が全てを終わらせた。トロンをWDCで打ち負かし、復讐の標的たるDr.フェイカーを倒し、……そのさらに元凶であるバリアン、ベクターを倒したり──あとで知ったことだが、父さんの復讐もDr.フェイカーの陰謀も、全てベクターに仕組まれたことだったらしい──、ベクターをバリアンにした全ての根源たるドン・サウザンドをも屠る、という形で。

 呆気ない。それが私の感想だった。
 実際に戦った遊馬には悪いけれど、その過程で一度二度死んだクリス兄さん、トーマス兄さん、ミハエルには悪いけれど。呆気ない幕切れだ。
 バカバカしい。私たちは私たちじゃ無くなるまで戦っていたというのに、その全ての原因を遊馬に倒されてしまったのだ。
 ふざけるのも大概にしろ、と彼の前で言うほど子供と言うわけでもないが、どうしても納得できなかった。


「…………」


 私は歩いていた。トロンに捨てられないために。
 私は歩いていた。トロンの復讐のために。
 私は歩いていた。……止まり方なんて、とうの昔に忘れてしまったから。

 トロンが私たちに背負わせた「復讐」の二文字は、いつの間にか私を形作る輪郭の大部分を占めていた。
 そんな復讐が意図しない形で終わってしまったんだ。輪郭は脆く崩れて、私は私じゃなくなった。

 私が私であるために、私は一人で歩いた。復讐なんて終わったと父さんに言われても、止まることはできなかった。
 もう復讐のためなんて大義名分はいらない。私という存在だけのために、私はDr.フェイカーを討たなければならない。そんなこと、誰も望んでいないのはわかっているけれど。

 殺す。Dr.フェイカーを。父さんを──そして何より、私を苦しめた原因を。絶対に、絶対に。
 そんな思いで、私はまた「自分のための復讐」の一歩踏み出した。


「名前、そっちじゃねえよ」
「!」


 不意にぐっと腕が引かれた感覚に陥る。実際に引かれたわけでも、実際に歩いていたわけでもない。はっと顔をあげれば、そこは見慣れた部屋の中だった。

 自分が座っている反対側のソファに目を向ければ、そこにいたのは私によく似た目を持つトーマス兄さんだった。私たち兄妹はよく似ていないと言われるが、私とトーマス兄さんの目は酷く似ていた。目だけ、とも言うけれど。
 じっと私を見ていたトーマス兄さんの目線と私の視線がぶつかる。半ばにらめっこのようになっていたけれど、トーマス兄さんはそれに飽きたように視線を逸らして言葉を紡ぎ始める。


「何険しい顔してんだ」
「……別に、何も」
「眉間に皺寄るほど顔顰めてたくせに、何言ってるんだか」


 ……そんなに険しい顔をしていたのか。眉間の皺を解すように眉間をマッサージすれば、トーマス兄さんの目が細められる。
 何? と問いかければため息とともに声を落としていった。


「まだフェイカーのこと諦めてねえのか、名前」
「……バレてたの」
「俺の可愛い妹サマは思ってることが顔に出ますからねえ」


 トーマス兄さん以外にはばれたコトないんだけど。そう小さく言えばトーマス兄さんは目をぱちくりとさせる。普段大人ぶってるくせに、こういう表情は子供っぽい。
 どうしてばれるんだろう。ずっと見てるからだろ。そんな言葉をかわしつつ、トーマス兄さんはマカロンを頬張る。何気ない仕草なのになぜか居心地が悪くて、思わず腰を上げた。
 トーマス兄さんの目が私を捉える。そのまま去っていこうとする私に一言。


「お前が止まらねえんなら俺が止めてやる」
「……トーマス兄さん」
「どこに向かって歩いてるんだか知らねえが、お前一人でどこかに行かせたりなんかさせてやらねえ」
「……馬鹿な人」


 凌牙のこと、止められなかったくせに。言いさした言葉を無理矢理飲み込んで、愛しい兄さんから視線を逸らす。
 凌牙を止められなかったからこそ、私を止めようと決意してくれてるのなら嬉しいなぁ、なんて歪んだ考えを振り払うように、私はトーマス兄さんの隣で立ち止まった。



一人歩き、二人止まり
(一人になんかさせてやらねえ、絶対に)



Title...反転コンタクト
2015.06.18 執筆
僕らが生きた世界。